第13話

文字数 4,808文字

「今回の件で君たちに何とお礼を言ってよいか――本当に感謝しているよ、メッセンジャーボーイズ!」
 翌日、ニュー・スコットランドヤードのキース・ビー警部補のオフィス。
 二人を前に警部補は潔く頭を下げた。
「全ては君たちのおかげだ。君たち二人がいなかったらこんなに早くこの事件は解決してはいなかったろう!」
 思えばインバネスコートを脱いでディアストーカーを被っていない警部補を見るのはこれが初めてだ。立派なデスクに座ったキース・ビー警部補はグレンチェックの三つ揃え。来客用の長椅子に納まったヒューとエドガーは、勿論、テレグラフエージェンシー社の制服姿である。
 警部補は二人の前に置かれた紅茶と封を切りたてのマクビティ&プライスのビスケットの皿を指差して勧めた。
「さぁさぁ、遠慮なく味わってくれたまえ」
「で、結局、真珠は偽物だったんですね?」
 畏まって問うヒューに警部補は頷いた。
「うん、僕も警官になって長いが、これほど押収した証拠の品が偽物と知って嬉しかったことはないよ! 反対にキャベンディシュの奴、盗んだことより、それが本物だと言い張って譲らなかった――」
『あの真珠は本物だ! あれだけは死守したと私はシーモア自身から確認している。その際、こんな貧相なタウンハウスにそれほどの宝を保管しているのは不用心過ぎると忠告したら、あいつはこう言ったんだぞ。なに、巧妙に隠しているから大丈夫さ、と。また、敬虔なキリスト教徒にしか見つけられないとも言った。その巧妙な隠し場所を私は探し当てたのだ! イクティス、神の魚に嵌め込んだ真珠を! だから、あれは本物だ!』
「キャベンディシュは最後まで抵抗したが、自分が友人を殺して手に入れた宝が偽物だと知って落胆し、その後はあっさりと全てを供述したよ」
 ボリス・キャベンディシュは豪州の鉱山株に手を出し、借金で首が回らなくなっていた。そこで思い出したのが学友のルパート・シーモアが口にしていた家宝のことだ。しつこく取り入っておおよその見当をつけシーモアが不在の夜を選んで覆面をして忍び込んだ――までは良かったが、生憎(あいにく)予定より早く帰宅していたシーモアと鉢合わせ、凶行に及んだ。
「認めるよ、今回の事件の解決は君たちの協力なしにはありえなかった。全く凄い観察力だ! メッセージを届けたシーモア邸で死体を発見したのみならず、今度は同じくメッセージを配達したキャベンディシュ邸でシーモア氏の家で見たのと同じ額があるのに気づくなんて!」
 サッと手を上げるヒュー。
「あ、僕たちはシーモア氏の家で〝見た〟とは言ってません。〝同じ物だと思う〟と言ったんです」
「ハハハ、まぁ、そこは僕の脚色だ。誘導尋問と言う奴さ。兎に角――君たちの情報のおかげで犯人逮捕に至ったのだ。正直言って僕は全く何の役にも立たなかった。それなのに」
 ここで紅潮して警部補は咳払いをする。
「本当にいいのかい? 今回の活躍に関して君たちの名とその事実を発表しなくていい、僕一人の手柄にしてほしいなんて」
 このことはキャベンディシュ邸にある魚の絵について報告した際、既に伝えていたことだ。
「かまいません。というか、むしろそれが僕たちの願いなんです」
 ヒューとエドガーはお互いの顔を見合った。頷き合った後でヒューが代表して話し始める。
「僕たちはあなたに謝らなければならないことがあります。そもそも、僕たちがこの事件で最初に変だと思って謎解きを始めたのはあなたの誤解からです」
 エドガーがポケットから紙袋を取り出す。それを受け取ってヒューは警部補の机の前に置いた。
「ここに入っているマーブル、あなたは僕たちがばら撒いたと思って返してくれましたが、実はこれこそ、謎を解く一番初めの鍵だった――」
 意味が飲み込めず警部補はポカンとした顔になる。
「そのことをホントはあの場ですぐ告げなければならなかったのに、自分たちで謎を解きたくて秘密にしてたんです。僕たちはフェアじゃなかった。謝ります」
「どういうことだね? 良ければ最初から話して聞かせてくれないか?」
 ここで改めてヒューはルパート・シーモア氏強盗殺人事件での自分たちの謎解きの一部始終を語った。
 
 さて、聞き終えたキース・ビー警部補の言葉は――
「いやいや、たとえあの場でそのマーブルをつっ返されても、僕は何ひとつ正解には至らなかっただろうよ」
 キース・ビー警部補を今日の地位にのし上げたのは明晰な頭脳や判断力もさることながら、何よりその人柄――警察官としての誠実さと正直さにあるのだ。彼は率直に己の至らなさを認めた。
「サセックスの聖金曜日の特別な遊びとはねぇ……! 僕は、シーモア氏の右手のガウンは羞恥心から着ようとしたと推理し、左手の本では挿絵を書いた画家が犯人だと勘違いした。実際、書置きからも何も読み解けなかった。あの最後の曲線が魚の書きかけだなんてなぁ! その上、妹御レディ・シーモアにわざわざ逢いに行ってるのに宝について突っ込んで訊きもしなかった。いやはや、情けない限りだよ」
 一旦紅茶を飲んで喉を潤すキース・ビー警部補。
「今になってわかった。ルパート・シーモア氏は書置きで犯人について示唆し、死にざまで盗まれた宝について伝えようとしたんだとね」
 警部補はそっと袋を二人の方へ押し戻した。
「これは返さなくていいよ。取っておきたまえ、今回の君たちの素晴らしい謎解きの記念に」
「ありがとうございます! 妹が喜びます!」
 即座にエドガーが礼を言った。紙袋をしっかりと奪い返すと、
「妹は凄く気に入っちゃってこれで毎日遊んでるんです。人形とぬいぐるみに分け隔てなくマーブルをきちんと分けてやって、ほら、12個あるからちょうど均等に分けられるでしょ――」
「ちょっと待て、エド」
 ヒューが遮った。エドガーから紙袋を受け取って暫くじっと見入っていた。やがて、顔を上げ、改めてそれを警部補に差し出す。
「これはいただけません。どうぞレディ・シーモアへお渡しください」
「?」
「僕は大きな間違いを犯すところでした。ガウンはイエスの衣。それを奪いあった兵士の賽子(サイコロ)からマーブルと卵。卵はカンバーランドさんの本〈マザーグース〉から行き着きました。ところでその卵――イースターエッグの起源に関して、更にもう一つ不可思議な伝承があるのを今思い出しました。遥か昔、古代ケルトの祭司ドルイド達は聖別した卵の中身を吸い出して別の物を充填して術に用いたとか」
 ヒューは低い声でゆっくりと繰り返した。
「いいですか? 中身(・・)別の物(・・・)を入れる――」
「え? え? それは、まさか――」
 椅子に深く仰け反ったまま警部補は凝結(かたま)った。紙袋の中のマーブルを指差して、
「君、これが……宝? 本物の……し、し、し」
「ぜひ、調べてみてください、このマーブルの中身を。きっと全く違ったモノが隠されているはずです」
 口を金魚みたいにパクパクさせるばかりの警部補を残し颯爽とヒューは身を翻す。
「では、僕たちはこれで! 御用の際はお呼びください。僕たちテレグラフ・エージェンシーのメッセンジャーボーイは常に――」
 エドガーにウィンクする。エドガーは慌てて最後を(しめ)た。
「どこよりも早く、どなたにも、素晴らしい情報(・・・・・・・)をお届けしますっ!」

「凄い! ほんとなの、ヒュー? あのマーブルが〈狐の真珠〉だったのか?」
 正面玄関の広い階段を飛び降りながらエドガーが上擦った声で叫ぶ。
「シーモア氏はレディに嘘はついていなかったんだね? 本物をちゃんと保持していたんだ。しかも、ひとつじゃない12個……」
 鼻に皺を寄せて、
「それにしても、いつわかったのさ? もっと早く教えてくれれば良かったのに。ミミが1個でも失くしてたら大変だった!」
「いや、おまえにだけは本当のことを明かすけど」
 悪戯っぽい口調でヒューが言う。
「俺もたった今気づいたとこさ。しかもおまえのおかげで。おまえが気づかせてくれたんだぜ、エド、やっぱりおまえは俺の幸運のお守りだ!」
「?」
「『ミミが気に入って遊んでる。人形たちに6個ずつ振り分けておままごとに夢中……』それで僕は思いだしたんだ。おまえんちで見たミミちゃんの遊ぶ光景がまざまざと蘇った――」
 女王様に6個、エド熊に6個、合計12個のマーブル……
「この12と言う数字が重要なのさ。聖金曜日は教会でミサをしない唯一の日だ。そして次の日曜日、復活祭で読まれる祈祷書はヨハネが定番とくる。だが待てよ、そのヨハネは黙示録で語ってなかったか? およそ全ての敬虔なキリスト教徒が憧れる天国の門のことを」

《 十二の門は十二の真珠であって、
  どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた
                  ヨハネの黙示録21:21 文語訳聖書より 》

「ミミには新しいマーブルを買ってプレゼントさせてもらうよ!」
 エドガーの髪をクシャクシャに掻き乱してヒューは笑った。
「それこそ、ホンモノのマーブルをね! 偽物じゃなく(・・・・・・)
 真新しいニュー・スコットランドヤードの門から出ると目の前にテムズ川が飛び込んでくる。水面に燦燦と陽の光が踊っている。
 眩しそうに目を細めていたヒューが突然言った。
「テレグラフ・エージェンシーに出社するにはまだたっぷり時間があるな。エド、良かったらベスナル・グリーンの水泳場に行かないか?」
 ヒューの〝突然〟には充分慣れっこになっているエドガーは慌てずに友の次の言葉を待った。
「実はさ、俺は泳げないんだ。父さんに習ってた最中で――それきり中断したままだ。それで、良かったら俺に泳ぎを教えてもらえないかな、エド?」
 エドガーも正直に打ち明けた。
「僕も泳ぎはからっきしダメだ。じゃあさ、こうしよう、夏が終わるまでにどちらが先に泳げるようになるか競争しようぜ」
「また競争か、ホントにおまえは俺と競うことが好きだな」
 だが、ヒューは満面の笑顔で親指を立てた。
「よし、乗った!」
 水泳場を目指して歩き出そうとしてエドガーは足を止めた。舗道に群がっている鳩たちにポケットからビスケット――警部補のテーブルの上から拝借して来たのだ――を一枚取り出して、砕くと勢いよく撒いてやる。即座にヒューもそれに習った。
「うん、これは正しい行いだ。鳩たちには優しくしなきゃ。なんたってこいつらは俺たちの同僚だものな!」
 そして、こんどこそ一緒に、夏へ向かって駆け出した。
 二人の季節は、まさに今、始まったばかり……!
 
 鳩を〝同僚〟と呼んだヒューの言葉を補足する。
 もともとポール・J・ロイター卿が1841年、最初に通信社を設立した時、配送役として使用したのは伝書鳩だった。1866年、イギリス・ドイツ間の海底ケーブルの施設が完了すると海上通信の主役は鳩ではなく電信になったものの、なおロンドン市内は少年たちが、それより遠距離の市外では鳩が活躍していた。
 哀しいかな、この後、急激な電信技術の進歩に伴いメッセンジャーボーイの時代は終わりを迎える。
 とはいえ、この物語の1890年代、彼らは間違いなくロンドンの疾風だった!
 短い歴史の狭間(はざま)を疾走したメッセンジャーボーイに、愛と称賛を込めて。

 FAREWELL(さらば)  MESSENGER BOYS.

 
     
  ロンドンの疾風―メッセンジャーボーイの謎解き―  FIN


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