第１９話　　融と小夜子　５月７日　土

朝、小夜子の様子を見に行くと、彼女はさっぱりとした顔をして融に言った。
「熱が下がった」
「本当に？良かった。安心した」
融はほっとした。

小夜子は黙って天井を眺めていたが、融に視線を移すと
「昨夜、怜が来た」と言った。
融は驚いた。
「怜が？」
「そう」
小夜子は頷いた。
「龍に体を借りたと言っていた。・・・で、もう去った。朝が来る前に。融に宜しくと言っていた」

「怜は何だって？」
融は聞いた。
「私に鬼の影が残っていた。ほんの少し・・・鬼の影と言うか、・・・龍の思念と言うか・・それが。私に触れてそれに気付いたって」

「・・・だからあの時、目が赤かったのか。・・ああ。成程。だから熱が出たのか」
融が言った。
「そう。毒みたいなモノだって。それを私は食べて消化してしまったらしい」
小夜子はくすくすと笑った。
「鬼を吸収してしまった」

「やばいな」
融も笑った。

小夜子は融を見る。

「融。怜は別れを言いに来たのだ。怜は龍と一緒にいる。あの異界に。」
「そうか。もう身体が無いと言っていたが・・・残念だ」
融はそう言った。

「怜と色々な話をした」
「どんな？」
「あの池にもうウタは居ないけれど・・・・探せばウタの代わりは居るからって。それを気長に育てればいいって言っていた」


「怜はあの場所にいる。融。あの場所のどこかに・・・どこか違う時空に・・・・ずっとそこに・・・・龍とあの影と・・・そう思うと・・・あんな寂しい場所に・・」
そう言うと小夜子は宙を見詰めた。

「私を帰す為にあんな場所に居るのかと思うと悲しくて、切なくて・・・・もう二度と会えない。会えないって怜が言っていた。」
小夜子の目から涙がこぼれ落ちた。
融は切なかった。


「小夜子。夢で会えるかも知れない。心は自由だから」
融はぽつりと言った。

小夜子は融を見詰める
融は笑った。
「・・・・そんな目で見たって、俺は今日帰るからな。仕事があるから。熱も下がった事だし、これで安心して帰る事が出来る」

「いや、違う。いい事を言うなと思って」
小夜子は言った。
「心は自由だからどこまでも羽ばたいて行くことが出来る。誰にも縛る事は出来ない。
好きな時に。好きな所へ飛んで行く。それが夢であっても。夢でなら怜に会えるかも知れない・・うん。そうだ。きっと」


小夜子は融を真っ直ぐに見た。
そして手を差し出した。
「融。随分待たせた。本当に今まで有り難う。融は融の好きな所に飛んで行けばいい。私はもう大丈夫だ。私は自分の好きな道を行く。融も好きな道を行けばいい。」
融は小夜子の手を握る。
そして言った。
「感無量だな。お前の口から、そんな言葉を聞くなんて。・・・ああ。勿論そうさせてもらうよ。お前はもう大丈夫だ」

小夜子はにっこりと笑って頷いた。

「怜が言っていた。融には好きな女性(ひと)がいるって」
「そうなんだ。小夜子。君が眠っている時に何度も見舞いに来てくれた。そして俺を支えてくれた。・・・・すごく可愛い人なんだ。」
融はそう言って小夜子を見る。
小夜子はくすくすと笑う。
「お前がそんな事を臆面も無く言うなんて・・・その人に是非会ってみたい」
「けれど・・・俺は随分それに甘えてしまって。・・・今思うと、彼女には辛い思いをさせてしまった事も・・」
融はそう言うと窓の外を眺めた。

ふふふと小夜子は笑った。
「楽しみにしているから。必ずその人に会わせて」
「ああ。・・」
融は窓の外を見ながら返事をした。
「・・・何て覇気の無い・・・。そんな可愛い人。手放したら二度と手に入らない。・・・他の誰かにとられても良いの？」
融の脳裏に由瑞の顔が浮かんだ。
「嫌だ」
融は小夜子を見てそう言った。
「絶対に嫌だ」

小夜子が言った。
「じゃあ、もう行って。・・・融。本当に長い間有り難う。感謝しても、し切れないよ」
「うん。じゃあ、俺は帰るからな。無理はしないでくれよ」
融はそう言うと小夜子の病室を出た。



　融が出て行くと小夜子は小さくため息を付いた。
「・・・小夜子。どうした？」
夜刀がベッドの下から声を掛ける。
「ねえ。夜刀。伯母様は何を願って、お百度参りなどしていたのだろう」
「怜は何だって？怜は知っているだろう。龍と居るのだから」
「怜は何も言わなかった。ただ、龍を呼び起こしたのは自分と伯母様だと言っていた」
「サトが願うのは融と小夜子の幸せだけだろう」
「そうだな。それはそうなんだが・・」
夜刀は続きを待った。
だが、小夜子はそれ以上は何も言わなかった。