第4話

文字数 743文字

「真由美はどうなの?仕事の方は?」
香織は話題を変えたがっていたようだ。
真由美は、単調な事務作業、骨の折れる外部との折衝、部下の不始末の対応などを淡々と話した。
「真由美、変わらないね」
香織は懐かしそうに顔をほころばせる。
「どんなことにも真面目で、やり抜きとおすって感じよね」
「そうかな……?」
真由美はそう曖昧に言葉を濁すと、ため息をついた。単に謙遜していたからではない。事実、彼女は疲れ切っていたのだ。仕事にも、自分のこれまでの人生にも——


高校に入った真由美は受験勉強に打ち込み、そのかいあって、一応名の通る大学に入学し、ひとかどの会社に入社した。社内では事務処理が何より正確で、会議でも理路整然とした発言で議論をリードできているという理由で、彼女の評価は上々だった。それなのに肝心の本人は、心のどこかで満たされていなかった。確かに仕事にプライドは感じられるが、自分は会社に必要とされるためにただ生きているのだろうか、そんな思いが頭をもたげてきたのだ。先ほど香織に名刺を忘れた、と言ったのも、今日くらい仕事や、あるいは普段の会社人間としての自分を忘れたかったからだ。

ただ、名刺を見せなかった理由はもう一つあるのだが。


「真由美は恋人はいないの?あるいは将来の結婚相手とか?」
香織の質問は、真由美が答えたくない、一番苦手なものだった。
「いないわ」
「独身のままがいいってこと?」
「そういうわけじゃないけど」
真由美はそう言って駅の暗い天井を仰いだ。その眼はうつろで憂いを帯び、すくんだ両肩はどこか淋しげだった。
「私、仕事も忙しいし、付き合いなんていつも適当だったわ。だからいつも、長続きしたことないの」
真由美はそうつぶやくと
「ねえ、人を好きになる、っていったい何なの?」
と香織に唐突に聞いてきた。
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