第4話 空美坂を下る

文字数 1,715文字

 涙子さんのため、と勇んで珈琲店の外に出たメダカを、寒空のなかで待っていたのは、茶色いコートを着込んだ金糸雀ラズリだった。

「佐原メダカ。あんた、本当にコノコお姉さまの家に居候しているのね」

「わたし、家もない、天涯孤独の身なんで」

「しれっとした態度で言わないでくれるかしら」

「コノコ姉さんには、会わなくていいの、ラズリ」

「気安く名前で呼ばないでいただけないかしら」

「でも、今回わたしたちはバディを組むみたいだしぃ」

「あー、もう、ムカつく。胃のあたりが本当にムカついてきますわ。ここ空美坂は駅から北、山側にあるでしょう。そのまま駅と線路を越えて海に向かって南へ下っていけば、近江キアラが住み始めた〈住宅街〉がります。そこに徒歩で行きますから、歩きながら話をしましょう。佐原メダカ」

「メダカでいいよ」

「仕方ありませんわ。わたしもラズリで構わないです」

「うぇーい」

「特例ですからね! コノコお姉さまの家に住んでいるのは許しがたし! 今度、わたしをコノコさんの家に呼ぶこと!」

「しかし、なんでコノコ姉さんをお姉さまって呼ぶの?」

「うるさいわね。わたしの命の恩人だからよ! 涙子さんもだけどね」

「むむ。涙子さんも狙ってると見た」

「この野蛮人! なんでも恋愛変換しないでくれないかしら!」

「でも、コノコ姉さんとは付き合いたいんでしょ」

「それは……」

 目が泳ぐラズリを面白がるメダカ。

「まあ、いいって。歩きながら話そうよ」

 

 

 珈琲とお酒の大通りである空美坂を下る二人。

 すれ違う通行人はみな、一様に白い息を吐いている。

 歩いていると厚着をしている服が少し汗ばむ。

 

 

「〈住宅街〉って、空美海浜公園の近くなのかな」

「そうですわよ、メダカ。海浜公園に行ったことは」

「ないよ」

「でしょうね」

 ラズリは顔をほころばせて、

「だってあなた、ドロップアウトしてそうなナリをしてるのに、世間知らずなんですもの。パラドキシカルね」

 と言う。

「そりゃいいね。パラドキシカル・ドロップアウトってね」

「それ、良いですわね。バカっぽくてよろしくてよ。それにね、メダカ。わたしの望みは、それこそみんなでドロップアウトすることなのよ」

「風紀委員なのに?」

「そう。風紀委員なのに、ですわよ。機会をうかがっているの」

「わたしなんかに話しちゃってよかったの、計画立ててるのを」

「コノコお姉さまの家に住んでいるあなたはもう、部外者とは言えなくなっているのも確かだものね。驚かないように、話しておいた方がいいかと思ったのですわ」

 

 空美坂を下り終え、東西に延びる線路を渡る。

 海のある南側へ。

 

 もうすぐ日が暮れそうな時間だ。夕闇が迫っている。

 

 

「そこのコンビニで飲み物おごるわよ。なにがいい、メダカ」

 すっかりメダカと下の名前で呼ばれるようになって、メダカの方も警戒心が薄れる。

 なにか、信頼されているようにも思える。

 短時間、話をしながら歩いているだけなのに。

 

 そして自分の横を歩くこの風紀委員の生徒は、大きな目論見を企てている。そう思うと、メダカも胸が高鳴る。そういうのも、悪くない。

 

 

 コーラと抹茶ラテを買うラズリ。

 コーラはメダカの、抹茶ラテはラズリの。

 

 

「コノコ姉さんは抹茶ラテ好きだよね」

「お姉さまは、抹茶ラテを愛して生きてきたひとですから」

「意味深だなぁ」

「病棟のなかで唯一の楽しみがお茶の時間だったらしいですわ。抹茶ラテを飲むたびに、脱出することを考えたと言いますわ。穴という穴をすべてほじくりまわされるような検査と、実験としての投薬、怪しげな前衛的療法のオンパレードの、その中で」

「コールドスリープ病棟、か」

「ええ」

 二人は一軒家の前に立つ。

「ここが近江キアラが住んでいる場所のようですわ」

 メダカはその一軒家を眺めて、「ふぅん」と興味なさそうな返事をしてから、コーラのプルタブを開けた。
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登場人物紹介

佐原メダカ(さはらめだか)

 朽葉珈琲店で働く元気いっぱいの女の子。

御陵初命(みささぎはつめ)

 生徒会長でジャズミュージシャン。

金糸雀ラズリ(かなりあらずり)

 学園の風紀委員。コノコのことが好き。コノコを「お姉さま」と呼ぶ。

近江キアラ(おうみきあら)

 〈研究所〉の被験体になってしまった少女。

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