第4話 蚕(カイコ)
文字数 2,722文字
書ける。
あたしはぱたんとページを閉じた。こうしてはいられない。もう宿題は終わり、読み専は終わり。書き始めないと、あたしの作品を。
ぞくぞくする。苦しい。でもとてつもなく幸せ。目を閉じて深呼吸。あたしの体はすみずみまで満たされていて、言葉と、イメージと、メロディとハーモニーで、のどもとまでいっぱい。いますぐこれを吐き出してしまわないと破裂して死んでしまいそう。
書ける。書けるよ、真白 くん。ねえ、書ける。
その人によろしくとお伝えください
見わたすかぎり、ページ、ページ、ページ。緑の。
無量大数のものがたり。あたしたち全員が一生かかってもとうてい読みきれない。
ここは図書館。あたしたちは読む、それぞれの場所に座りこんで、一日じゅう。手にした書物をめくって、かじりとっていく。味わう。飲みこむ。むさぼる。あたしたちの食欲は無限大。
あたしたちの咀嚼 音だけが、さらさら、さらさら。
雨のように、静寂 の中に響く。
その人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
読み疲れると、あたしたちは眠る。その場で。指を、しおりがわりに本にはさんだまま。
眠りの中でも、緑の雨は降りつづける。
さらさら、さらさら。
パセリ セージ ローズマリーにタイム
目がさめたら、制服がきつくなってた。
あたしはもぞもぞと脱いで、しわくちゃになったそれを、足で後ろに押しやった。
ふと見ると、となりで、彼も脱いでる。ちょうど背中の割れ目から、新しい肩が出てきているところ。あんなにたくましかったっけ? きゅうに心臓の鼓動が早くなる。
脱ぎ終わった彼は、あたしをふりかえって、まぶしそうな顔をした。
何、と思ってうつむいて、ぎょっとした。なんか、あたしも、大きくなってる。白いし。はちきれそうな感じ。やだ、こんなの。
はずかしいから見ないでほしい。
スカボローの市 へ行くのですか
パセリ セージ ローズマリーにタイム
そこに住むある人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
真白くんとあたしはいっしょに生まれて、いっしょに育った。いつもとなりどうしで寝ころがって、本を読んできた。黙りこくってそれぞれ違うものを読んでいても、ページから顔を上げると、たいてい目が合った。
「どんな話?」
「夏織 のは?」真白くんはかならずあたしのを先に聞きたがる。そういうところ、ずるい。あと出しじゃんけん。
「あたしのはね、じゃーん、戦記もの。男同士が全員殺しあって最後誰もいなくなる話。いいでしょー」
「なにそれ」笑っている。
「じゃ真白くんの何」
「え、言わない」
「ひど、人の聞いといて。言いなよ」
「軟弱なんですけどいいすか」ぜんぜん照れてない。へんなやつ。
「どんなの」
「異世界もの。妖精の騎士がね、好きな女の人に、呪いをかける話」
その人に伝えてください薄紗 のシャツを作ってほしいと
パセリ セージ ローズマリーにタイム
縫い目も針のあとも残さずに
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
あたしたちの趣味はみごとに違ってた。読んだ本の話を同時に始めるとあまりに噛みあわない。あたしが夢中で話していても彼は何も聞いてなくて、いきなり「でね」って何が「でね」なのか、ぜんぜんつながらない。でも二人とも止めない。おかしすぎて、ちぎってまるめたノートをぶつけあって笑った。
「聞いてよ」
「そっちこそ」
そんな柔らかい時間もそろそろ終わり。口には出さなかったけど、二人ともわかってた。読むだけで許される季節が過ぎたら、あたしたちは、書かなくてはならない。仕上げなくてはならない。卒業制作を。
閉じこもって。ひとりずつ、個別のブースに入って。
自分だけのものがたりを。自分ひとりで。
書ける。
顔を上げたら、彼と目が合った。
偶然じゃなかった。
彼がずっとあたしを見ていてくれたから。
あたしと目が合うまで、ずっと待っていてくれたから。
「玉繭 って、知ってる?」
その人に伝えてください 1エーカーの土地を探してほしいと
(丘の中腹に木の葉は舞い落ち)
パセリ セージ ローズマリーにタイム
(銀のなみだをそそいでお墓を洗う)
塩水と岸のあいだに1エーカーの土地を
(兵士が銃を拭ききよめ みがく)
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
玉繭って知ってる?と訊くから、知ってると答えたら、そのまま黙ってる。
先に目をそらしたのは、あたしだ。
玉繭。禁じ手。ひとつのブースには、本当はひとりしか入ってはいけない。でも、もし、監視の目をぬすんで、ふたりで入ったら。
ものがたりを、ふたりでつむげる。
複雑な、目をみはるようなものがたりを、ふたりで力を合わせてつむいでいける。
ふたつの旋律がからみあうように。対位法。
伝えてください 革製の鎌で刈りとれと
(いくさの咆哮 が紅蓮 の大部隊に炸裂する)
パセリ セージ ローズマリーにタイム
(将官たちは兵士たちに殺せと命ずる)
だけどそんな繭をつむいでしまったら、あたしたちはもう、外には出られない。
中にとり残される。永遠に。羽化できないまま。
ひとり一つの繭を作る、それが常識。作りあげて、子ども時代の夢にかたをつけて、最後の眠りをしっかり眠ったら、あたしたちはその作品を食い破って外に出る。卒業。
大人になって。別の生き物になって。男と女になって、出会いなおす。
結婚して、子孫を残す。
緑の図書館のことは、忘れて。
忘れなければならない理由は、何?
夏織、と、真白くんがあたしを呼ぶときの呼びかたが好きだ。まぶたの上にそっと手をのせるように。
夏織。
それをみんなヒースの束にまとめたら
(戦う理由などとうに忘れてしまったのに)
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
書ける。
ふたりなら。
あたしたちはつむぐ。複雑な、目をみはるようなものがたりを、力を合わせてつむいでいく。
この作品はときほぐせない。誰にも。永遠に。
彼を、誰にも渡さない。
「ごめんね」と言ってみた。
「何が?」
「誘ったの、あたしだから」
「そう?」
真白くんは、いつも、ずるい。
スカボローの市 へ行くのですか
パセリ セージ ローズマリーにタイム
そこに住むある人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
かつてぼくが心から愛した人なのです
BGM:
「スカボロー・フェア~詠唱 Scarborough Fair/Canticle」サイモン&ガーファンクル(オリジナル:トラディショナル)
https://youtu.be/-Jj4s9I-53g
あたしはぱたんとページを閉じた。こうしてはいられない。もう宿題は終わり、読み専は終わり。書き始めないと、あたしの作品を。
ぞくぞくする。苦しい。でもとてつもなく幸せ。目を閉じて深呼吸。あたしの体はすみずみまで満たされていて、言葉と、イメージと、メロディとハーモニーで、のどもとまでいっぱい。いますぐこれを吐き出してしまわないと破裂して死んでしまいそう。
書ける。書けるよ、
その人によろしくとお伝えください
見わたすかぎり、ページ、ページ、ページ。緑の。
無量大数のものがたり。あたしたち全員が一生かかってもとうてい読みきれない。
ここは図書館。あたしたちは読む、それぞれの場所に座りこんで、一日じゅう。手にした書物をめくって、かじりとっていく。味わう。飲みこむ。むさぼる。あたしたちの食欲は無限大。
あたしたちの
雨のように、
その人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
読み疲れると、あたしたちは眠る。その場で。指を、しおりがわりに本にはさんだまま。
眠りの中でも、緑の雨は降りつづける。
さらさら、さらさら。
パセリ セージ ローズマリーにタイム
目がさめたら、制服がきつくなってた。
あたしはもぞもぞと脱いで、しわくちゃになったそれを、足で後ろに押しやった。
ふと見ると、となりで、彼も脱いでる。ちょうど背中の割れ目から、新しい肩が出てきているところ。あんなにたくましかったっけ? きゅうに心臓の鼓動が早くなる。
脱ぎ終わった彼は、あたしをふりかえって、まぶしそうな顔をした。
何、と思ってうつむいて、ぎょっとした。なんか、あたしも、大きくなってる。白いし。はちきれそうな感じ。やだ、こんなの。
はずかしいから見ないでほしい。
スカボローの
パセリ セージ ローズマリーにタイム
そこに住むある人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
真白くんとあたしはいっしょに生まれて、いっしょに育った。いつもとなりどうしで寝ころがって、本を読んできた。黙りこくってそれぞれ違うものを読んでいても、ページから顔を上げると、たいてい目が合った。
「どんな話?」
「
「あたしのはね、じゃーん、戦記もの。男同士が全員殺しあって最後誰もいなくなる話。いいでしょー」
「なにそれ」笑っている。
「じゃ真白くんの何」
「え、言わない」
「ひど、人の聞いといて。言いなよ」
「軟弱なんですけどいいすか」ぜんぜん照れてない。へんなやつ。
「どんなの」
「異世界もの。妖精の騎士がね、好きな女の人に、呪いをかける話」
その人に伝えてください
パセリ セージ ローズマリーにタイム
縫い目も針のあとも残さずに
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
あたしたちの趣味はみごとに違ってた。読んだ本の話を同時に始めるとあまりに噛みあわない。あたしが夢中で話していても彼は何も聞いてなくて、いきなり「でね」って何が「でね」なのか、ぜんぜんつながらない。でも二人とも止めない。おかしすぎて、ちぎってまるめたノートをぶつけあって笑った。
「聞いてよ」
「そっちこそ」
そんな柔らかい時間もそろそろ終わり。口には出さなかったけど、二人ともわかってた。読むだけで許される季節が過ぎたら、あたしたちは、書かなくてはならない。仕上げなくてはならない。卒業制作を。
閉じこもって。ひとりずつ、個別のブースに入って。
自分だけのものがたりを。自分ひとりで。
書ける。
顔を上げたら、彼と目が合った。
偶然じゃなかった。
彼がずっとあたしを見ていてくれたから。
あたしと目が合うまで、ずっと待っていてくれたから。
「
その人に伝えてください 1エーカーの土地を探してほしいと
(丘の中腹に木の葉は舞い落ち)
パセリ セージ ローズマリーにタイム
(銀のなみだをそそいでお墓を洗う)
塩水と岸のあいだに1エーカーの土地を
(兵士が銃を拭ききよめ みがく)
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
玉繭って知ってる?と訊くから、知ってると答えたら、そのまま黙ってる。
先に目をそらしたのは、あたしだ。
玉繭。禁じ手。ひとつのブースには、本当はひとりしか入ってはいけない。でも、もし、監視の目をぬすんで、ふたりで入ったら。
ものがたりを、ふたりでつむげる。
複雑な、目をみはるようなものがたりを、ふたりで力を合わせてつむいでいける。
ふたつの旋律がからみあうように。対位法。
伝えてください 革製の鎌で刈りとれと
(いくさの
パセリ セージ ローズマリーにタイム
(将官たちは兵士たちに殺せと命ずる)
だけどそんな繭をつむいでしまったら、あたしたちはもう、外には出られない。
中にとり残される。永遠に。羽化できないまま。
ひとり一つの繭を作る、それが常識。作りあげて、子ども時代の夢にかたをつけて、最後の眠りをしっかり眠ったら、あたしたちはその作品を食い破って外に出る。卒業。
大人になって。別の生き物になって。男と女になって、出会いなおす。
結婚して、子孫を残す。
緑の図書館のことは、忘れて。
忘れなければならない理由は、何?
夏織、と、真白くんがあたしを呼ぶときの呼びかたが好きだ。まぶたの上にそっと手をのせるように。
夏織。
それをみんなヒースの束にまとめたら
(戦う理由などとうに忘れてしまったのに)
そうしたら彼女をぼくは心から愛するでしょう
書ける。
ふたりなら。
あたしたちはつむぐ。複雑な、目をみはるようなものがたりを、力を合わせてつむいでいく。
この作品はときほぐせない。誰にも。永遠に。
彼を、誰にも渡さない。
「ごめんね」と言ってみた。
「何が?」
「誘ったの、あたしだから」
「そう?」
真白くんは、いつも、ずるい。
スカボローの
パセリ セージ ローズマリーにタイム
そこに住むある人によろしくとお伝えください
かつてぼくが心から愛した人なのです
かつてぼくが心から愛した人なのです
BGM:
「スカボロー・フェア~詠唱 Scarborough Fair/Canticle」サイモン&ガーファンクル(オリジナル:トラディショナル)
https://youtu.be/-Jj4s9I-53g