(三・六)一月、Loving You

文字数 5,082文字

 大晦日、除夜の鐘の音も聴き、無事年を越した星砂と田古。いよいよ六ヶ月目の共同生活の始まりである。師走にも増して寒さは厳しくなるも、相変わらず電気ストーブと毛布だけで頑張っているふたり。
 星砂に人並みの正月気分を味わってもらいたいと、元旦の朝はやすおと着ぐるみマンを招いて、少し遅い年越しそばを振舞う田古。
「おめでとうございます」
 星砂が改まって挨拶すれば「お、そうだな」とやすお、『今年もよろしくだな』と着ぐるみマン。田古も照れ臭そうに、
「なんだかね、やっぱり、みんなで迎える正月も、たまには悪くないもんだよ」
 気付けば痩せていた星砂の頬っぺたも今はふっくら、出会った八月の頃より健康的で、その回復振りは見違える程。寒さの為に枯れてしまったシクラメンに代わり、台所にはコップに挿した梅の花が。大方また夢の丘公園からかっぱらって来たのだろうと容易に想像は付くが、田古を憎めない三人。
 食事の後は初詣、明治神宮まで歩いて出掛ける一行。しかし神様を拝みに来たのか人の背中を拝みに来たのか、分からない位の混雑振りというか盛況振り。人波に揉まれ、揉みくちゃにされ、四人はもううんざりへとへと。あーあ、これじゃ神様も大忙しで新春から大変だあな、まったくと、夢の丘公園に戻りベンチに座ってやっと一服。星砂は公衆電話ボックスに入って、島に電話。
「もしもし、わたし……うん、明けましておめでとう……そう、じゃ良かった……こっちも何とかやってるから……大丈夫だって……うんうん、じゃカード切れそうだから、もう……はいはい、またね」
 ガチャン。
 正月休みが明けると、東京の巷も直ぐに普段の活気を取り戻す。初詣にて、実は密かにバイトが見付かりますようにと祈っていた星砂も、今年こそはと迅速に行動を起こす。まずは求人ペーパーをゲット。働き出すには確かにまだ不安一杯、だけどそうそう田古の世話にもなっていられない。先ずはテレカ代、食費、光熱費など自分の生活費だけでも稼いで、田古の負担を減らしたい。それに八月から今迄の分も、返せるものなら少しずつ返済してゆきたい。田古のことだから、
「なんだかね、やっぱり、貸したんじゃなくてさ、上げたんだけど、ぼく」
 なんて言いそうだけど。そして夢国島への帰郷の旅費も貯めなければ……、という訳で本気モードの星砂である。
 そこへグッドタイミング、やすおからバイトの話が舞い込んで来る。というのも実は顔の広いやすおに、去年から田古が頼んでおいたのである。どんなバイトかと言えば、じゃーん、コンビニ。しかも星砂の顔馴染み、あのサンファミ新宿夢の丘公園前店だという。ええっ、あそこ、まーじと星砂も田古も吃驚。でもやすおさんと一体如何な御関係と問えば、何でも店主がストリートミュージシャンやすおの大ファンであるらしい。
 まじかよって軽い乗りで早速面接、で問題なし、即採用。時間帯、先ずは昼から夕方まででお願いします、で両者合意。やったーっと張り切る星砂は、明日からでも大丈夫ですと元気一杯。田古はといえば嬉しいのは嬉しいけれど、勿論心配でもある。本当は今月から昼間のバイトを復活させるつもりでいた田古だけれど急遽キャンセルし、引き続き星砂を見守ることに。
 本当ならサンファミ店内で、星砂のそばにくっ付いていたいところだけれど、そんな訳にもいかない。従って働く星砂を、夢の丘公園からじっと見守るのみである。公園のベンチに座ったり、落ち着かず立ち上がったり、そわそわしながら一時も目を離さず、サンファミ店内の星砂を観察する田古は、他人から見れば怪しい変なおっさんである。
 バイト初日の星砂は汗一杯、緊張しながら兎に角先ずは仕事を覚えるのに懸命。レジの操作は複雑怪奇、支払い方法にも現金、カードがあり、ポイントカードだってある。単なる買い物でなく、公共料金の支払いだったり、宅配便の依頼、あとネット注文の受け取りとか。唐揚げ、コロッケ、おでんなんかの調理もあるし、商品管理、掃除もやんなきゃ。忙しいし、とろくてレジの時間がかかると即客から文句言われるし。ふう、コンビニのバイトも楽じゃないなあ、何たって五ヶ月以上働いてなかったし。で何とかかんとか若さで初日を乗り切った星砂。
 そんな訳で最初の一週間は慣れ覚えるので精一杯、客の顔を見る余裕もなければ、公園から見守ってくれてる田古の存在すら忘れてしまう程。ミスしないように、お客さんを待たせないように、ただひたすらレジをこなすのみ。でも慣れると緊張やお釣りを渡す時の指の震えもなくなって来るし、絶えず人と接するから対人恐怖症のいい治療にもなりそう。若いから覚えも早いし、胸に『研修生』の札を付けているから「頑張ってね」と声を掛けてくれるやさしいお客さんもいて、そんな時は無上の喜びを噛み締めずにいられない。
 星砂のバイトが始まっても、朝は変わらず青葉荘にて朝食、ふたりでのんびりと過ごし、それから少し早めの昼食を取って、ふたり揃って夢の丘公園へと出掛ける。公園に着いたら星砂はサンファミへ、田古はそのまま公園に居残り。
 週五日くたくたになるまで働く星砂と、そんな星砂の姿をはらはらどきどきしながらじっと見守っている田古。星砂の健気な姿がいじらしくて、バイトが終わって公園に戻って来る星砂に駆け寄り、
「なんだかね、やっぱり、お疲れさん」
とやさしくぽんと肩を叩く。星砂も、
「うん、でもやっぱり働くって気持ちいいね」
 と疲れた顔で微笑み返す。
 慣れて来れば疲労も減る。最初はバイトが終わったらへとへとで何も出来なかったのが、近頃では夕方夢の丘公園で雪雄と遊べるまでになった星砂。寒さに震える雪雄の体をごしごしと撫でてあっためて上げる。それから田古と着ぐるみマンと共に、やすおのいるネオン街へ。言葉には出さねどもやすおも着ぐるみマンも、星砂がバイトを始めたことに大喜び。
 夜のネオン街では、看板持ちの田古、通りで唄うやすおと踊る着ぐるみマンを見ている星砂。寒いのにみんな頑張ってるなあと感心する星砂であるけれど、その本人とて真冬の街角にずっと突っ立っているのだから大したもの。
 田古は相変わらずラジオを聴きながらの看板持ち。今夜のラジオのニュースは、年末から正月に掛けて起きた少女の監禁事件を報じている。ふう、星砂に聴かれなくて良かったと胸を撫で下ろす田古。今も昔もまことに悲しい事件ばかりが起こる世の中である。
 裏通りでビルの陰にしゃがみ込んで、晩御飯の弁当を食べるやすおと星砂。でも寒い、がたがた震えながらの食事はペットボトルのお茶だけが唯一の救い。食後、そのまま歌とギターの練習。
「松ちゃんは筋がいいから、どんどん教えてやっからな」
 と歌詞にコードを付したメモ用紙を渡すやすお。
「うん、有難う」
 と星砂もにっこり。飲み込みの早い星砂は、ひと月で一曲マスターしてしまう。今月はMinnie RipertonのLoving You。
「いつ松ちゃんがどっか行っちまってもいいように、俺らと歩いた日々の記念にさ」
 と、歌を教える理由を星砂に語るやすお。星砂と出会ったあの晩から既に、星砂との日々の終わりを予感していたやすおなのかも知れない。
 でも兎に角寒い、指がかじかむ、思うように指が動かない。指のみならず歯も震え、全身の肉も骨も震える。極寒の中のギター修行は正に難行苦行、まことに辛く指にふーふー息を吹き掛けながら、やっとの思いでこなしている星砂。
「やすおさんは寒くないの」
 問う星砂に、やすおも頷いて、
「そりゃさみいさ。でも気合いだよ、気合い」
「気合い」
「そう、寒さも忘れる位歌に集中すんだよ、松ちゃん」
 白い息吐き吐き、大声で笑うやすお。はあ、わたしにはとても真似出来ないと、苦笑いの星砂。
「でもほら、おっちゃんのお陰で助かってんだ」
 とやすおは田古からもらったホッカイロを、星砂にも分け与える。
「うん、あったかい」
 ネオン街の表通りに戻って、群衆の中で唄うやすお、踊る着ぐるみマンを見ている星砂。と、その隣りに突然もわもわっと立ち込める白い煙、何かと思えば、ハイライトの煙である。いつしかひとつの影、ひとりの女が星砂の横に突っ立っている。
「こんばんは」
 如何にもハイライト吸いまくりのしゃがれたハスキーボイスで、女は星砂に話し掛ける。びくっとして、恐る恐る女の顔を見る星砂。女は厚化粧、ひと目で風俗の女だと察しがつく、年の頃は三十代。続けて女、棘のある声で、
「あなた、田古さんのお知り合い」
 とべったり塗られた口紅が歪むその顔に笑みはなく、怯えたように小さくはいと頷くばかりの星砂である。
 星砂と女のツーショットに気付いた、田古、やすお、着ぐるみマン。みんな、女が誰かを知っている、詰まりみんなの御知り合い。田古なんぞ看板持ったまま、どぎまぎ、そわそわ。何しろ相手は風俗嬢、星砂がまたパンドラのことを思い出しはしないかと心配で仕方がない。やすおも同様に思ったか、ちょっとやべえかなと歌を中断し、慌ててふたりの中に割って入る。
「おー、雪ちゃん、どったの」
 雪ちゃん、そうこの女こそ誰あろう、エデンの東で働く風俗嬢の雪である。
「俺らの知り合いだから、平気、平気」
 と星砂を落ち着かせるやすお。けれどそんなやすおなどお構いなし、続けて星砂に詰問の雪。
「田古さんとは、どんなご関係」
 ありゃりゃ、毒たっぷりじゃん、今夜の雪ちゃん。で咄嗟に思い付いた出鱈目を口にするやすお。
「この子、松ちゃんって言って、おっちゃんの遠い親戚なんよ。上京して来たばかりで、今おっちゃんとこ世話になってんの。な、松ちゃん」
 振られて、あっ、はいと頷く星砂、遠い親戚……、ま、いいか。それを聴いて、
「あーら、そうだったの。御免なさい、誤解しちゃって」
 俄かに頬を緩める雪。
「そう言えば、何処となく似てるわね、田古さんと」
「そうか。ああ、そう言われて見れば、確かになあ」
 とやすおも頷く。ええーっ、ちょっと、と少しショックの星砂。やっぱりたこさんとわたし顔似てるんだ、でも、それもま、いいかあ……。
「わたし雪。じゃ、宜しくね、松ちゃん」
 微笑みを交し合う雪と星砂。ふう、良かったと胸を撫で下ろすやすお。でも女の直感、星砂は雪が田古に惚れていると見抜く。
「変わってるでしょ、田古さんて」
「でも、とってもやさしい人です」
「それだけが取り柄じゃない、あの人」
 あの人……。雪の掠れたハスキーボイスの笑い声が通りに響く、けれどそれすら掻き消す程のネオン街の賑わい。
「それじゃ、行かなきゃ」
 陽気に笑って、ネオンライト瞬く雑居ビルの中のエデンの東へと消えてゆく雪。後にはハイライトの匂いだけが残る。それすらもヒュルヒュルーと吹き過ぎる木枯らしに巻き込まれ跡形もなく消えてゆく。そうかやっぱり雪さん、風俗で働いてるんだ、とため息の星砂。とても他人事とは思えないから、胸が痛む。たこさんは雪さんのこと、どう思ってるんだろう。自分のことも忘れ、雪のことを思いやる星砂である。
 やすおをひとりネオン街に残し、先ず着ぐるみマンが、ふにゃー、眠いだなあと夢の丘公園へと帰ってゆく。看板持ちのバイトを終えた田古も待っていた星砂とふたりで、青葉荘へと家路を辿る。見上げれば今にも雪が降り出しそうなそんな曇り空、盛り場を抜ければ街はしーんと静かな真冬のミッドナイトである。
 真夜中の青葉荘、折角寝入っている星砂の肩をとんとんと田古が叩く。なあーにと不機嫌そうに目を覚ますと、ほらと窓を指差す田古。見ると磨りガラスの窓の向こうに、白いものがゆっくりと落ちて来る。ひとつまたひとつ……、何だ、あれ、もしかして。田古を見詰める星砂、にこっと頷く田古。えっ、じゃやっぱり、雪……。
「なんだかね、やっぱり、初雪っていうよ」
 小声でぼそっと囁く田古。
「は、つ、ゆ、き」
 田古の言葉を繰り返しながら、星砂は窓辺に立ち窓を開ける。うわーっ、本当、雪だあ。舞い落ちる粉雪のひとひらひとひらが、街灯の光に当たってきらきらと煌めいている。
 星砂にとって東京の雪は、一年目は殆ど降らず、二年目はそれなりに降ったけれど、烏賊川たちとのトラブルの頃で雪どころではなかった。今目の前に降る雪へと、そっと手を伸ばす星砂。掌で融ける雪の粒をじっと見詰めながら、
「きれい。東京にもこんなきれいな雪が降るんだね」
 黙って頷く田古。
「お母さんにも、見せて上げたい」
 幼子のように笑う星砂の顔が眩しくて、息が詰まる田古である。
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