第8話 異臭の街とネズミ

文字数 1,973文字

「…くさいね」

 えりかは、鼻をつまんでいる。なれるしかない事を何度か伝えたが、女性にとっては耐えがたい匂いなんだろう。くみ取り式のトイレの様な匂いがどこに行っても充満している。拠点にしている宿屋まではまだ距離がある。

「仕方ないさ。ボクらの知っている世界なら800年程は遅れている。しかも、イタリヤやギリシャの都市国家と違って下水道の考え方が進んでいない」
「さっきの教会の中だけだよ。まともな匂いのする所…」
「同感だよ。けれども、ボクも驚いたよ。まさか、宿屋にトイレがないとはね」
「あのおまるみたいのにためて、夜のうちに窓から捨てろってさ」
「便意を催したらお互いに余裕を持って伝えよう。せめてその間は霊体化して退出し合おう」
「ぜったいに…」
「わかった。わかったよ。覗かないから」

 宿屋に着く。帰宅を主人に伝え部屋に入る。お互いに手持ちのスクロールを確認する。この世界では羊皮紙を調達するだけで大ごとだ。また、魔法回路を描くためのマナには満ちていても、感知できる範囲に魔法使いがいない。魔術師の気配すらない。スクロールをつくるだけで、神様あつかいされかねない。

「覗かない為にも、鷹の目は預けるよ」
「はい、性欲に負けて覗かない為に預かります」
「お互いに転移スクロールは3本ずつ持とう。会うたびに残りは確認し合う事」
「基本は一緒の行動になりそうだけどね」

 女性の単独行動はほとんど見られない。食事用の机に確認の為にあげられたスクロールはそれぞれの収納スペースへと納められた。転移型のチェストの使用も控えている為、補給なしで乗り切ると考えたら数回のスクロールでの魔法で仕事を終えなければならない。

「銀貨は2等分しておこう」
「なんでかな。基本は一緒だって言わなかった」
「いや、ボクが持っているお金が少なく見える様にした方が良い」
「なるほどね。じゃあ持っておくけど、盗まれるリスクは」
「ボクも似たようなものさ」

 調合用に集めた材料を机に広げる。街全体が異臭に包まれているので気にならないが、毒物の匂いは嗅ぎなれない。吸熱反応なのだろう、部屋の温度が下がった気がする。

「少し弱めにつくろう」
「効きすぎると良くないって事なのぉ」
「そうなんだ。日本でもこっくりさんにお揚げを備えるでしょ」
「ああ、あの神社とかの狐もそれなんだっけ」
「うん。ザックリはそれであってるとボクは思ってる。あのお揚げってネズミの素揚げが元ネタみたいだよ」
「って、事は食べてたって事」
「たぶんね。とってもお腹が減ってどうしようもない人はね。飢饉の時は、人も何でも食べるからね。ボクたちが救おうとしているのは、100人を超える子供だから」
「子供が食べない様にって事だよね」
「食べても簡単には死なないけど、やっぱり、下痢になるしね」

 ネズミ用の毒だんごレシピを現地の言葉でしるす。主人に毒の減量は作ればいくらでも売れるから試して欲しいと伝えた。

「明日からはどうするの」
「あと3人から、いんじってのをもらう必要がある。赤いロウに押し付けてたあのスタンプみたいなやつだよ。そして、証明書を完成させたら古城の視察だね」
「本当にあの神父、お金と馬車を用意すると思うの」
「するさ、教皇にだってなれる秘密を教えてあげたのだから」
「もっと教えてくれって言われないの」

 確かに、弁論だけで紋章付きの馬車と証明書、そして、活動資金を約束させてしまった。約束は履行されないと意味がない。馬車が届くまでの時間はさすがに不安だけど。

「言われる前に、全部終わらせて帰ろう」
「それ、無計画って事ですか」
「…いや、これ以上は策がないから果報は寝て待てだね」

 インキュベーターとして、たくさんの訪問面談をして来たことがこんな形で役立つとは思わなかった。魔法が使えないと効力を持たないギアススクロールを異端審問官も兼務する神父に預けて、活動への支援をお願いした。嘘はついていない。

「ねぇ、お客さんだよ。起きて」
 夜明けと共に起こされる。あの後、寝てしまった様だ。よく見ると、えりかの髪がはねている。目をこすりながら玄関へと向かうとウマの鳴き声がする。そこには、2頭引きの馬車がある。

「あの神父、本当に出世がしたいんだな」
「先生が言ってたよね。人は信じたい事を信じるって」
「うん。ここまでだとは思わなかったけど」

 ご丁寧に「ほろ」まで付いている。納品してくれた目の下にクマをつくった従者が右の白と黒模様の馬が「ラッコ」という名前で、左の茶色い馬が「クマ」だと説明する。インキュベーターだから翻訳して聞こえるが、この世界を創った作者は名前まではこだわらなかった事に笑ってしまった。この先、動物をカタカナにした人にも会うのだろう。

「先生、手紙の署名…」

 野心家の神父の名字は「皇帝ペンギン」と書いてある。
 言葉を失っているとクマが鳴いた。
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登場人物紹介

コアラの叡智……インキュベーター。心優しく、死ぬ運命にあった魔法少女ちゃんを弟子として引き取った。

魔法少女ちゃん……死ぬ運命にあった女の子。現在は一人前のインキュベーターを目指して勉強中。

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