春を愛する人

文字数 7,741文字

  『春を愛する人』

  ⁂

 少し先を歩く娘が時折立ち止まりスマホで桜の写真を撮っている。隣を歩く妻は眩しそうに空を見ていた。そこに目を向けると青空に薄い雲がいくつかあった。陽光が春らしさを演出しているようで良い気分でいた直後突風が吹く。妻の顔が長い髪で覆われるように乱れる。まだ寒いね、と言った妻は何事もなかったかのように乱れた髪を手で整えてから開いていたコートのボタンを閉じた。気持ちよく晴れていたが吹く風はまだ冷たい。寒がりの私はダウンジャケットを着てきて正解だった。通り過ぎる人たちの表情も寒さに顔をしかめている者もいるが、大半はどこか晴れやかに見える。桜のおかげだろう。環状八号線の通りにある都内のこの公園はテレビで見て知り、ここ二、三年は桜の季節になると家族で毎年来ている。敷地内に800本以上あるという桜の木々は圧巻で、芝生も広がり開放感があってとても良い。この日は学校が春休みのため家族連れの姿も多く、子どもたちの明るい声がどこにいても聞こえてくる。
  私たちは桜の木々を見ながら一〇分ほど歩いて座れる場所をようやく見つけた。持ってきたシートを芝生の上に引き、来る途中コンビニで買った弁当を食べた。妻は缶ビールを飲むが、私は車を運転するので雰囲気だけでもと缶のノンアルコールビールにした。プルタブを開けて口をつける。しかし全部は飲みきれず半分以上残ったものを妻に渡すと、飲めないなら買わないでよと口を尖らせる妻に謝る。あんたそれいつまで食べてんのよ。娘はサンドウィッチを食べながらスマホを見ていて妻の小言には耳を貸さない。深いため息をついた妻は手に持つ缶ビールをくいっと飲むと、弁当の唐揚げを箸でつまみ口へと運ぶ。とても美味しそうに食べる。昔から変わらない。変わったのは、出会った頃よりも体型がずっとふくよかになったことくらい。それも時間の流れで仕方のないことだ。
  桜の花びらがひらひらと舞い落ちて妻の肩に付いた。そのことに妻は気づいてなく、私が指さして肩に付いていることを知らせると、妻は嬉しそうにそれを指先で丁寧につまんで娘にみせた。しかし娘は一瞥しただけで興味を示さず無言のままスマホの画面に視線を戻したため、何よ風情がないわねぇと妻は言う。私も何も言わず目を遠くにやった。視線の先には十人くらいの子どもたちがボール遊びをしていた。しばらくぼんやりとそれを眺めていたが、妻の鼻歌が聞こえてきたのがきっかけとなり、頭の中にある疑問が浮かんだ。歌のタイトルはわかる。四季の歌だ。ただその疑問の答えが何通りか浮かんでいるのだがはっきりとしない。
「お父さん、春を愛する人はね」
「ちょっと待った!」
  続きを言おうとする娘の言葉を止める。
「去年もそんなこと言ってなかった?」
  妻がそう言った。
  そうだ。覚えている。あゝ忘れていたな、と独りごちる。
  もういない友人の顔がぼんやりと滲んで広がるように輪郭をつくる。当時のことを思い出して感傷的な気分になった。

  ⁂

  二〇年。ずいぶん長い時間が流れたものだ。私から過ぎていった人や記憶を振り返るように思い出そうとしてもなかなかうまくいかないのは、以前と違って過ぎていくものが少なくなったせいなのか。それは変わりばえのないいつもの日常が固まり、過ぎていったものを記憶の奥底に押し込んでいくからなのか。毎日仕事に追われ、汗を流し、出世を夢見て、家族のために生きていくことに何の疑いもなくなった。そんな普通の日々を繰り返し送っている。普通が一番だ、と昔の仲間がのこしたその言葉が今では骨身にしみて理解できるようになった。私も年を取ったのだ。
  ただ普通の日々は決して単調ではない。
  まっすぐ進んでいるようにみえても、実際は時折ぶれて変化する。

  ⁂

  昨日、二〇年ぶりに高校時代の仲間に会った。共にサッカー部で冬の国立を目指して汗を流した男だった。彼とは高校を卒業してから二、三年は部活の奴らと遊びに出かけたりしていた。彼は進学もせずフリーターとしてアルバイトをしながらその間過ごしていたが、ある日突然沖縄へ経ったという知らせを友人の伝手で聞いた。一緒に遊んでいた仲間たちの誰にも知らせずに彼は沖縄へいったのだ。なぜ沖縄なのかはわからない。彼は生まれも育ちも沖縄とは縁がなかった。その知らせ以降、彼とは音信不通になった。
  それから何年も経って別の友人のもとに年賀状が届いたことを聞いた私は、仲の良かった三人の仲間と共に群馬までレンタカーで向かった。その友人は就職を機に群馬に住んでいた。
  二月のひどく寒い日だったのを覚えている。大渋滞の環状八号線を抜けて練馬のインターから関越自動車道に乗り、友人の住む高崎で高速を降りた。
  そこまでして直に年賀状を見たかったのは、沖縄にいった彼が本当に生きているという証をこの目で直に確かめたかったからだ。
  実際、彼の家族に訪ねても知らないの一点張りで何の情報も得られなかった。彼の携帯に電話をしても「この電話番号は現在使われておりません」と案内の女性の乾いた声しか聞こえて来ず、当時の我々を悲しくさせた。本当は失踪したのではないか。はたまた彼は事件に巻き込まれて死んでしまっているのではないか。そんな根も葉もない噂がいつしか仲間うちで流れていた。本当かどうかわからない話はするなよと誰かが怒り、それ以来気にはしていても彼の話題は出なくなった。
  でも我々は、私は薄情な男だ。実際に群馬の友人のアパートで彼からの年賀状をみたら安心し、それっきりだった。
  まぁ生きていればそのうち会えるよ。
  その言葉ははっきりと覚えている。群馬の友人がそう言った。みんな頷いていた。酒を呑んで酔っていたのもあるだろう。そこでどんな話をした? どこかその記憶は曖昧で、群馬の友人の顔も記憶の中で滲んでいる。思わず吐息がもれる。心にあたたかいものがこみ上げてくる。
  生きていればそのうち会えるよ。
  その言葉を反芻する。
  そういえば、お前は春が好きだったな。
  お互いが気兼ねなく連絡をしあわなくなったり、誘わなくなったり、つまり何かにかこつけて遠慮したり気を遣うことで、したいことができなくなるような関係になったら、その関係はすでに終わっているのかもしれない。

  ⁂

「久しぶりに会えないかな」
 いくら友人でも、二〇年も会っていないと何か裏があるのかと疑心になる。宗教か詐欺か。会話をしながらもいろんなことを考えた。交わすその言葉らは表面をなぞっているように社交辞令的に展開をしていたので、携帯をあてている耳だけがじんわりして熱を持っているかのようだった。五分程度の会話の内容から、そいつがそいつであることは確認できた。まぁそいつもそいつで、疑われることを承知で電話をしたことはわかる。それはそうだ。二〇年ぶりなのだ。おそらく彼は考えに考えぬいた結果、「久しぶりに会えないかな」という言葉を選んだのであろう。私が逆の立場であったらどんな言葉を選んだのか。彼が発したその言葉ですら口から出す勇気もなく、飲み込んだかもしれない。そうしたら私たちの人生の道は再び交わることなく、平行線のままだった。
  待ち合わせの場所は目黒だった。彼の泊まっているホテルがその場所にあったからという理由でそこにした。
  その日は朝から冷たい雨が降り、手に持っていたビニール傘が煽られるほど風も強く、三月にしては真冬並み寒かった。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んでも手がかじかんで時折息を吹きかけた。
  改札口から出てくる人たちの中から彼を探す。大きな人の流れが四、五回あったが、その中に彼の姿はない。携帯に連絡してもコール音が鳴るだけで電話に出ない。もしかしたら東急の方で待っているかもしれない。そう思ったら勝手に足は東急の方へ向いていた。構内から外に出て傘を広げ、地面の窪みにできた水たまりを避けるように歩いた。通りで信号待ちをする間も向こう側に彼がいないかどうかを目を細めて確認する。傘に雨粒が当たる音、通りを往来する車の音が続いた。信号が青になると小走りで横断歩道を渡り、東急の改札口がある地下へと続く腕時計をみるとまもなく約束の三時になる。

  ⁂

「久しぶりだな」
  声の方向をみると彼が立っていた。思わず上体を仰け反らせてしまった。改札口ではなく真横から突然彼は現れた。突然のことに驚いたが、ただすぐに彼だとわかった。
「元気そうだな」
  彼が手を差し出してきたので、私たちは握手をした。
  ツバの白いベースボールキャップを被り、肩までかかるほど髪が伸びている。黒のダウンジャケットを着て、薄汚れたジーンズといった格好だった。
  長い髪は高校時代からの彼のトレードマークだった。尊敬するサッカー選手は、元日本代表の岡野。その岡野と同じように彼もまた足は陸上部よりも速かったし、同じように試合でも秘密兵器として温存されていた。岡野と違うのは、最後の引退試合まで秘密兵器で終わったことだ。彼のことを小馬鹿にしたような話だが、それは当時の仲間内で笑い話のネタになっていた話だった。
「そんな悲しいこと思い出さすなよ。もう何十年も前のことやんけ」
  と彼は嬉しそうに上ずった声で言う。時折意味不明な関西弁を使うのも当時と変わらない。私たちは駅から五分ほど歩き、何軒かの飲食店がある地下街の居酒屋に入り飲んでいた。
「だって当時お前先輩達から、野人って言われてたろ? 後輩たちも陰で言ってたの知ってたか?」
「知らんよ」
「でもさ、体育祭はお前いつもヒーローだったもんな。二年のときのリレー戦、お前アンカーで最下位からの怒涛の五人抜き。あれは凄かった」
「そんなことあった?」
「それも覚えてないのか? あれは俺の中では伝説のひとつだよ。お前に抜かれた陸上部のエースがうちのクラスの代表で、お前にゴール直前で抜かれて泣いてたぞ」
「あゝそんなこともあったかァ。あの直後、陸上部の顧問からの勧誘がしつこかったのを覚えてるワ」
  それからも昔話に花が咲いた。はじめうちはぎくしゃくした会話が続いたが、部活の話など入ってからはつい最近も同じような話をしていたと錯覚するくらいだった。本当に二〇年ぶりとは思えないほどにいろんな話をした。私が沖縄でどんな風に過ごしたのか、また今何をしているのかをもかいつまんで話した。彼はしっかりと聞き、時々茶化しながら笑ってくれた。私はなんだか嬉しかった。懐かしさもあったのだろうか。楽しかった。話していてふと泪がこぼれそうになることもあった。その度に彼に気づかれないようにおしぼりで口を拭うのと同じ動きの流れで目尻に溜まった泪を拭った。友達であれば、会っていない時間の長さなど関係なしに一気に飛び越えて、距離を詰められるものなのだろうか。もちろんこうして会って話して飲めるという彼の寛容のある性格も大きいのだろうが、まぁその他の奴らと飲んだとしても同じようなことを思うのかもしれない。でもこのように関係性を分析すること自体小賢しいのだと思った。昔の友達は、今も友達でいいじゃないか。
「そういえば何でお前スーツなの?」
  急な彼の質問に、ちょっとな、と言葉を濁した。瓶ビールをグラスにゆっくりと手酌をした。その間彼は黙ったまま煙草を吸っている。店内の客の声が思い出したかのように一斉に耳に飛び込んでくる。こんなに賑やかだったかと店内を見回す。
「みんな元気か?」
「あゝ元気だよ。まぁ今日お前からどうしてもって言われたから、みんなには連絡してないけど、お前のこと気にしてたぞ」
「悪いな。何せ二〇年ぶりに会うから大勢だと刺激が強すぎると思って。それにどうしても大勢だとな……うまく喋れないかもしれんしな」
「そういえばお前群馬には行ったのか? 毎年あいつに年賀状出してるんだろ?」
  私はそのときどんな顔をしていたんだろう。きっと引きつった笑顔を浮かべていたことだろう。胸中でひと息ついて彼の目を見た。

  ⁂

  昨日の夜、夫は終電で帰ってきた。ひどく泥酔していたようで、三階の寝室にまでがたがたと何かにぶつかる音や床を歩く足音が聞こえてきたと思ったら、程なくして夫のいびきが三階まで聞こえてきた。
  翌朝、一階の部屋に行くと夫は着替えもせずうつ伏せの格好で雑魚寝していた。酒とニンニクが入り混じったような臭いが部屋にこもっていたので、すぐに窓を開けて換気をしその部屋を出た。しばらくして洗濯機の洗い終えたことを知らせる音が聞こえたので一階に行くと、夫は浴室にいてシャワーを浴びていた。いつも浴室で歌を熱唱している夫だか、今日は聴こえてこなかった。
  濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに来たときは、さっぱりしたァなどと言っていたが顔はむくんでいてその顔をみた娘が、ヤバくない?その顔、と確かにブルドッグのような顔で思わず笑ってしまった。夫は冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップになみなみと注いで一気に飲む。相当喉が渇いていたのか、もう一杯同じように注いで飲んだ。
  昨日の雨が嘘のように晴れていた。気温もこれから二〇度近くになると今朝の天気予報で言っていた。今日はニトリやスーパーに行き買い物をする予定だった。夫が二日酔いなら私が運転しなければならない。
「大丈夫だよ、運転できる」
  夫はそう言うが、最近納車したばかりの新車をぶつけられたらたまらない。いいよ私が運転するから、と夫を制するが、夫は大丈夫だと言い張る。昨日呑む前にウコンを飲んだから悪酔いはしていないという夫の言葉を一蹴する。娘は通っている塾の春期講習があるのでその時間まで家にいて、私たちが外出している時には留守番をすることになっていた。娘に宿題をやったかと聞くと案の定終わっていない。朝起きてからスマホとにらめっこするように親指をしきりに動かしている。
  昼ごはんは、素麺と昨日の残り物の揚げ物を温めなおして、テーブルに並べた。家族揃ってテレビを見ながら食べた。
  食べているときに夫から、友人が亡くなったことを聞いた。高校のときの同級生で部活が同じ人だったという。昨日会っていた沖縄から来た友人はそのお別れ会に参加するために上京をしその会に出席をしたが、昔の仲間たちが誰一人参加していなかったので、夫に一昨日連絡をしたのだという。
  結局その沖縄の人以外、友人の死を知らなかったらしく、夫はその死を今でも交友があるサッカー部の仲間たちにグループラインで一斉に知らせようとしたが、人の死をそんなツールでやりとりをすることが果たして正しいのかどうか逡巡したらしい。結果的には送らなかった。
「これからみんなに一人ひとり電話をして俺の声で伝えていくよ」
  亡くなった友人の親族から沖縄の友人に連絡がいったのは、毎年やりとりしていた年賀状がきっかけだったという。その年賀状がなければ友人の死は誰にも知られないままになっていたかもしれないと夫は表情を曇らせた。
  まだ若いのにね、と続く言葉を飲み込んだ。娘も聞いていた。自分の発する言葉は慎重に選ばなければいけない。夫は、来月群馬に行くと言い、素麺をすする。そのすする音がいつもよりなんだか弱々しく聞こえる。その亡くなった夫の友人は群馬に暮らしていて、冬の寒い日に車でそこまで行き、明け方まで飲んで泊めてもらったという話を夫から聞いたことがあった。結婚する前の、ずいぶん前のことだったような気がする。
「結局、遠くにいるからって理由で連絡をとらなくなったことが後悔だよ。唯一繋がっていたのが沖縄にいる男とはな……。比較的近くにいる奴らは何をしていたんだろうって、俺すげえ悔しいんだよ。年に一回でもさ、連絡しあって、会える奴だけでも会っておかないと。いつかいつかって、それが一年になって、二年になってね……会わなくなっちまうよな。もういつどうなるかわからないなって、もうそんなに若くないんだなって思ってさ」
  そうね、と私は相槌を打つ。夫の目には涙が溜まっていた。
「いつしかみんな待つことに慣れてしまったなァ。俺もその一人だよ」
  皿に残った最後の素麺を夫は箸でまとめ、食べ終えるとお茶を一口飲んだ。目の部分はまだ少し腫れぼったいが、二日酔いという感じはしない。
  食べ終わった食器を流しに持っていき、すぐに洗う。夫は何事もなかったかのようにテレビをみて声を上げて笑っている。それを娘がうるさいと文句を言う。いつもの風景だ。いつもの風景を見ているだけなのに、涙が滲んでくるのはどうしてだろう。夫の亡くなった友人の家族のことを考えてしまったからか。それを夫が死んだ後のことと重ねて想像してみたからか。すぐに頭を振り、想像したものを消した。
「ねぇ桜見に行こうよ」
「まだ早くないか?」
  と夫は咲き始めたばかりだと乗り気ではない。行こうよ、みんなで。
  私の言葉に娘はすぐに反応して、行きたい行きたいと目を輝かせる。夫も渋々了承した。買い物を早めに済ませよう。そして夕方にある娘の塾の時間までには帰ってこよう。
「歌でさ、春を愛する人は〜って歌あったでしょ? あれどんな人だったか?」
  ふと夫がたずねてくる。どうしてそんなことをきくのかと訊き返すと、亡くなった友人が春が好きだったらしいと答えた。好きな季節を知っているほどの関係だったのかとさらに訊くと、昨日沖縄の友人からツイッターをしていたことを聞き、それを見たらと桜の写真がたくさんアップされていていて、自己紹介文に「春を愛する人」と書かれていたという。
  夫はスマホで検索してその答えを知り、おおぉと唸った後 、嬉しそうに私にスマホの画面を見せる。画面に写っているのは紫色のスミレの花だった。スミレはスミレだけだと思っていたけど、同じスミレでも結構色んな種類の花があるのだと知った。
「でもスミレの花のような、って例えはどんな意味なんだろうね? 春なら桜の方がいいのにね?」
  そんな私の疑問に夫はしばらく考えてこう答えた。
「桜よりスミレの方が友達っぽいな。桜より断然目立たないけど、気がついたらそこにいるみたいなさ」
  それから私たちは家を出た。先に花見を、と車を走らせるが、いつも通り環状八号線は渋滞でなかなか前に進まない。カーラジオから流れる歌が好みに合わないため、助手席に座る夫はラジオのチャンネルを次々に替えていたが、そのうち諦めてTOKYO FMに合わせた。後部座席に座る娘は相変わらずスマホから目を離さずに指先で操作をしている。
 信号が赤になった。外は気持ちの良い陽射しが降り注いでいる。早く公園について桜の花を見たいと思った。スミレの花も見つけよう。そしてそれを夫に教えようと思った。そんなことを考えていたら、クラクションが鳴り響いた。信号が青になっていることに気づかなくて、慌てて車を発進させた。夫が小言を言うが、私はそれを無視して運転に集中した。
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