第1話
文字数 1,966文字
「ゴジラ父」。ゴジラの父ではなく、私の父のことだ。いわゆる「モーレツ世代」の父は、その果てしない体力に、見ているこちらが疲れてくるほどだ。もはや「○○な人」とは形容しがたく、仮に日本が壊れそうなときでも生き残りそうな、例えるなら「ゴジラのような父」なのである。
ちなみに「モーレツ世代」をざっくりと説明すると、バブル期に青春を過ごし、終身雇用制度前提で会社に身を捧げる、いわゆる昭和後半世代のことをいう。消費行動が派手であり、沢山稼いで沢山モノを所有する。対する私は「悟り世代」に属するらしい。バブル崩壊後の日本に生まれ、節約精神が生まれた時から身についている。学生時代からみなバイトをして、毛皮のコートを着たりしない。何より心身が安定した暮らしがあれば良い。同じ血が通っているのに時に感じる親子間ギャップの謎がここにあったかと解けたようでとても納得したので、今でも覚えている貴重な講義で聞いた話だ。
子供のころの「ゴジラ父」の記憶は、平日朝練のあった私と同じ時間に出て、夜は私が眠る前にやっと帰っていた。土日どちらかは大学ボート部OB会の練習があるので、また朝から夕方まで帰ってこない。そして家でも気が付くと仕事のようなことをしている。あとはよく食べ、よく飲む。とかく仕事一筋で、ほとんど家事もしない。怒りっぽく、堅物。いわゆる昔の男の人だ。専業主婦の母は、ゴジラ父の妻という役割に苦労していそうに見え、お見合いとはいえ何が結婚の決め手だったのかと聞いたことがある。
「お父さんって、もし仮に戦争か何かわからないけど、世の中が大変なことになったとしても、どこからか無理やりでも家族分の食料は調達してきてくれそうじゃない?よくわかんないけど、絶対生き延びるぞ!って言ってくれそうな、そういう頼もしさは感じたかしら」。
幸い、そんな世紀末な事態はいまだ起きていないが、意外とちゃんとした回答だった。当時「男が外で稼ぎ、女が家庭を守る」という価値観も残っていた中では、母の判断も間違ってなかったように思う。ゴジラ父は家族のために逞しく働き、一人の稼ぎで東京に家を持ち、二人の子供を私立の学校に通わせてくれた。郊外の暮らしに文句をたれた日もあったけれど、基本的には衣食住に困ったこともない。それがどれだけ大きなことだったか、今自分がサラリーマンになってわかる。月曜日の朝の恐ろしさを知ると、それを何十年も迎え続けたうえでその姿かと、ますます目を疑う。
ところでゴジラ父は実は、どケチでもある。外でこそ見栄を張って人におごってばかりしているものの、家での生活は実にせせこましいものである。内と外でお金の使い方が180度違い、家族はもちろん「内」側としてケチケチ生活に巻き込まれる。洗面所やトイレなど、家中の電気を消して回る。銀行のATMの手数料、通販などの送料を「べらぼうに高い」と忌み嫌い、絶対に休日のATMは使わせないし、宅配ピザもゴジラ自ら取りに行くのが我が家の出前だ(つまり実質「出前」は許されない)。実家の両親が体調を崩せば、いきなり新しい空気清浄機すら贈るのに、一昨年から悩んでいる電子書籍リーダーは、その10分の1程の値段でも未だ決心が付かないようである。これも大人になって気が付いたが、子供の進学、親の病気、どうしても出ていくお金があるから、その時のために自分の我慢ですむことには、極力使わなかったのかもしれない。どケチ精神も、そうした異常なまでの大黒柱の責任感からならば、文句を言った日々を少し後悔する。
そこまで欲しいなら買えばいい、身体が辛いなら休めばいい、とすぐ思ってしまう私には、たとえ高収入や分厚い筋肉を身に付けたといって、この「ゴジラ感」は出せないのだろう。
さて、昨年ゴジラ父もめでたく還暦を迎えた。それでも75歳までは働きたいとかで、変わらぬ週5勤務体制、休日は朝から室内バイクで汗だくといった様子だが、ゴジラ並みの体重のためか膝を悪くし、近頃はよく眠れないこともあるなど、身体には明らかにガタが出始めている。家族としても、ここまで来たら最後まで「ゴジラ生」を全うして頂きたいので、最近の母は料理にいっそう気を遣い、新しいベッドを導入したりと応援体制だ。
先日、私が人に紹介された整体に行ってきたところ、とても体の具合が良くなったので、お父さんもたまにはどう、と勧めてみた。「そんな、もったいない」と言われることを覚悟していたが、意外にも「行ってみるか」という。承諾されて良かったと思いつつ、やっぱりゴジラ父も歳をとったのか、と思いかけた次の瞬間放たれた一言に崩れ落ちした。
「その小さい身体でも6000円、お父さんでも6000円。我が家として、元をとらんとな」
やっぱり、ただのどけちゴジラ父かもしれない。
ちなみに「モーレツ世代」をざっくりと説明すると、バブル期に青春を過ごし、終身雇用制度前提で会社に身を捧げる、いわゆる昭和後半世代のことをいう。消費行動が派手であり、沢山稼いで沢山モノを所有する。対する私は「悟り世代」に属するらしい。バブル崩壊後の日本に生まれ、節約精神が生まれた時から身についている。学生時代からみなバイトをして、毛皮のコートを着たりしない。何より心身が安定した暮らしがあれば良い。同じ血が通っているのに時に感じる親子間ギャップの謎がここにあったかと解けたようでとても納得したので、今でも覚えている貴重な講義で聞いた話だ。
子供のころの「ゴジラ父」の記憶は、平日朝練のあった私と同じ時間に出て、夜は私が眠る前にやっと帰っていた。土日どちらかは大学ボート部OB会の練習があるので、また朝から夕方まで帰ってこない。そして家でも気が付くと仕事のようなことをしている。あとはよく食べ、よく飲む。とかく仕事一筋で、ほとんど家事もしない。怒りっぽく、堅物。いわゆる昔の男の人だ。専業主婦の母は、ゴジラ父の妻という役割に苦労していそうに見え、お見合いとはいえ何が結婚の決め手だったのかと聞いたことがある。
「お父さんって、もし仮に戦争か何かわからないけど、世の中が大変なことになったとしても、どこからか無理やりでも家族分の食料は調達してきてくれそうじゃない?よくわかんないけど、絶対生き延びるぞ!って言ってくれそうな、そういう頼もしさは感じたかしら」。
幸い、そんな世紀末な事態はいまだ起きていないが、意外とちゃんとした回答だった。当時「男が外で稼ぎ、女が家庭を守る」という価値観も残っていた中では、母の判断も間違ってなかったように思う。ゴジラ父は家族のために逞しく働き、一人の稼ぎで東京に家を持ち、二人の子供を私立の学校に通わせてくれた。郊外の暮らしに文句をたれた日もあったけれど、基本的には衣食住に困ったこともない。それがどれだけ大きなことだったか、今自分がサラリーマンになってわかる。月曜日の朝の恐ろしさを知ると、それを何十年も迎え続けたうえでその姿かと、ますます目を疑う。
ところでゴジラ父は実は、どケチでもある。外でこそ見栄を張って人におごってばかりしているものの、家での生活は実にせせこましいものである。内と外でお金の使い方が180度違い、家族はもちろん「内」側としてケチケチ生活に巻き込まれる。洗面所やトイレなど、家中の電気を消して回る。銀行のATMの手数料、通販などの送料を「べらぼうに高い」と忌み嫌い、絶対に休日のATMは使わせないし、宅配ピザもゴジラ自ら取りに行くのが我が家の出前だ(つまり実質「出前」は許されない)。実家の両親が体調を崩せば、いきなり新しい空気清浄機すら贈るのに、一昨年から悩んでいる電子書籍リーダーは、その10分の1程の値段でも未だ決心が付かないようである。これも大人になって気が付いたが、子供の進学、親の病気、どうしても出ていくお金があるから、その時のために自分の我慢ですむことには、極力使わなかったのかもしれない。どケチ精神も、そうした異常なまでの大黒柱の責任感からならば、文句を言った日々を少し後悔する。
そこまで欲しいなら買えばいい、身体が辛いなら休めばいい、とすぐ思ってしまう私には、たとえ高収入や分厚い筋肉を身に付けたといって、この「ゴジラ感」は出せないのだろう。
さて、昨年ゴジラ父もめでたく還暦を迎えた。それでも75歳までは働きたいとかで、変わらぬ週5勤務体制、休日は朝から室内バイクで汗だくといった様子だが、ゴジラ並みの体重のためか膝を悪くし、近頃はよく眠れないこともあるなど、身体には明らかにガタが出始めている。家族としても、ここまで来たら最後まで「ゴジラ生」を全うして頂きたいので、最近の母は料理にいっそう気を遣い、新しいベッドを導入したりと応援体制だ。
先日、私が人に紹介された整体に行ってきたところ、とても体の具合が良くなったので、お父さんもたまにはどう、と勧めてみた。「そんな、もったいない」と言われることを覚悟していたが、意外にも「行ってみるか」という。承諾されて良かったと思いつつ、やっぱりゴジラ父も歳をとったのか、と思いかけた次の瞬間放たれた一言に崩れ落ちした。
「その小さい身体でも6000円、お父さんでも6000円。我が家として、元をとらんとな」
やっぱり、ただのどけちゴジラ父かもしれない。