第11話 妊活

文字数 2,503文字



 目を覚ますと、今度はやたらと静かだった。

 ()いたばかりの目はしょぼくて視界がはっきりしない。こういう時に役に立つのはやっぱり鼻で、私はそれをヒクつかせた。ひとつは嗅ぎなれた大麻の花穂(かすい)の臭いと、何かのドラッグの甘ったるい香りが混ざっていた。

 私はゴワゴワして心地悪いベッドの上に寝かされていた。腕が左右に引っ張られていて、手首に圧迫を感じる。縄か何かで縛られているのだろう。わざわざ捻られているせいで、肘が少ししか動かせなかった。目の前が見えづらいのは、目に覆いが被さっていたから。

 下半身がやけに風通しがいい。なぜか分からないが、履いていたバミューダパンツが脱がされていて、下着一枚だけになっているみたいだ。

「シトラス……」誰かの気配を感じたので呼びかけてみる。反応してガサっと音が鳴った。「なんで私、しばられてんの?」

 返事はなかった。代わりに液体をゴクゴクと飲み込む音がした。

 私は目を何度か瞬かせた。閉じた時と開いた時とで、明るさに差を感じた。「もう昼間だよね。私、もう帰るわ。こいつを(ほど)いてくんない? 娘を探したいの」

「駄目よぉぉぉん」シトラスはクスリの余韻でとろとろした声で返事をした。「……やっとあこがれの人をお家に招待できたンだもん。まだお楽しみ頂いてないじゃなぁい?」

「おい、シトラス。私はあんたの戯言に付き合っちゃいられないんだ……聞いてるのかい?」

「ダメダメダメダメよぉ……はぁぁぁん」シトラスは内に充満するエクスタシーに身悶えした。「アタシだーーいぶ、人生を無駄にしたの。体もだいぶ腐っちゃった……言ってなかったかしら。アタシはねえ、貴女になりたいのぉ! あなたみたいにクゥゥゥゥルに生きたいのっっ!」

 シトラスの気配が近づいてくる。ヤツは私の隣まで移動すると私の目の覆いを取り去った。

 一気に視界が開けた。といっても暗く、驚くほど狭い部屋。安っぽい石膏ボードの壁に、ゲイのヌードショットが何枚もピンで留められていた。狭い部屋に無理やり持ち込んだチェスターフィールド・ソファがある。この室内では似合わないばかりか邪魔でしかない。さっきまで巨漢のシトラスが座っていたせいで、座面がベッタリとへこんでいた。

 シトラスは、部屋にただひとつ置かれたベッドの上に横たわる私を見下ろしていた。薬のせいか白い目玉が飛び出そうなぐらい張り出し、表面が不気味に血走っていた。

 私は小さく震えた。こいつとつるんでいた時にも感じたことのない、悪寒がしたからだった。

「寒いのぉ……そーよねえ。パンツ一枚にしちゃったから。あなたに飲んでもらったクスリ、よおくお寝んね出来るんだけど、たまにお漏らしちゃう子がいるの。おズボン濡れちゃ困るでしょ?」

 クソ野郎め。てめえの気遣いなんて心底いらなすぎる。

「これからメイヴィちゃんのおパンツ、脱がせちゃうけど許してねぇん。あなたの可愛いオシリを丸出しにしちゃうのはね、眺める為だけじゃあないのよん。た・ね・つ・け。ふふ、ワカるでしょう? 私のおチビちゃんを(はら)んでもらいたいのっ! わ、ヤダ。言っちゃった!!」

「っざけんな! 誰がてめえの子なんか! 出来たって産んでやるわけねえだろ!」

「ううん」シトラスは首をブンブンと振る。「いいのよ。いいのよ。行為のあとは、ママの好きにしていい。親権なんてめんどくさい物を主張する気は無いわぁん。アタシはあなたの歴史(DNA)に自分を刻みこむのが目的……『最低最悪の薬物中毒のオカマ野郎』の子種が、あなたのおマタの中でシェイクされちゃったっていう、事実が欲しいだけなの!」

 何てこった。まだこいつ(シトラス)に対して滲み出てくる嫌悪感があったなんて。私はどれだけ人に対して甘々な馬鹿野郎なんだ。あのバーで出逢った時から、完っ璧に無視をくれてやれば良かったと後悔した。が、ここに捕らえられている今、悟るには遅すぎた。

 シトラスはベッドの上に登ってきて、私の腹の上に股を開いて立った。紫のネグリジェの薄い生地の間から、こん棒のような太い足が飛び出している。その足と足の間には私の見たくない物がまだ(・・)付いていた。

 シトラスの意識はだいぶ飛んでいて、白い口角泡が吹き出していた。「長い間カマしてるせいかなぁ。アタシには何となくわかるの。メイヴィちゃんはいずれ、街を出ていく子だって……人生に疲れちゃったからさあ、ちょびっとここに遊びに来ただけなのよねえぇ?」

 出ていく。街から。聞き覚えのある言葉だった。痩せ男がそんな事を言いながら消えていったっけ。

「だったら、せめてアタシと一晩中パーティしましょ! 汁気たっぷりでおもてなしするわぁん」

 くそっ! それが運命なら、私の体も意識も『今』消えてくれまいか。私は嘆きながらも諦められず、必死に足と手をバタつかせた。

「さあ、御開帳よおん。どぅるるるるるるるる」

 シトラスの分厚い唇が震え、誰も望まないツバだらけのドラムロールが鳴り響く。私は(あらが)うが、その勢いは薬のせいもあって長続きしなかった。ガサガサの手が、私を諦めさせようと膝頭をがしっりと押さえつけた。

「メイヴィちゃぁぁん。にぃぃんかぁぁつしぃぃましょぉぉおぉ(イーーン・ザ・ファーーーミリィィィー・ウェェェイィィ)!!」


 木製の扉の金具がはじけ飛ぶ音と、銃の発砲音は同時だった。パラベラム弾はシトラスの背後から斜め上方向に射出された。侵入場所は大男の後頭骨。弾丸は小脳にドリル状の風穴を開けながら、脳橋の上をかすめた。視床下部と下垂体の細胞の8割を熱蒸発させたのち、最後に眉間点の中心を内側から突き抜けていった。

 砕けた骨と血と、脳細胞が溶け込んだ真っ赤な液体が、シトラスの額から一条の噴水のように吹き出た。

「あらぁ……しっぱいしちゃったわぁん……ざあ……ん……ねん」

 シトラスは脳漿を撒き散らしながら、轟音と共にベッドから床に落ちていった。
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