潜在看護師

【エッセイ賞】



2021年3月31日をもって4年間勤めあげた病院を辞めた。看護師を辞めた。理由は「人間関係」の一言につきる。私は患者と関わることも看護師としての仕事も大好きだ。ただ職場の人間達が大嫌いだった。だったという過去形なのは、そいつらの存在を消し去ったつもりでいるからだ。つもりでいてもこのように文書になるのは強烈な印象が脳にこびりついているからだ。
号泣しながら駒沢通りを爆走した日もあった。怒りのあまり握り拳が震えた日もあった。諦めと呆れからでる溜め息は毎日だった。全員死ねばいいと本気で思って生きていた。
晴れて潜在看護師となった私は4月1日からなにをしているのかというと、何もしていない。本当にただ生きている。朝起きてご飯を食べ、本を読んだり洗濯をしたり、昼寝なんかしたりしている。天気が良い日には「ざまあみろ」と職場の方に向かって呟いてみたりした。こんな天気が良いのにお前らは陰気な場所で働いているんだぞ、と思って。やっている事は私の方が100倍陰気だといま思った。
「あの子、すぐ媚びるから」これが私の職場での説明文だった。手術室勤務、オペ室ナース通称オペ看。私の大好きで誇りにしている仕事だった。病気になって外科治療を選択した患者さんの一大イベントである手術の手伝いを行う看護師。手術中の主役はもちろん患者さんで、外科医が1番リーダーである。でもオペ看はなくてはならない。手術室を司っているのは手術室看護師なのだ。外科医が手術に集中できるように準備片付けを行い、患者さんの情報を把握する。医師が見落としている事まで把握できるよう患者さんの情報収集をするのが仕事だ。時には緊急事態にも臨機応変に対応し、医師が正しい判断しやすいようにさりげなく(さりげなくがポイント)話かけることもある。とにかく、オペ看は患者さんや医師の架け橋となることが多い。その架け橋をかけていると後ろから聞こえてくるのが「媚び」というワードである。円滑なコミュニケーションを図るために日進月歩の医療を常に勉強して医師に質問したり、患者さんが好きだというバンドのCDをTSUTAYAでレンタルして入室時にかける事をすれば、容易に聞こえてくる「また媚びてる」という言葉。誰かのために働く事が媚びと言われるのであれば、人類みな媚びだろ。国民総媚び時代だろ。何が悔しいって、私が働く病院のシステムは年功序列で給料が上がる仕組みであり、真面目に働く人が評価されない制度だった事だ。陰口を言うお局達は看護師歴、医師歴だけ無駄に歳をとっている。面倒な仕事は「新人の仕事でしょ」「何事も経験だからやりなよ」と丁のいい言い訳で押し付け自らは椅子に座り、やらなくてもいいような仮仕事をしている、フリをしている。
手術室は患者さんの目が届かない。また患者さんの家族の目も届かない。圧倒的な閉鎖空間だ。人間は誰かに見られているという意識が抜けた時、本性が出る。利益にならないことはしない人間が集まっているのがあの職場の手術室だと思っている。もちろん、日本全国の手術室がそんな人間ばかりではないと思うが、私のいた職場は明らかに底辺看護師と底辺麻酔科医で構成されていた。現に、ここには書けないような事件がたくさん起きていた。(たぶんいまも起きてる)
covid-19が流行し、ワクチンが届き始めたが、接種する人間が足りない。ならば潜在看護師にワクチン接種をさせれば良いとニュースで言っている。晴れて潜在看護師となった無職の私は「そうか....応募するか...」と思い腰を上げる反面、かつての職場に怒りが込み上げてくる。あの仮仕事をしているフリをしているアイツ等を派遣しろよ....と。潜在看護師は育児や介護や病気などのっぴきならない事情がある事が多い。看護師を目指す人達は安定した手に職の資格と給料が欲しいからが殆どだからだ。そんな看護師資格を潜在させているには余程の理由があるに違いないのだ。そんな人達を無理に働かせるよりも、日本全国に潜んでいる仕事してるフリ看護師を総動員してほしい。新人イジりという名の嫌味を吐いてる間に2人は筋肉注射できる。そのくらい無駄な時間と給料が消費されている。師長に訴えたところで何も変わらないそんな現状に辟易して退職したのだ。(なんでこっちが辞めなきゃいけないんだという憤りを抑えながら)
いま私は貯金を切り崩しながらワクチン接種の派遣サイトに登録し、就活をしている。はやいところワクチンが全国民分届き、全国仕事してるフリ看護師達の働きの元にワクチン接種が進むことを祈って、元職場にむかって呟く。