第1話

文字数 1,972文字

  2020年ハロウィンの夜、例年より仮装する人の少ない街をほのかは駅に向かって急ぎ足で歩いていた。里奈とは家が反対方向なので、食事した店の前で別れた。
こんな世の中だから互いに楽しい近況報告ばかりではなかったが、卒業式の日に別れが辛くて泣きながら決めた、毎年ハロウィンの日だけは必ず会うという約束を今年も守れたことは嬉しかった。

ほのかは満月の空を見上げた。
「見ると幸運が訪れるブルームーン、か」
月の満ち欠けの周期は29.5日でほぼ一か月だ。だが数年に一度だけ、一か月に二回満月が訪れる月がある。その二回目の満月を、ブルームーンと呼ぶらしい。

「今日は46年ぶりのブルームーンのハロウィン。次は38年後だって。今夜は不思議でラッキーなことがあるかもよ」
里奈の言葉を聞いてほのかは弾んだ声で言った。
「そんなにすごい日なんだ。じゃあ私の前にカッコいい人をどうか連れて来て下さい!」
里奈が聞きたい言葉は知っているが、嘘はつけなかった。今年も彼氏がいなくてごめん。ほのかは心の中で親友に謝った。

5年前、ほのかの彼氏の祐樹は交通事故で亡くなった。
祐樹とは大学で同じ講義を受けていたから自然に距離が近くなり、しばらくして付き合うようになった。出会いは平凡だったが、その後の二人はそうではなかった。前世でも何かの縁があったとしか思えない、そう周囲からからかわれるほど、ほのかと祐樹の仲はよかった。

クリスマスの二日前の深夜、バイト帰りの祐樹のバイクは車と衝突した。全面的に車の方が悪い事故だった。
祐樹は病院に着いて間もなく息を引き取ったが、ほのかがそれを知ったのは翌朝のことだった。事故の連絡に驚き駆け付けた家族が、ほのかの存在を思い出さなかったのは仕方なかっただろう。ほのかにも祐樹の家族を責める気持ちなどなかった。
だがほのかは、祐樹の苦しんだ時間にも息を引き取った瞬間にも何も気付かず眠っていた自分が許せなかった。

「無理に受け取らなくてもいいのよ」
葬儀が終わると祐樹のお姉さんは、祐樹からのクリスマスプレゼントをためらいがちに差し出した。ほのかのこれからを縛りたくなくてそう言ってくれていることは分かったが、以前から自分が欲しかったシルバーの指輪を見てほのかは、祐樹がなぜバイトの数を増やしていたのかに気付いてもっと自分が許せなくなった。


ほのかは駅の前で足を止めた。
やっぱり今夜行こう。5年間訪れることが出来なかったあそこへ。
ほのかは駅に背を向けて走りだした。

祐樹の事故のあった交差点は静かだった。人通りもなく行き交う車もほとんどない。
「やっと来たよ」
ほのかは呟いた。
祐樹が最期に見ただろう景色に囲まれて、ほのかは逃げ出しそうになる自分を励ました。
「祐樹、ごめん」
涙があふれ出た。今まで来れなくてごめん。

「どうして謝るの?」
「・・祐樹」
ほのかは、眼の前の祐樹を見て意外に思っていない自分に驚いた。

「私が何も知らなかったから。事故のこともプレゼントのことも」
「それがほのかをそんなにも苦しめた?」
ほのかはうなずいた。
「ばかだな」
祐樹の笑顔が懐かしかった。

「本当に会いたかった。ここに来たらまた会える?」
祐樹は寂しそうに首を横に振った。
「今日は特別。次のチャンスは38年後だよ。でも僕はずっとほのかの側にいたよ」
「私が気付かなかっただけなの?」
「僕がほのかに気付かれないようにしていたんだ。だけどそろそろお別れだから今夜は最後にどうしても会いたかった。来てくれてありがとう」
ほのかの目から涙があふれた。

「人はね、何度も生まれ変われるんだ。でもその為にはまず大事な人たちに別れを告げなくてはいけない」
祐樹はほのかを心配して今まで旅立たないでいてくれたのだろう、と気付いた。
ほのかは、行かないで、と言いかけた言葉を飲み込んだ。

「行くよ」
ほのかは涙に濡れた顔で無理に笑顔を作ってうなずいた。
心がきしむような音をたてて嫌だと叫んでいた。

「また会えるよ」
「本当?」
ほのかが驚いて聞くと祐樹はうなずいた。
「きっとね。でも僕たちはお互いに気付かないかもしれないけれど」

祐樹はほのかの手を握ると薬指から指輪をそっと抜いた。
「これは僕が持って行くよ。ほのかにはもう要らない」
そう言って祐樹はほのかを抱きしめた。
ほのかは祐樹の腕や体温を感じて思わず目を閉じた。その抱擁は、何度も夢で見たそれと同じだった。

しばらくしてからほのかはそっと目を開けた。祐樹はもうそこにいなかった。
ブルームーンの光が辺りを照らしている。
最高の幸せをもらった。ほのかは心の中で祐樹にも満月にも礼を言った。

これ以上心配させてはいけない。ほのかは空に向かって微笑んで言った。
「祐樹、大丈夫。心配しないで。今度こそさようなら出来る」

ほのかは指輪のなくなった自分の手を見つめ、それから駅に向かってゆっくりと歩きだした。
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