第4話
文字数 1,140文字
翌朝、机に向かっていると、昨日と同じグレーのセーターを着た女が起きてきた。
「……おはようございます」
「あ、おはようございます。眠れましたか」
老眼鏡を外した。
「はい、お陰さまで」
女が笑顔を向けた。
「あ、食事できてますよ。味噌汁を温めましょう」
腰を上げた。
「あ、すいません」
台所のテーブルに味噌汁を運ぶと、皿に被せたラップを剥がした。
「作家さんですか?」
座っていた女が顔を上げた。
「えっ!どうして?」
「書斎に原稿用紙があったから」
「ええ。あまり売れてませんがね」
ご飯をよそった。
「よかったら、お名前を」
「クレナイコウです」
「えっ!あの、『おたくさを想ふ』の?」
女が目を丸くしていた。
「ええ。ご存じでしたか」
「ええ、勿論です。推理小説以外はあまり読まないんですけど、『おたくさを想ふ』は、お滝さんに対するシーボルトの深い愛が描かれていて、とても感動しました」
女は情熱的に語った。
「ありがとうございます。さあ、冷めないうちにどうぞ」
「はい。いただきます。……まさか、紅虹さんにお会いできるなんて」
女は感激していた。
「小説はよく読まれるんですか?」
わかめの味噌汁を啜った。
「推理小説ばかりですけど」
女は苦笑いしながら、卵焼きに箸をつけた。
「どなたのファンですか?」
「松本耕助です」
女は即答すると、輝いた目を向けた。
「うむ……確かにいい小説家です。『砂の花器』は映画も観ましたが、感動しました」
「ええ。荒海をバックに、老いた父親と放浪の旅をするシーンが深く印象に残っています」
女は回想しているようだった。
「父親が、息子のことを知らない、息子じゃないと嘘を吐くシーンも感動しました」
「そうでしたね。息子を犯罪者にしたくないという親心が如実に表現されていました」
女は味付け海苔をご飯に載せた。
「松本耕助の作品には、人間の心情が見事に描写されている」
ごま昆布をご飯に載せながら、女を見た。
「ええ。『記念に』という短編ですが、女心が手に取るように伝わってきて、とても好きな作品です」
卵焼きに箸をつけながら、俺を見た。
「じゃ、短編の『足袋』や『二階』も好きでしょう?」
「はい。大好きです。『二階』は妻の心理描写が巧みですし、『足袋』は、女の深い業が見事に描かれています」
「……確かに」
話を聞きながら、柔和な女の外見とは違う、何か内に秘めた激しさのようなものを感じた。
「たいき君は学校ですか?」
「えっ?……ええ」
大輝の名前を覚えてくれていたのが、俺は嬉しかった。