その1 事件前夜
文字数 2,408文字
玄関のドアの横、うちのアパートで言えばレンガの壁になっているところに、奇怪な落書きが発生した。
鉛筆書きで、たぶん訪問販売の人が目印につけていくアレなんだろう。
……と、友人に言ったら、すごい剣幕で言われた。
「あんたそれ、窃盗団とか空き巣とかの目印かもしれないじゃん。あんたの情報が暗号になってるかもしれないから、すぐ消した方がいいよっ。それと警察にも言っといた方がいいって。怖いんだよー」
窃盗団とか空き巣が仲間同士に伝え合う暗号だとしたら、確かに怖い。
それでわたしは消しゴムを持って玄関に回る。
が、消えない。鉛筆じゃないもので書かれているのかもしれないな。
自分のうちに落書きをされるのは、訪問販売でも窃盗団でも嫌なものだ。
しかもその意味が分からないのは気持ちが悪い。
せめて、残された暗号の意味が分かればいいのだけど。
ふと思った。他のうちには、何か落書きされてないのだろうか。
わたしだって、今日はじめて気づいたのだ。いつ落書きされたものやらわからない。もっと前からあったのかもしれない。
だから、アパートの他の住人の部屋にも、変な落書きがされているかもしれないじゃないか。
時刻は午前10時。今日は平日。
アパートの住人は皆、仕事に出払っているはずだ。
わたしは早速、検証に乗り出した。
それで、デジカメで撮った写真を友人に見せて一緒に考えることにする。
2階建て6部屋の安アパートだが、落書きがあったのは、四部屋。
空き部屋が二つで、そこには何も書かれていなかったから、人が住んでいるところには漏れなく何かが書き込まれていたことになる。
だとしたら、やっぱり訪問販売かなー。
「わかんないわよっ、ほらこれ見て」
と、熱心に友人は一枚の写真を叩きつける。
102号室のレンガに書き込まれていたのは、妙な逆三角形(?)のようなものだ。上になっている辺の下には、リボンのようなマークが書き込まれていた。
……ん?逆三角形、じゃない。
「おパンティーよっ、これっ。下着ドロの仕業に違いないわっ」
青筋を立てて友人は言った。
下着ドロか。確かに102号室には、めちゃくちゃ可愛らしいOLが独り暮らししているけれど。
「……じゃあ、これは」
わたしが差し出した一枚を見て、友人はちょっと首をひねった。
木の枝のような?
アルファベットのLを逆さにしたようなラインが二重になっており、ちょうど角になっているところに何本かラーメン状の短いラインが書き込まれている。
……これこそ暗号臭いけれど、なんか違うような?
「これは、人間のワキを意味していると思うんだけど」
次第に嫌そうな顔になって、友人は言う。
「なんだろうね、何がいいたいのかわかんなくなってきた」
否、わたしには分かる。これは201号室の住民を表しているのに違いない。貧相な中年男性で、7時頃、よれよれのワイシャツで出勤してゆくのだけど、そのワイシャツは、あんまり洗っていないみたいだ。何度かすれ違ったことがあるのだけど、あのかほりは。
「ああっ、これなんか怪しいよっ、なにこれっ」
友人が指し示したのは、203号室の写真だ。
なんだこれ。アルファベットと漢字と、ブタのイラストだ。
Fri 夕 ブタ。
うーん?
「これこそ暗号だわっ、危ないわよこの部屋、狙われてるっ」
友人は騒いだが、わたしははたと思い当たる。
そうだ、このうちは、毎週金曜日の夕方には必ず肉を焼いている。
ものすごいにおいをたてて焼きまくっているから、ああ肉を食うんだなってすぐに分かるんだ。
「……牛肉じゃなかったのかー」
思わずつぶやいたわたしに、友人は「?」な視線を送る。
最後がうちの写真なのだけど、今までの解釈からすると、こ、これは。
「これって、どう見てもうんこだよね、ソフトクリームじゃないよね」
と、友人がまじめな顔を近づけてきた。
三回くらい巻いてある。上の方の、ツンとなったところから、ラーメン状の波線が三本、ふわふわと出ていた。
「あんたっ、狙われてるわっ」
びしとわたしの顔に指をつきつけて友人は何故か勝ち誇ったように言った。
「うんこすなわち金運の象徴!敵はあんたを金持ちと見なしたのよ。このうちにはカネがある、その暗号よ」
「……いや、違うだろう」
わたしは興奮している友人に、静かに言った。
落ち着けや。どう見たら、この安アパートの汚い部屋に、金があるなんて思うんだ?
それにだな、この絵の意味は……。
四六時中かいでいるから気にならないとはいえ、部屋の中に漂う匂いに、友人たちはみんな一瞬顔をしかめるものだ。
古いアパートの角部屋のトイレにはよくある現象なんだよなー。
流したはずのうんこが、忘れた頃にポッカリ浮かんでくるんだ。
しかも、そのうんこは必ずしも、わたしが出したものじゃないって、知り合いの業者が言ってた。
ほかの部屋の住人のうんこが、ぽっかりと浮いてくることだって、あり得るんだって。
だから、わたしの部屋のトイレは、常にうんこが浮いている。
訪室した友人がトイレを使う際は、とりあえず一言言うことにしている。絶対にうろたえて出てくるからな。
OLの住む部屋は、たぶん、下着が散乱してるのかもしれん。
可愛らしく見えるが汚部屋なのかもしれないな。
ワキガのおじさんは部屋に入らなくても分からあ。
金曜日の焼き肉の人は、豚肉ばかり食ってる、と。
で、うちは、うんこの家である、と。
……。
「何の目的で書き込んだんだろうなー」
それが最大の謎なのだが。
友人は一人で「窃盗団よっ、あんたっ、すぐに防犯カメラ買ってきなっ」と、盛り上がっていた。
鉛筆書きで、たぶん訪問販売の人が目印につけていくアレなんだろう。
……と、友人に言ったら、すごい剣幕で言われた。
「あんたそれ、窃盗団とか空き巣とかの目印かもしれないじゃん。あんたの情報が暗号になってるかもしれないから、すぐ消した方がいいよっ。それと警察にも言っといた方がいいって。怖いんだよー」
窃盗団とか空き巣が仲間同士に伝え合う暗号だとしたら、確かに怖い。
それでわたしは消しゴムを持って玄関に回る。
が、消えない。鉛筆じゃないもので書かれているのかもしれないな。
自分のうちに落書きをされるのは、訪問販売でも窃盗団でも嫌なものだ。
しかもその意味が分からないのは気持ちが悪い。
せめて、残された暗号の意味が分かればいいのだけど。
ふと思った。他のうちには、何か落書きされてないのだろうか。
わたしだって、今日はじめて気づいたのだ。いつ落書きされたものやらわからない。もっと前からあったのかもしれない。
だから、アパートの他の住人の部屋にも、変な落書きがされているかもしれないじゃないか。
時刻は午前10時。今日は平日。
アパートの住人は皆、仕事に出払っているはずだ。
わたしは早速、検証に乗り出した。
それで、デジカメで撮った写真を友人に見せて一緒に考えることにする。
2階建て6部屋の安アパートだが、落書きがあったのは、四部屋。
空き部屋が二つで、そこには何も書かれていなかったから、人が住んでいるところには漏れなく何かが書き込まれていたことになる。
だとしたら、やっぱり訪問販売かなー。
「わかんないわよっ、ほらこれ見て」
と、熱心に友人は一枚の写真を叩きつける。
102号室のレンガに書き込まれていたのは、妙な逆三角形(?)のようなものだ。上になっている辺の下には、リボンのようなマークが書き込まれていた。
……ん?逆三角形、じゃない。
「おパンティーよっ、これっ。下着ドロの仕業に違いないわっ」
青筋を立てて友人は言った。
下着ドロか。確かに102号室には、めちゃくちゃ可愛らしいOLが独り暮らししているけれど。
「……じゃあ、これは」
わたしが差し出した一枚を見て、友人はちょっと首をひねった。
木の枝のような?
アルファベットのLを逆さにしたようなラインが二重になっており、ちょうど角になっているところに何本かラーメン状の短いラインが書き込まれている。
……これこそ暗号臭いけれど、なんか違うような?
「これは、人間のワキを意味していると思うんだけど」
次第に嫌そうな顔になって、友人は言う。
「なんだろうね、何がいいたいのかわかんなくなってきた」
否、わたしには分かる。これは201号室の住民を表しているのに違いない。貧相な中年男性で、7時頃、よれよれのワイシャツで出勤してゆくのだけど、そのワイシャツは、あんまり洗っていないみたいだ。何度かすれ違ったことがあるのだけど、あのかほりは。
「ああっ、これなんか怪しいよっ、なにこれっ」
友人が指し示したのは、203号室の写真だ。
なんだこれ。アルファベットと漢字と、ブタのイラストだ。
Fri 夕 ブタ。
うーん?
「これこそ暗号だわっ、危ないわよこの部屋、狙われてるっ」
友人は騒いだが、わたしははたと思い当たる。
そうだ、このうちは、毎週金曜日の夕方には必ず肉を焼いている。
ものすごいにおいをたてて焼きまくっているから、ああ肉を食うんだなってすぐに分かるんだ。
「……牛肉じゃなかったのかー」
思わずつぶやいたわたしに、友人は「?」な視線を送る。
最後がうちの写真なのだけど、今までの解釈からすると、こ、これは。
「これって、どう見てもうんこだよね、ソフトクリームじゃないよね」
と、友人がまじめな顔を近づけてきた。
三回くらい巻いてある。上の方の、ツンとなったところから、ラーメン状の波線が三本、ふわふわと出ていた。
「あんたっ、狙われてるわっ」
びしとわたしの顔に指をつきつけて友人は何故か勝ち誇ったように言った。
「うんこすなわち金運の象徴!敵はあんたを金持ちと見なしたのよ。このうちにはカネがある、その暗号よ」
「……いや、違うだろう」
わたしは興奮している友人に、静かに言った。
落ち着けや。どう見たら、この安アパートの汚い部屋に、金があるなんて思うんだ?
それにだな、この絵の意味は……。
四六時中かいでいるから気にならないとはいえ、部屋の中に漂う匂いに、友人たちはみんな一瞬顔をしかめるものだ。
古いアパートの角部屋のトイレにはよくある現象なんだよなー。
流したはずのうんこが、忘れた頃にポッカリ浮かんでくるんだ。
しかも、そのうんこは必ずしも、わたしが出したものじゃないって、知り合いの業者が言ってた。
ほかの部屋の住人のうんこが、ぽっかりと浮いてくることだって、あり得るんだって。
だから、わたしの部屋のトイレは、常にうんこが浮いている。
訪室した友人がトイレを使う際は、とりあえず一言言うことにしている。絶対にうろたえて出てくるからな。
OLの住む部屋は、たぶん、下着が散乱してるのかもしれん。
可愛らしく見えるが汚部屋なのかもしれないな。
ワキガのおじさんは部屋に入らなくても分からあ。
金曜日の焼き肉の人は、豚肉ばかり食ってる、と。
で、うちは、うんこの家である、と。
……。
「何の目的で書き込んだんだろうなー」
それが最大の謎なのだが。
友人は一人で「窃盗団よっ、あんたっ、すぐに防犯カメラ買ってきなっ」と、盛り上がっていた。