第1話
文字数 2,317文字
大学冬休み前日、トモは実家に帰らないと言いだした。暗く沈むその目に焦燥感を覚えた。
俺はその場で思いついた建前を早口で並べる。
「お前ん
言った直後、さすがに図々しい頼み方だと思い、慌てて「一泊でいいから!」と付け足した。
目を見張った後、トモの放った「いいよ」は、彼の暗い瞳からは想像できないほど軽かった。
「でも泊まるなら大晦日にしてくれない?」
「俺はいいけど、いいのか?」
トモは静かに頷いた。
○
大晦日の今日、俺はトモの家で課題レポートを処理している。
トモの部屋は一人で暮らすには申し分ない広さのはずだが、ところ狭しと本が積まれている。
ちらりと積まれた本を見ると、大学の教科書指定された本から小説、エッセイ、投資本、新書まで、さまざまなジャンルの本が混ざっている。
よくこのカオス状態から目当ての本を見つけられるなぁ。器用な奴。
ラジオに耳を傾ければ、お笑い芸人が今年という一年をあらゆる切り口から面白おかしく振り返り、リスナーもそれに応えるようにSNSで盛り上がっていた。
そのお祭り騒ぎも、俺たちのタイピング音が容赦なくぶった切ってしまうのだが。
が、課題レポートが半分片付いたところで俺の集中力がついに途切れた。
こたつに寝そべりながらパソコンを触っていたせいで、腰痛と肩凝りがひどく、眠気を誤魔化すのも限界を迎えていた。
パソコンを閉じ、仮眠を取ろうともぞもぞしているとトモが軽く叱ってくる。
「寒いんだから隙間作らないでよね。電気代食うし」
「悪い、トモ」
トモはこたつのスイッチを入れると、すぐにパソコンと向き合った。
邪魔をしないよう、黙って横になる。服と布団の擦れる音すら耳障りに感じた。
彼の神経が立っているようだ。この重苦しい雰囲気から、嬉々として缶詰めになっていないことがわかった。
缶詰めになった原因を探ってみるも、最近の言動に答えらしきものは見当たらなかった。
彼への第一印象は、世話焼きだ。初対面の俺が風邪をひいたときもそばにいたくらいなので、相当の世話焼きだと思っていた。
しかし、今は第一印象とかなり異なるイメージが強い。
入学して間もなく恋人を作って二週間で玉砕。恋愛に懲りるとサークル仲間と夜通し遊び、元カノの秘密を暴露した小説を部誌に掲載した。
やっと悪趣味な遊びに飽きたかと思えば、アルバイトに明け暮れ、学生の起業説明会に足を運んでいるかと思えば、また恋愛の噂話も小耳にはさんでいる。
とにかく一つの場所にとどまることを知らない。
駄目だ。缶詰めになった理由がさっぱりわからん。
そもそも、俺はトモについてほとんど知らない。
顔を合わせるのは講義前後の休み時間くらいだ。それもお互い合わせてとるのではなく、偶然お互いが同じ講義を受けたときだけ。
当たり障りのない天気の話から始まり、トモの個人的な、恋愛やサークル、起業など当たり障る話に突入すると、彼は独自の見解を言いたいだけ言って、最後は誇らしげに「そういうものだ」と結んでしまう。
とにもかくにもトモはそういうやつだ。そして、俺にとって彼は大学で唯一の友達である。
こうして課題レポートを年内に納めるべく泊めさせてもらってるんだから感謝すべきではある。
そうだ、俺は課題レポート処理を頑張ればいいのであって、トモの事情など知る努力をしなくていい。
疑問を投げ捨てたとき、トモが話しかけてきた。
「仮眠?」
「ああ」
「じゃあ僕も休憩」
トモは大きく伸びをした後、パソコンを閉じて台所に立った。香ばしい香りからしてコーヒーを淹れようとしているらしい。
徹夜する気満々なのだろうか。
寝返りを打って目を閉じて静かにしていると、コトンとマグカップを置く音が二回した。
「置いとくね」
「ああ……。悪いな」
「カフェインは目覚めにいいって聞いたから」
「らしいな」
腕を伸ばしてマグカップの取っ手を探し、口元へ運んでみると、火傷を警告するかのごとく湯気がたゆたう。
マグカップをこたつ台に置き直した。
「なぁ」
「うん?」
「課題レポートどれくらい進んだ?」
寂しくなった口をトモに向かって動かした。彼は物思いに耽ける様子だったが、意外にも穏やかな表情で俺の声に耳を傾けてくれた。
「課題レポートはもう終わったよ。今は小説の直し」
「小説? 来年の学祭用?」
「いいや。ノリで小説大賞に作品を出したら担当編集がつくことになったんだ。受賞は無理だけど頑張ってみないかって誘われてね」
「……へぇ」
驚きのあまり、気の利いた言葉が何も出てこない。
集団に混じって明るく遊んでいると思ったら、こんな根暗な俺にも話しかけてくるような、とにかく社交能力がずば抜けている。そんなとらえどころのないトモが肩書きを得たがるとは思えなかった。
「担当がスパルタなんだよ。二十歳の集いに出たいって言ったら、じゃあ年明けまでにこれだけは直せって、締め切り短くされちゃったよ」
「それで年末年始は帰らないって言ってたのか。それなら俺が泊まって大丈夫なのか? 邪魔じゃない?」
「平気、平気。一人の時間は苦手だし」
俺の動揺に見向きもせず、トモは照れくさそうに笑っている。
一人が苦手なら実家に帰ったほうがよかったんじゃないか、と言おうとしたところでプシュっという音が聞こえた。
体を起こすと、こたつ台の上にはマグカップのほかに缶ビールが置かれていた。
「コーヒーは?」
「気が変わった」
呆れて言葉に詰まった。自由奔放なのは相変わらずだ。
酒をあおったトモは高揚し、怖い雰囲気は消えていた。それどころかぐいぐいと詰め寄ってくる。