冬小僧

文字数 5,058文字

タイトル:冬小僧
書いた人:甘らかん(かんらかん 寒いの苦手)

 冬はつらい。寒いからに決まっている。
 起きるのも、顔を洗うのも、冷凍していたパンをトースターレンジに入れるのも。手がかじかんで抹消神経まで温かみが巡っていないのがわかる。

 ウールのコート着て、玄関でたとたん、攻撃を仕掛けてくる氷河の使者。わかりやすく例えるとアレだ。聖闘士星矢のキグナス氷河に真正面からダイヤモンドダストをお見舞いされているような感じ。オタクでないとわからないか。つまり顔面が氷の粒が刺さったかのように痛い。
 人生も折り返した心寂しい独身一人暮らし女を凍りつかせるには十分な威力だと思う。
(寒いよ、腹がたつほど寒いよ)
 北国ではなく東京都でなにを言っているのかと、北国の方に怒られそうなこごえっぷりだが、寒いものは寒いのだから仕方がない。
(冷え性なめんなよ)
 キャッチフレーズは冬生まれの冷え性、だ。

「こんにちわ」
 マンションのエントランスをでたとたん。真っ白な着物を着た分け目のはっきりした男が立っていた。
(うわ~っ、痛い人だ)
 朝は時間がない。早いとこ駅に向かおう。
「こんにちわ」
 湿り気を帯びた雪のような。消え入りそうな声。言いたいことがあるならハッキリ言えよと言いたくなるけれど。相手をしたらどう絡まれるかわからない。
 だいたい、このダイヤモンドダスト級の寒い朝に白い着物に白い顔して……。
 そこまできて、私は大変なことに気がついてしまった。

(この男、イケメン)

 色白の潤んだ目のイケメン。2次元だったら「兄さん、僕こわいよ」とか言う、かよわい弟キャラにしたい感じではなかろうか。
※相当な年齢でオタクを継続している独身女性の個人的感想であり。表現には個人差があります。
(あ、ヤバイ)
 立ち止まってしまったせいで男と目が合ってしまった。
 男は照れくさそうにニコッと笑った。悪い気はしない。
「こんにちわ。僕は冬小僧。熱燗どう?」
 着物の袂から徳利を出した。湯気のおまけ付きだ。
 どうやって? という疑問も勿論だが、これから出勤だし、それ以前に。
「飲めないんで」
 会社に行かなくては。

 さいわい男はついて来なかった。都心に向かう電車のなかは人の多さに加えて暖房を効かせているので汗が噴き出しそうな暑さである。
(酒が飲める人だったらよろこんでご相伴に預かってたのかな。少量なら体温まりそうだよね。イケメン残念そうだったし。ロシアの人は強い酒で極寒に耐えているのだよな。顔真っ赤にしてさ。飲酒あたりまえで出勤しているのかな。飲めない私は冬のロシアでは生きていけないな。それにしてもイケメン、残念そうだったな)
 ついさっきの出来事を振り返っているうちに池袋に到着した。
 マンションから駅まで極寒で、電車乗ったら激暑で、また降りたら極寒だ。ここで私鉄からJRに乗り換えるわけだが。
(この寒暖差が人生後半戦に入った人間にはきついのだよな。具合も悪くなるし。にしてもあれだ。夏はこの逆だけど……やっぱり調子悪くなるよね)
 そんな都心のターミナル地下道を歩いていたところ。

「そんな背中丸めて歩いていないで。体を動かせば温まるから」

 流れる人々の隙間に真っ白な着物を発見してしまった。そりゃ嫌でも目立つ。みんなコートにマフラーなのに、幽霊でもなければそんな格好のイケメンありえない。
(にしても声小さいな。言ってる本人がいちばん凍えてんじゃないのか……えっ?)
 迂闊にも、また立ち止まってしまった。いや、迂闊なのか? いきなりイケメンが白い着物をマントを煽るように脱ぎ捨てれば誰だって驚く。
(なんと)
 宙に舞う白い着物は生きているかのように地下道の天井に舞う。重力を忘れたかのように。
 天女の羽衣は海辺に漂うが、イケメンの着物は池袋の地下道に浮遊する。
(プロジェクションマッピングか)
 葉っぱが静かに落ちるように地面に落ちる着物。
 そのあとに現れたのは。

 白いランニングからムキでる筋肉。
 白い短パンからはちきれる筋肉。

 顎が地面すれすれに落ちるかと思った。
 目ん玉がメガネを突き破るかと思った。
 あたりを見回してもみんな彼を無視してJRの改札に向かっていく。
 着物の下がマッチョだったとか。
 この寒いのにその姿かよ、とか。
 突っ込みたいところがいろいろあるのに声が出ない。
 驚愕に打ち震える女性がいるのがわかっているのかいないのか。お色直しをしてもキリッとした眉でイケメンを保っている白い衣装の男はやはり耳を澄ませないと聞こえない声で言う。

「冷えを軽減するには、まずふくらはぎの強化が大切だ。今からはじめる体操はふくらはぎと腹筋を同時に鍛えることができるから、冷え症の君。やってみて」

 そうなの? 参考になりそうだから眺めてみる。イケメンはおごそかに体操をはじめた。
 腕を組み。片足を90度上げて。残った片足で膝を曲げる。
「曲げきっちゃだめ。真後ろに転んで危ないから。少しでいい。そのまま5秒保って元に戻る。これを3セット。次に足を変えて3セット。合計たったの6セット」
 自ら見本を見せる。軽々とやってみせる。
「バランスとるのが難しかったら手は水平に伸ばしてもいいです。冬小僧は、嘘つかない」
 その様を確認して、私は無言でJRの改札に入った。

(寒さで頭のネジが筋肉になってしまったんだろうな)
 JR新宿駅の改札を抜けて都庁方面に向かう地下道へ。人々は白い息を吐きながら会社が安住の地とでもいいたげに足を速めている。
(社内は暖房効いているけど、必要以上に暑いんだよな。あの空調もどうにかならないかな)
 電車と会社は暑すぎる。会う人会う人が口にすることなのに、どうして現代社会は学習しないんだろう。
(とはいえ外は寒いから早く歩いて会社に入ろう……ん?)
 地下道も交番の近くだというのに、目に飛び込んでしまう白い塊。いや、白い筋肉イケメン。
(また出た……んん?)
 先ほどのイケメンが「体を温めよう」とつぶやきながら誰にでもできない運動をひけらかしているのは池袋で見たが。
(ぞ、ぞ、増殖してるーーーっ!)
 危うく呼吸器官が口から飛び出すところだった。
 イケメンの背後にメガネをかけた普通のルックスのおじさんと外国人に見える金髪青い目の男性が同じ運動を繰り広げているではないか。
 あたりまえのように3人とも筋肉ムキムキ、白いランニングに白短パンである。
 遭遇するたびに突っ込みどころが増えて行く状況に無理やり足を止められていたところ。
「今年も現れましたね。冬小僧」
 声をかけられたので、振り返ると、よれひとつないコートにピカピカのビジネスバッグを持ったそれなりの地位がありそうなおじさんが懐かしそうなものでも眺めるように立っていた。
「北風と一緒にやってくるんですよね」
 勝手に喋りはじめる。
「彼らは渡り鳥みたいなものですよ。ああして冬の到来を告げているんです」
 相槌を、うつべきなのだろうか。
「私もひとつの企業を任されている身。倒れるわけにはいかないと思い始めた頃から彼らが見えるようになったのです」
 同意すべきなのだろうか。
「あなたも彼らが見えるなら、まだ続く人生のために体を鍛えるとかね。身のためになることをしたほうがいいですよ。でないと寒さに負けてしまうよ」
 じゃ、とおじさんは品のいい笑顔を浮かべて去っていった。
(ええ~~~~っ)
 全力で拒否したい気持ちをどこにぶつけたらいいのかわからないまま、会社に向かうことしかできない。

 その日は仕事をしていてもお腹まわりの贅肉が気になって仕方がなかった。

 今日の仕事が終了し、ふたたび新宿駅に向かう私の脳細胞は白い筋肉メンズに支配されきっていた。
(どうしたものか……寒い)
 どうにかして気持ちを切り替えないと。あの白い団体にまとわりつかれて、自分の性に合わない運動というものをやらされてしまう。いや、逆にあんな体操やらされたら関節も筋肉も壊れる。
(脳みそ凍ってしまいそう)
 どうすれば体に優しく温まることができるのだろう。
(体も寒いけど、心も寒い)
 足が止まった。朝と同じ場所だ。地下道内の交番の近く。
 まだ彼らはそこにいた。
 しかし、無茶振り体操はしていなかった。
 彼らはコタツをだしていた。もう夜だからか。さすがに冷えるからか。コタツの中心から湯気が出ている。
 コタツの上にあったものは。
(マジで?)
 思わずの2度見。筋肉イケメンたち、ぬくぬくじゃないか。
「鍋食べようよ!」
 背後で大きな声を出す若い女の子の声。
「パーッとやって元気だそう! でないとやってらんないじゃない! いいの、このままで?」
 なにかの舞台を見に来たのだろうか。そんな気分にさせる台詞だ。若い女の子は生身の人間だから道行く人たちがみんな足を止めて注目している。
 女の子に誘われた3~4人の女子は顔を見合わせて「どうする」と決断を譲り合っているようだ。
「寒いしさ、ビールカーッとかっこんで、ひとつの鍋つつけばなんかこう、明日からもやっていけそうな気がするんだよ」
 女の子は下唇を噛んで肩にかけたバッグの持ち手を力強く握り締めた。なにがあったかしらないけれど。この女の子を一人にしてはいけないんじゃないだろうか。と、第三者の意見。
「あたし、行ってもいい、いや、むしろ行く」
 じれったさに穴を開けるもう一人が現れた。
「ほんとだよ、このままじゃ悔しくてやってらんない」
「だよね、そうだよね」
 二人の女子が手を取り合って同調を喜び合っている。拍手を送りたい場面だ。事情はまったくわからないけど。
「ごめん、私は子供のお迎えがあるから」
「私も、これから習い事」
「私は……飲めないけど、鍋は食べたい」
 なんやかんやで3人が鍋をつつきに行くことになったようだ。
 一行は二手に分かれた。駅に向かう組と、居酒屋に向かう組。
 居酒屋に向かう組がコタツで鍋をつついている筋肉男たちの近くを通る。
(あっ)
 私は見逃さなかった。最初に叫んだ女の子と男たちが親指を立てて満面の笑みを浮かべたのを。
(なんだ、無茶な体操でなくてもいいんじゃないか)
 コタツの鍋を見つめすぎたか。筋肉イケメンと目が合ってしまった。これは、私も親指立てるべきなのか。
(いや、立てる要素がない)
 無茶体操無理、鍋をつついてくれる仲間もいない。
 私と筋肉イケメンの間にあるのは北風のみ。
(寒い)
 申し訳ないけど無視して逃げるか。立ち止まっていると凍結しそうだ。そうしているうちにもイケメンはじっとこっちを見ている。
 心を読まれているような気になってくる。捨てられた子犬のような目で見ないでいただきたい。
(寒さに染み入るし……んん?)
 筋肉イケメンがキリッとした眉を誇張させるかのように無言で頷いてきた。
 それに合わせてほかの二人も力強く頷いてきた。
 企業戦士たちは家路やら寄り道やらに急いでいて、皆それぞれ1日の終着点があるように思える。私もまっすぐ一人暮らしのマンションに帰れば本日の終着点なのだろう。それでもいいのだろう。毎日それの繰り返しでも、いいじゃないか。
 吐き出される息は真っ白だ。
(……あれ?)
 鍋が消えていた。そのかわり、コタツの上には小さなお椀が載っている。3人の筋肉男は一斉にお椀を開けてまた頷きあっている。そして、こっちをふたたび見て。
 たいへん小さな声で言った。

「冬小僧は、裏切らない」

 自分が頷き返したのかは記憶にないが、操られるかのように方向転換して足が勝手に向かうところへ運ばれていった。
 その間にも北風は冷たく。人間は心を温めるなにかがないと凍死する生き物なのだ、ということを認識した。
(う~。さむいさむい)
 人生黄昏ている。黄昏が流星群だ。
(温めてくれるか?)
 そのまま、某お店の暖簾をくぐっていた。

「抹茶白玉ぜんざい栗入りまごころましましで」

 白いランニングに白いエプロンをかけた店員さんは白い歯を見せて親指を突き立てた。
「うちの甘味は裏切らないよ!」
「期待してます」
 私は深く頷いた。

              〈完〉 
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