断崖絶壁と深い森《執筆者:鈴鹿 歌音》
文字数 3,510文字
ヒマリとハートは、空に紫がかかり始めた早朝にダイヤシティを出発した。通行量の少ない低木が立ち並ぶ広野をしばらく歩き、山岳地帯に到着した。
『ここから先、デカフォニック
素朴な木材の立て札にヒマリは目を輝かせ、これから行く危険な道を見つめる。それとは、対称的にビクビクするハート。
「……ハート?」
「どうしたの、ヒマリ」
明らかにハートの声が震えているような気がする。崖の方向から視線を反らしているような感じがする。
「ハート、もしかして怖い?」
「ちょっと……ね。でも、ここで立ち止まってられないわ!! 私たちは、何としてでもスペードキングダムに行かなきゃならないんだから!!」
「そうだね!! 行こうよ、ハート!!」
ヒマリとハートは、デカフォニック
「凄い!! こんなところ初めてだよ!! この崖の下ってどんな感じになっているのかな?」
「ヒ……ヒマリ。これ以上は言わないで……」
「どうして?」
ヒマリが不思議そうな表情を浮かべる。それに対して涙目になるハート。それを見たヒマリが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「もしかして、ハートって高いところ怖いんだ……」
「ば……馬っ鹿じゃないの?! この私が高いところが怖いなんてああああああああり得ないじゃないの?!」
顔を赤らめ涙目で抵抗するハート。それを『何、この可愛い娘』と思いながら見つめるヒマリ。
「別に。ハートにも弱点があることが分かってあたしもホッとした」
「そ……そんな事は良いから……。ヒマリ、手を繋いで行くわよ!! ここは、滑落して亡くなる人もいるから」
ハートは、震える手を伸ばし、ヒマリの左手を握った。
「いいよ。あたし、ハートと手を繋ぐのは嬉しいの。何かお姉さんが出来たみたいで」
ヒマリも笑顔でハートの手を握り返した。安心したハートの手の震えも徐々に無くなっていく。
「少しマシになったわ。そろそろ行きましょ」
「そうだね。そういえば、ダイヤシティからスペードキングダムまでどれぐらいの距離があるの?」
ヒマリの質問にハートは、懐にいれていたメルフェールの地図を広げ、ヒマリに説明する。
「今、私たちがいるのは、ダイヤシティを出て2時間ぐらいのところ。だいたいこの辺りね。この辺りは、ダイヤシティとスペードキングダムの国交の経路として使われていたけど今はそんなに利用する人はいないわね」
「どうして利用する人がいないの?」
「それは、この辺りには『奴ら』が出るのよ……」
ヒマリの頭の中でハートの言った『奴ら』のイメージが出来ない。ヒマリの頭の中では、黒くてテカテカした『奴ら』が連想されてしまう。ヒマリは、その『奴ら』とは、メルフェールに来る前に何度も襲撃をかけられては逃げ回っていた記憶がある。ヒマリは、ごくりと息を飲み、ハートに尋ねる。
「その『奴ら』って『ゴキブリ』?」
ハートは、ヒマリの言った言葉に固まってしまった。ヒマリは、「えっ」と短い反応を示したが、時は既に遅し。後の祭りだ。
ハートは、軽く咳き込み、『奴ら』の説明を始める。
「『奴ら』は、賊の事よ。はっきり言ってしまえば窃盗団や犯罪者組織の事ね。その『ゴキブリ』というものは見たことないわね。ヒマリが嫌がるぐらいだから見てみる価値はありそうね」
「それは、あたしが嫌だから勘弁して……」
「まあ、戯れ言はこの辺りにしておいて。今、私たちがいるのは、ハートアイランドの端っこの方にあるデカフォニック
この無法地帯を歩かないとスペードキングダムに行けないとなるとヒマリやハートは、神経を尖らせないといけない。誰も守ってくれる人もいなければ助けてくれる人もいない。犯罪者との戦闘も避けたい。ハートは、ハートアイランドでは『死んだ』扱いになっている。これが理由の一つだ。
「でも、大丈夫だよ。ハートも言った通りここは通行量がほぼないんだよね。じゃあ、後は犯罪者に見つからないように突っ走るだけだね」
「あっ、言うの忘れていたけど1日では行けないわよ」
「えっ?」
「最低でも2日から3日かかるわ」
ヒマリは、1日で行けると思っていたのが大いに外れ、項垂れた。ハートは、何とかしてヒマリを元気付けようとした。
しかし、ヒマリの受けた心のダメージは大きく、数分復活することが出来なかった。
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しばらく歩くと川が流れているのをヒマリたちは、見つけた。
「わーい、川が流れている。あたし、喉渇いちゃった」
ヒマリは、川に近づき、水を掬いあげ、口元に近づけ飲み干す。そのつもりだった。
それをハートは、声を荒らげ制止した。
「ヒマリ!! ここの水は飲まない方が良いわよ!!」
「何故なの? こんなに水が綺麗じゃないない!!
」
「ヒマリ、この辺りの水は酸性濃度が高すぎて
涙目になりながら、ヒマリは川を見つめることしか出来ない。
「本当にごめんね、ヒマリ。このフォニックス川には、生物が全く住めないのよ。人が真水で飲むなんてもっての他ね」
「どうしてこんな事になったの?」
「これもスペードキングダムの軍事開発のせいなのよ」
『軍事開発』という言葉にヒマリにも聞き覚えがあった。ここに来る前に住んでいた所で度々ニュースになっていた気がする。
それがメルフェールでも同じような事があることにヒマリは驚きを隠せない。
「その『軍事開発』についてハートは何か知ってるの?」
「いいえ、全く知らないわ」
ハートは、申し訳なさそうにヒマリに告げる。
「でも、ハートは何も悪くないよ。その『軍事開発』をしているスペードキングダムが悪いんだから」
「一国の女王だった私が知らないのもあれなのよ。それに私をつけ狙うような『奴らも』いるだろうし……」
ヒマリは、「あっ」という短い反応を示す。それをハートは見逃さない。
「確かにそうなのよ。ここには、危険な『奴ら』が多く
ハートは最後まで言葉を繋げる事が出来なかった。誰かの声が響いてくる。
「……て」
ヒマリは、耳をすませる。ハートは辺りを警戒する。
「今、誰かの助けを求める声が聞こえた!!」
「私も聞こえたわ!!」
ヒマリとハートは、更に耳をすませる。その時、大きな声が聞こえてきた。
「きゃぁぁぁぁ!!!! 誰か……助けてぇぇぇぇ!!!!」
ヒマリとハートは、声のする方に向かって走り出した。ハートは、自分が高所恐怖症である事をこの時は忘れていたのかもしれない。それぐらい軽快な動きだった。
フォニックス川沿いを少し上流にあがった所に声の
ハートが恐れていた賊が銀色の長い髪を後ろに束ね、赤褐色の猫目、
この出会いがヒマリとハートにとって未来をも左右する出会いになるとは知らず。