第2話 憧れの三光鳥
文字数 2,043文字
三つの光の名をさえずる美しい小鳥がいるという。
その声を聞いてみたい、その姿を見てみたい……。
月、日、星、と美しい声で鳴くそうです。
月と太陽と星の三つの光……。
子供心に憧れました。
さて、それから半世紀近く経った現在 では、ちょっと気になったことは何でも即座にネット検索で出てきます。深山に棲む小鳥の声も姿も、いくらでも映像で見ることができるのですから素晴らしい。
三つの光の名を呼ぶからサンコウチョウという名の小鳥も、ようつべ に上げてくださっている人がたくさんいて、いつでもいくらでも鑑賞できて嬉しいです。
しかしあれですね、ぼくが自分が生まれ育った過程において気がつかなかっただけで、録音場所や撮影場所を見てみると、東京周辺の大都市近郊でもけっこう声が聞こえるようです。
ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ、と、”聞きなし”ではそう鳴くことになっています。
”鳴くことになっている”というのはですね、聞きなしというのは、実際にその音を聞きながらその文化圏では「こう表現するという定義があるのだ」ということを教えられなければ、また、その知識を共有している人相手でなければ、まるで通じない表現だからです。
ワンワンと言って外人に通じますか? 相手が英語圏ならバウワウです。
車はブーブー? ズムズムです。クックドゥードゥー? コケコッコー?
Who cooks for you ? て、いや、ふくろうはホーホーでしょ?
今、English と比較しちゃったから本質がぶれちゃいましたが、元に戻すと、たとえば、聞きなしの知識が無い状態でホトトギスの声を聞き、東京特許許可局、と聞こえる人いますか? 本当にウグイスの声は片仮名のホーホケキョなの? 雄鶏はコケコッコーなの? 上手に物まねしようとしたら、そんな片仮名音声を使う人はいないでしょう?
と、ちょっと興奮してきてしまったのはですね、えー、これは世界自然遺産・屋久島でのお話なのですが、地元のおじいさんが、
「最近では鳥の声がちっとも聞こえなくなった。自然がどんどん無くなっている」
とぼくに向かって嘆くのです。で、ぼくは慰めるつもりで言いました。
「はぁ、まだまだ自然いっぱい残ってますよ。ぼくんちなんか真夜中だろうが窓際でホトトギスが大音量で鳴くし、夜明け近くなるとヒヨドリが大騒ぎしてヤマガラが鳴いてサンコウチョウもウグイスも鳴いて、尺八鳩(ズアカアオバト)も歌を歌ってアオゲラの声も聞こえて雉も鳴いて、まだまだもっともっと、毎日すごいことになってますもん」
キセキレイもハクセキレイもカワセミもアカショウビンもコマドリもジョウビタキも、島だからトンビとかの猛禽類も、そして
もう一度言いますが、ぼくは自然が無くなったと嘆くおじいさんを慰めようとして(でも本当のことを)言ったのです。でも、おじいさんは激怒してしまいました。
「嘘つくんじゃねえっ! そんなに鳥が鳴いてるって言うならその鳥の声を鳴いてみせろっ」
くっ……、絶句しました。ぼくは気づいたのです。相手が日本人であろうと、「その鳥はこう鳴く」という聞きなしの定義を”学問的な知識”として持っている人間相手に、さらに”その聞きなしが存在するもの”の音でなければ、本当の音というものを伝えることは実に難しい。リアルな音真似の再現ってなかなかできるもんじゃ有りません。
(あのね、ぼくは江戸屋猫八じゃねーっちゅうんだぞ)
「俺には鳥の声なんかぜんぜん聞こえねえっ!」
ありゃー、マジで怒っちゃった。
安心しておじいさん。島から鳥がいなくなったのではなく、単におじいさんの耳が遠くなっただけですよ、なんて言ったら火に油を注ぐので、現在レベルの激怒と罵倒を甘んじて受け入れることでコトを収めることにしました。
令和4年6月。屋久島でサンコウチョウのさえずりが聞こえてくると、ああ梅雨だなぁ、と感じます。サンコウチョウが鳴かなくなると、夏だなぁ、と。
先日、ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ、ホイホイホイホイ、とサンコウチョウが鳴きました。
ん? でもちょっと違和感。すぐにAmazonプライムで再生中だったガンダム第15話を少し戻すと……、ああやっぱり。サンコウチョウが鳴いたのは、アムロが目覚めたククルスドアンの島でした。
トリコとルフィーが出会ったときにも鳴いてたし、YAWARAちゃんが行くところ、吉祥寺でも渋谷でもソウルでも、日本のアニメを見ていると、小鳥の鳴くシーンではサンコウチョウの声ってやたら多いな、と思います。ぼくは小さな頃からサンコウチョウに憧れてたけど、実は声だけは昔からかなり聞いてたってことだなぁ、とあらためて思うのです。
その声を聞いてみたい、その姿を見てみたい……。
月、日、星、と美しい声で鳴くそうです。
月と太陽と星の三つの光……。
子供心に憧れました。
さて、それから半世紀近く経った
三つの光の名を呼ぶからサンコウチョウという名の小鳥も、
しかしあれですね、ぼくが自分が生まれ育った過程において気がつかなかっただけで、録音場所や撮影場所を見てみると、東京周辺の大都市近郊でもけっこう声が聞こえるようです。
ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ、と、”聞きなし”ではそう鳴くことになっています。
”鳴くことになっている”というのはですね、聞きなしというのは、実際にその音を聞きながらその文化圏では「こう表現するという定義があるのだ」ということを教えられなければ、また、その知識を共有している人相手でなければ、まるで通じない表現だからです。
ワンワンと言って外人に通じますか? 相手が英語圏ならバウワウです。
車はブーブー? ズムズムです。クックドゥードゥー? コケコッコー?
今、
と、ちょっと興奮してきてしまったのはですね、えー、これは世界自然遺産・屋久島でのお話なのですが、地元のおじいさんが、
「最近では鳥の声がちっとも聞こえなくなった。自然がどんどん無くなっている」
とぼくに向かって嘆くのです。で、ぼくは慰めるつもりで言いました。
「はぁ、まだまだ自然いっぱい残ってますよ。ぼくんちなんか真夜中だろうが窓際でホトトギスが大音量で鳴くし、夜明け近くなるとヒヨドリが大騒ぎしてヤマガラが鳴いてサンコウチョウもウグイスも鳴いて、尺八鳩(ズアカアオバト)も歌を歌ってアオゲラの声も聞こえて雉も鳴いて、まだまだもっともっと、毎日すごいことになってますもん」
キセキレイもハクセキレイもカワセミもアカショウビンもコマドリもジョウビタキも、島だからトンビとかの猛禽類も、そして
モノの本
では屋久島にはいないことになっているスズメもいるし、メジロの大群も垣根を占領してるし、そりゃあ渡りの季節があるから春夏秋冬の変化はあるけど、そのおじいさんと話した頃合は、セリフの括弧の中のような状態でした(具体的には梅雨時ですね)。もう一度言いますが、ぼくは自然が無くなったと嘆くおじいさんを慰めようとして(でも本当のことを)言ったのです。でも、おじいさんは激怒してしまいました。
「嘘つくんじゃねえっ! そんなに鳥が鳴いてるって言うならその鳥の声を鳴いてみせろっ」
くっ……、絶句しました。ぼくは気づいたのです。相手が日本人であろうと、「その鳥はこう鳴く」という聞きなしの定義を”学問的な知識”として持っている人間相手に、さらに”その聞きなしが存在するもの”の音でなければ、本当の音というものを伝えることは実に難しい。リアルな音真似の再現ってなかなかできるもんじゃ有りません。
(あのね、ぼくは江戸屋猫八じゃねーっちゅうんだぞ)
「俺には鳥の声なんかぜんぜん聞こえねえっ!」
ありゃー、マジで怒っちゃった。
安心しておじいさん。島から鳥がいなくなったのではなく、単におじいさんの耳が遠くなっただけですよ、なんて言ったら火に油を注ぐので、現在レベルの激怒と罵倒を甘んじて受け入れることでコトを収めることにしました。
令和4年6月。屋久島でサンコウチョウのさえずりが聞こえてくると、ああ梅雨だなぁ、と感じます。サンコウチョウが鳴かなくなると、夏だなぁ、と。
先日、ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ、ホイホイホイホイ、とサンコウチョウが鳴きました。
ん? でもちょっと違和感。すぐにAmazonプライムで再生中だったガンダム第15話を少し戻すと……、ああやっぱり。サンコウチョウが鳴いたのは、アムロが目覚めたククルスドアンの島でした。
トリコとルフィーが出会ったときにも鳴いてたし、YAWARAちゃんが行くところ、吉祥寺でも渋谷でもソウルでも、日本のアニメを見ていると、小鳥の鳴くシーンではサンコウチョウの声ってやたら多いな、と思います。ぼくは小さな頃からサンコウチョウに憧れてたけど、実は声だけは昔からかなり聞いてたってことだなぁ、とあらためて思うのです。