決戦
文字数 3,474文字
およそひと月ののち、カリンは央霞に再戦を申し込んだ。
場所は、郊外にある白峰家の所有する土地の一画。
マンションを建てる計画があるとかで更地にする工事が進められており、無関係の人間が寄りつかず、適度なスペースもあるため都合がよかったのだ。
ひと月という時間は、はたして長かったのか、あるいは短かったのか。
ともかく、その期間、カリンはすこしでも央霞との差を埋めるべく力を尽くした。
最初の十日は傷を癒すことに専念した。その中には、《ツバード》を復活させることも含まれていた。
三匹の黒猫は命を共有している。つまり、彼らはべつべつの個体のように見えるが、実は三匹でひとつの生命体なのだ。
だから、完全に滅ぼすには、三匹同時に倒すか、主であるカリンからの魔力供給を断たねばならない。
モルガルデンの《ファシュブ》が、子グモをいくら潰されても平気なのとおなじ理屈である。
それでも、肉体を破壊されれば再生には時間がかかる。それがだいたい、カリンが完治するまでの期間とおなじだった。
次の十日は、なまった身体を鍛え直し、同時に央霞を倒すための作戦を練った。
最後の十日は、作戦を実行するための特訓にあてた。
やれるだけのことはやった。あとは、運を天に任せるのみだ。
カリンは、ゆっくりとまぶたをあげる。
視線の先――央霞は、いつもと変わらぬようすで佇んでいた。
凛とした立ち姿。頭のてっぺんから爪先まで震えが走る。
あらためて思った。
(やだもう……滅茶苦茶怖い)
「なんでこんな面倒なことを」
と、山茶花がぼやく。
彼女とみずき、千姫の三人も、立会人としてこの場に顔を揃えていた。
決闘という隙を衝いて、アルメリアやモルガルデンが襲ってこないとも限らないからである。
「先輩たちは甘いです。殺せとは言いませんが、逆らう気をなくすくらい徹底的に潰しておけば、いちいち戦わなくて済んだのに。そうする機会はいくらでもあったはずでしょう」
山茶花の言葉に、千姫もこくこくとうなずく。
「だいたい、恩知らずじゃないですか。彼女は、央霞先輩に命を助けられたわけですよね?」
「倉仁江さんにもいろいろあるのよ」
みずきは諭すように言った。
「それに、央霞ちゃん自身、彼女と戦うのは嫌じゃないみたいだし」
「む……」
山茶花は不満げな顔をした。
みずき個人としても、積極的とは言い難い央霞の姿勢に、思うところがないわけではない。
けれど、それはあくまで“人間”白峰みずきの持つ常識に引きずられた考えであり、女神アルマミトラの本意ではないような気がする。
他の《欠片の保有者》より、みずきは覚醒が早かった。その分、女神の記憶も多く持っている。
在りし日の女神は、己の被造物たる地表人 が奈落人 と争うことを哀しみつつも、決して奈落人 を憎んではいなかった――どころか、女神は両者の共存をこそ望んでいたふしさえある。
それを慈愛と呼んでいいのかはわからない。
むしろ、人と寄り添うには、あまりに巨大な存在であるがゆえの感覚なのかもしれない。
とりあえずいまは、カリンを助けてよかったと、みずきは思っている。
(央霞ちゃんが《保有者》じゃないこともはっきりしたし)
……それに、悔しいが認めざるを得なかった。
カリンのことを、好ましく思う自分を。
彼女はいつも愚直で、大真面目で、愛する者のために必死だった。
利害が対立してさえいなければ、きっと応援できただろう。
(困ったなあ)
みずきは、腕を組んで嘆息した。
鋼で出来てでもいるっていうの?
こちらは得物を持っているのに、彼女には恐れる気振りすらない。
実際、彼女は素手でカリンと渡り合い、傷ひとつ負うことなくカリンを圧倒していた。
まず、すさまじく目がいいのだ。
カリンがどれほど素早い攻撃を繰り出そうと決して見逃すことはなく、見え見えのフェイントには反応すらしない。
そして、こちらの動きを見切ったうえで対応を可能たらしむる身体能力。
さらには天性とべもいうべき勘のよさでこちらの意図を読み、歴戦の騎士もかくやという的確な判断力で、じわじわと追い込んでくる。
ただただ驚嘆する他ない。
これほどの戦士が存在していたという事実に。
弾丸のように撃ち出される拳を、可能な限り肉厚にした剣で受け止めた。
自ら後方に跳ぶことで衝撃を逃がす。
それでも腕が痺れ、剣はたわんでミシミシと嫌な音をたてた。
(くそ……ッ。動き一つひとつが怖ろしく速い! 一発一発がとてつもなく重い!)
紙一重で凌ぎながら、必死に反撃の糸口を探る。
「丙種。対人、冥翼剗鵬 !」
左手に斧を取り出し、地面を抉った。
カリンに追いすがろうとする央霞の進路上に、無数の石礫が舞いあがる。
一切の躊躇なく、央霞は突っ込んできた。猛スピードで石礫にぶつかれば、すこしはダメージを与えられるかと思ったが、まるで堪えていないようすだ。
ボディを狙った左フック。カリンは身体を折り曲げ、あえて顔を突き出した。央霞の手が一瞬止まる。女の顔は殴らないという、彼女の主義を利用した。
「乙種。対人、静破柳刃 !」
小回りの利く形態に変化させた《ツバード》で、止まった左腕を斬りあげる。浅い。だが、はじめて央霞に傷を負わせた。
圧倒的に戦力で劣るカリンにできること――それは、ひとつでも多くの策を繰り出すことだった。
百のうちの九十九が、千のうちの九百九十九が通じなくてもいい。
たったひとつ。
央霞の思考の上をゆき、虚を衝くことができさえすれば、そこを皮切りに、さらに百、千の策を繰り出す。
聳え立つ岩山も、あきらめず削り続けることで、いつか大穴を穿つこともできよう。
央霞の背後から、槍の穂先が襲いかかる。モルガルデンとの戦いをヒントとし、《アード》に別行動をとらせていたのだ。
それがかわされれば、土を跳ねあげて目眩ましとし、両手の武器の刃をのばして左右同時に斬りつける。その間に《アード》は再度身を隠し、次なる奇襲の機会を窺う。
休むな。息つく暇なく動き続けろ。一手でも多く攻めて、この厚く高い壁に、カリン・グラニエラという存在を刻みつけてやるのだ――
◇
それから、どれほど経っただろうか。
カリンは放心状態で空を見あげていた。
「……くっ……はは…………」
喉の奥から、かすれた笑いが湧いて出る。
「負け……ちゃった……なあ……」
もう、指一本動かす力は残っていなかった。
すべてをふりしぼって立ち向かい、そのことごとくが跳ね返された。
完敗――言い訳の余地もないほどの完敗だった。
「また、いつでもこい」
そう言い残し、央霞は去っていった。
山茶花もなにか言っていた気がするが、そのときは意識が朦朧としていたのでよく憶えていない。
たぶん、結構頑張ったねとか、そんなような言葉だったと思う。
実力以上のものを出しきった末での敗北だったからだろうか。
悔しさはなく、むしろ晴れやかな気分だった。
頭の中では、すでに次の戦いのための計画を練り始めていた。
自分にはまだまだ足りないものがたくさんある。その一つひとつを、これから克服してゆかねばならない。
それは気が遠くなるほどに、果てしない道のりになるだろう。
――だが、いつの日か。
央霞という、とてつもなく高い壁を乗り越えることが出来たとき、もたらされる喜びはいかばかりか。
そう考えると、笑いを抑えることができなかった。
ひとしきり、カリンは大空に向けて大笑した。身体のあちこちに走る痛みすら心地よかった。
笑いながら、カリンはひとつの答えに至る。
はじめは後悔ばかりだった。
家族のためと自分に言い聞かせてはいたが、見知らぬ世界に追放されたという思いは、常についてまわっていた。
使命を果たせずこの地で朽ちるのかと絶望したこともあった。
けれどもいまは、まったくちがう景色が見えている。
央霞が、陽平が、みずきがいるこの世界に、やって来られてよかったと思っている。
想像もしていなかった新たな光。
その中にいるという実感に、カリンは震えた。
「あの子たちにも……見せてあげたいな」
遠く離れた家族を想いながら、そう呟いた。
場所は、郊外にある白峰家の所有する土地の一画。
マンションを建てる計画があるとかで更地にする工事が進められており、無関係の人間が寄りつかず、適度なスペースもあるため都合がよかったのだ。
ひと月という時間は、はたして長かったのか、あるいは短かったのか。
ともかく、その期間、カリンはすこしでも央霞との差を埋めるべく力を尽くした。
最初の十日は傷を癒すことに専念した。その中には、《ツバード》を復活させることも含まれていた。
三匹の黒猫は命を共有している。つまり、彼らはべつべつの個体のように見えるが、実は三匹でひとつの生命体なのだ。
だから、完全に滅ぼすには、三匹同時に倒すか、主であるカリンからの魔力供給を断たねばならない。
モルガルデンの《ファシュブ》が、子グモをいくら潰されても平気なのとおなじ理屈である。
それでも、肉体を破壊されれば再生には時間がかかる。それがだいたい、カリンが完治するまでの期間とおなじだった。
次の十日は、なまった身体を鍛え直し、同時に央霞を倒すための作戦を練った。
最後の十日は、作戦を実行するための特訓にあてた。
やれるだけのことはやった。あとは、運を天に任せるのみだ。
カリンは、ゆっくりとまぶたをあげる。
視線の先――央霞は、いつもと変わらぬようすで佇んでいた。
凛とした立ち姿。頭のてっぺんから爪先まで震えが走る。
あらためて思った。
(やだもう……滅茶苦茶怖い)
「なんでこんな面倒なことを」
と、山茶花がぼやく。
彼女とみずき、千姫の三人も、立会人としてこの場に顔を揃えていた。
決闘という隙を衝いて、アルメリアやモルガルデンが襲ってこないとも限らないからである。
「先輩たちは甘いです。殺せとは言いませんが、逆らう気をなくすくらい徹底的に潰しておけば、いちいち戦わなくて済んだのに。そうする機会はいくらでもあったはずでしょう」
山茶花の言葉に、千姫もこくこくとうなずく。
「だいたい、恩知らずじゃないですか。彼女は、央霞先輩に命を助けられたわけですよね?」
「倉仁江さんにもいろいろあるのよ」
みずきは諭すように言った。
「それに、央霞ちゃん自身、彼女と戦うのは嫌じゃないみたいだし」
「む……」
山茶花は不満げな顔をした。
みずき個人としても、積極的とは言い難い央霞の姿勢に、思うところがないわけではない。
けれど、それはあくまで“人間”白峰みずきの持つ常識に引きずられた考えであり、女神アルマミトラの本意ではないような気がする。
他の《欠片の保有者》より、みずきは覚醒が早かった。その分、女神の記憶も多く持っている。
在りし日の女神は、己の被造物たる
それを慈愛と呼んでいいのかはわからない。
むしろ、人と寄り添うには、あまりに巨大な存在であるがゆえの感覚なのかもしれない。
とりあえずいまは、カリンを助けてよかったと、みずきは思っている。
(央霞ちゃんが《保有者》じゃないこともはっきりしたし)
……それに、悔しいが認めざるを得なかった。
カリンのことを、好ましく思う自分を。
彼女はいつも愚直で、大真面目で、愛する者のために必死だった。
利害が対立してさえいなければ、きっと応援できただろう。
(困ったなあ)
みずきは、腕を組んで嘆息した。
鋼で出来てでもいるっていうの?
こちらは得物を持っているのに、彼女には恐れる気振りすらない。
実際、彼女は素手でカリンと渡り合い、傷ひとつ負うことなくカリンを圧倒していた。
まず、すさまじく目がいいのだ。
カリンがどれほど素早い攻撃を繰り出そうと決して見逃すことはなく、見え見えのフェイントには反応すらしない。
そして、こちらの動きを見切ったうえで対応を可能たらしむる身体能力。
さらには天性とべもいうべき勘のよさでこちらの意図を読み、歴戦の騎士もかくやという的確な判断力で、じわじわと追い込んでくる。
ただただ驚嘆する他ない。
これほどの戦士が存在していたという事実に。
弾丸のように撃ち出される拳を、可能な限り肉厚にした剣で受け止めた。
自ら後方に跳ぶことで衝撃を逃がす。
それでも腕が痺れ、剣はたわんでミシミシと嫌な音をたてた。
(くそ……ッ。動き一つひとつが怖ろしく速い! 一発一発がとてつもなく重い!)
紙一重で凌ぎながら、必死に反撃の糸口を探る。
「丙種。対人、
左手に斧を取り出し、地面を抉った。
カリンに追いすがろうとする央霞の進路上に、無数の石礫が舞いあがる。
一切の躊躇なく、央霞は突っ込んできた。猛スピードで石礫にぶつかれば、すこしはダメージを与えられるかと思ったが、まるで堪えていないようすだ。
ボディを狙った左フック。カリンは身体を折り曲げ、あえて顔を突き出した。央霞の手が一瞬止まる。女の顔は殴らないという、彼女の主義を利用した。
「乙種。対人、
小回りの利く形態に変化させた《ツバード》で、止まった左腕を斬りあげる。浅い。だが、はじめて央霞に傷を負わせた。
圧倒的に戦力で劣るカリンにできること――それは、ひとつでも多くの策を繰り出すことだった。
百のうちの九十九が、千のうちの九百九十九が通じなくてもいい。
たったひとつ。
央霞の思考の上をゆき、虚を衝くことができさえすれば、そこを皮切りに、さらに百、千の策を繰り出す。
聳え立つ岩山も、あきらめず削り続けることで、いつか大穴を穿つこともできよう。
央霞の背後から、槍の穂先が襲いかかる。モルガルデンとの戦いをヒントとし、《アード》に別行動をとらせていたのだ。
それがかわされれば、土を跳ねあげて目眩ましとし、両手の武器の刃をのばして左右同時に斬りつける。その間に《アード》は再度身を隠し、次なる奇襲の機会を窺う。
休むな。息つく暇なく動き続けろ。一手でも多く攻めて、この厚く高い壁に、カリン・グラニエラという存在を刻みつけてやるのだ――
◇
それから、どれほど経っただろうか。
カリンは放心状態で空を見あげていた。
「……くっ……はは…………」
喉の奥から、かすれた笑いが湧いて出る。
「負け……ちゃった……なあ……」
もう、指一本動かす力は残っていなかった。
すべてをふりしぼって立ち向かい、そのことごとくが跳ね返された。
完敗――言い訳の余地もないほどの完敗だった。
「また、いつでもこい」
そう言い残し、央霞は去っていった。
山茶花もなにか言っていた気がするが、そのときは意識が朦朧としていたのでよく憶えていない。
たぶん、結構頑張ったねとか、そんなような言葉だったと思う。
実力以上のものを出しきった末での敗北だったからだろうか。
悔しさはなく、むしろ晴れやかな気分だった。
頭の中では、すでに次の戦いのための計画を練り始めていた。
自分にはまだまだ足りないものがたくさんある。その一つひとつを、これから克服してゆかねばならない。
それは気が遠くなるほどに、果てしない道のりになるだろう。
――だが、いつの日か。
央霞という、とてつもなく高い壁を乗り越えることが出来たとき、もたらされる喜びはいかばかりか。
そう考えると、笑いを抑えることができなかった。
ひとしきり、カリンは大空に向けて大笑した。身体のあちこちに走る痛みすら心地よかった。
笑いながら、カリンはひとつの答えに至る。
はじめは後悔ばかりだった。
家族のためと自分に言い聞かせてはいたが、見知らぬ世界に追放されたという思いは、常についてまわっていた。
使命を果たせずこの地で朽ちるのかと絶望したこともあった。
けれどもいまは、まったくちがう景色が見えている。
央霞が、陽平が、みずきがいるこの世界に、やって来られてよかったと思っている。
想像もしていなかった新たな光。
その中にいるという実感に、カリンは震えた。
「あの子たちにも……見せてあげたいな」
遠く離れた家族を想いながら、そう呟いた。