私を月に連れてって (4)
文字数 1,470文字
スニーカーだった。
(あ、これ)ベンジャミンも気づく。(御曹司が欲しがってたやつ)
まさか鎌倉殿へのおねだりが通ったってことか?
言ってみるもんですね、と笑って言おうと思って、ベンジャミンがふりかえるより先に、
はじかれたようにクロードが立ちあがっていた。
顔面蒼白だ。
「毒針?」
「は、ないです」とロバート。「さすがに」
「じゃ何」とクロード。「
沈黙が落ちる。
「これ履いて出てけってことだな」
「いえ、……」
「そういうことだろう」
「じゃなくて、逃げる、ようにと」
「どこへ」
「どこでもいいので、姿を隠すようにと」
スニーカーの〈スニーク〉はもともと、〈音を立てずに忍び歩く〉という意味だ。
「近々――たぶんこの数日のあいだに――鎌倉殿の名前で、討伐令が出されます。九郎殿の」押し殺した声で告げるロバートだ。「その前にお逃げください。
鎌倉殿の本意ではないんです。
でも、そこを説明すると、長くなるので」
「いや説明しろよそこは」
「ですよね」
「訊いていい? おれのどこがいけなかった?」
ロバートはうつむいてためらっていたが、やがて悲しみをたたえた瞳を上げた。
「全部ですね」
「まじか」クロードも嘆息する。「おまえに言われるとショックでかい」
「いちばんいけないのは」とロバート。「お二人の、九郎殿と鎌倉殿の、
仲が良すぎる
ことです。このさいだから申しますが、あんなふうに見せつけられたら、誰も良い気はしないです」
「見せつけてない」
「見せつけてます。ご自覚がないんですよ。ごきょうだい二人だけで盛りあがっているあいだ、他の人間は完全においてきぼりです。
あるじゃないですかカラオケで。特定の人たちがマイク独占しつづけたら、まわりは引く」
坂東武士の鑑としてはどうなんだろうという喩えだが、的確ではある。
「ぼくらもはらはらしてるんです、ずっと」
そのぼくらを結びつけてる唯一の旗印が何なのか、九郎殿はわかっておられますか?」
「何」
「やっぱり言わなきゃわかりませんか」ロバートの声は哀しげだ。
「『みんなカミーユちゃんが好きすぎる』っていう一点なんですよ」
中世日本研究史上いまだかつてない斬新な、というか無理のある解釈だが、
当たっていなくもないと思う。(誰か賛成して?)
「ファンクラブの鉄則、おわかりじゃないですね、九郎殿」ロバートの苦言はつづく。「アイドルはファンの全員と握手しないといけないんです。特定の誰かが彼女を独占しちゃだめなんですよ。したら血の雨です。当然でしょう。
ぼくら側近はさんざん悩んで、知恵をしぼって……
梶原景時先生が名案を思いついてくれて、『頼朝・義経ご姉弟不仲説』をわざと流しました」
「あれ梶ぽんだったの?!」
「大声出さないで御曹司」これはベンジャミンだ。「ここ壁うすいんですから。おれもびっくりしたけど」ロバートをふりかえる。「ほんとですか」
「他言無用でお願いします」ロバートもさらに声をひそめる。「極秘で」
「梶ぽん許せねえ」クロードが歯噛みしている。「いつか殺す」
「じゃなくて感謝してください」とベンジャミン。「梶原先生にはいままでも、もうギリやばいところをいつも助けてもらってる」
「いつ?」
「追試とか」
「あー」
なんかひさびさに世界観設定を思い出したが、梶原マイケル景時はクロードたちの高校の担任で、教科は数学だ。