親友 其の二十二
文字数 3,139文字
そして一晩経った朝の七時過ぎ、私は斎堂寺の前にいた。
栄慶さんはあの後アパートまで私を送り届けると、お茶も飲まずに帰って行った。
引き止めたい気持ちもあったが、時間的にも朝早い彼を無理やり中へ入れるわけにはいかなかった。
だけど戻って行くその後ろ姿を見ていると、やはり一緒にいた方が良かったのかも……と後悔の念が頭をよぎる。
結局あまり眠れないまま朝を迎えた私は、出勤前に彼の様子を見ていこうと決めたのだった。
(ちょっと顔出すだけだから……いいよね?)
私はすでに開けられていた大門をくぐりぬけ、本堂の入口へと向かう。
境内は人の気配がしないくらい静まり返っていた。
今の時間帯なら朝の読経も終わり朝食の支度をしている頃かなと思いつつ、一度深呼吸してから中まで聞こえるように声を出す。
「栄慶さ……」
「あ、ユミちゃんおはよーっ!」
「――!?」
私は口を開けたまま固まる。
今……背後から聞こえたこの声は……
(ま、まさか……)
恐る恐る振り向くと、そこには……
「なになに? 朝からエージに夜這いならぬ朝這い? ユミちゃんってば大胆&x2661;」
宗近くんが……笑顔で浮いていた。
「な、なな……なんで宗近くんが……それに、その恰好……」
彼は昨日のジャケット姿とは違い、白衣や浅葱色の差袴……神職用の装束を身に着けていた。
「どうどう? 似合ってるでしょ? 父さんが俺用に用意してたやつ。朝からエージと取りに行って、今お焚き上げ終わった所なんだー」
宗近くんは「見て見て」っと、くるくると回りながら衣装を披露する。
「いや……似合ってるけど……けど何で……昨日成仏したはずなのに……」
「うん、成仏した。って言うか、しようとしたよ?」
「けどさー俺、向こうに逝きながら思ったんだよねー。エージは俺の事いつでも成仏させる事できるしー、ユミちゃんも俺を視て話しする事できるでしょ?」
「だったら今すぐ成仏しなくてもいいんじゃない? って思ってー、戻ってきちゃった!」
「……」
開いた口が塞がらない。
昨日しんみりとしたあの別れは何だったのか。
「それより聞いて聞いてっ! エージってば寺に戻ってきた俺を見るや否や、「今すぐ成仏しろ、二度と戻ってくるな」って追い出そうとしたんだよ? また会いに来ればいいって言ったのに!」
(そりゃそうでしょうよ)
さすがに戻ってくるのが早すぎる。
栄慶さんですら想定外だっただろう。
「でさー、それから朝までエージと成仏する、しない、の大喧嘩でね、すっごく大変だったの!!」
そう言って両手を腰に当てプンスカと怒り出す彼の後ろから、こちらに向かって歩いてくる栄慶さんの姿が見えた。そして何か訴えるかのように私達を見る。
「……」
「でもさ、最後は俺のこと受け入れてくれて、残っていいって言ってくれたんだよっ!」
「……」
「やっぱ持つべきものは親友だよね?」
「――……」
栄慶さんはそんな彼の喜ぶ姿を見て、何度も口を開いては閉じるを繰り返し、最後にそれは深い溜め息へと変わった。
栄慶さん……
説得……
諦めましたね?
彼の疲れた顔を見て私は察する。
もう何ていうか……お疲れ様としか言いようがない。
無言で憐みの目を向け合う私達を尻目に、宗近くんは朝からハイテンションで、今にも踊り出しそうな勢いだった。
「俺さー、またエージとユミちゃんと話ができて、すっごくすっごく嬉しいのっ!」
「宗近くん……」
そうだよね、まだまだ栄慶さんと話したい事や一緒にやりたい事、沢山あるはずだよね。
「私も、もっと宗近くんと話ができたらいいなっ」
「ほんとっ?」
「じゃあ今日からエージの寺に住む事にしたから、いつでも話しに……」
「やはり成仏していませんでしたか」
「あーっ、あんたっ!!」
背後から聞こえた声に、私は振り返る。
「手ごたえがなかったので、もしやとは思っていましたが」
「一条さん!」
「史真、と名前で呼んでくださって結構ですよ、癒見さん」
彼はニコリと微笑むと、宗近くんがいる方へと顔を向ける。
「永見の様子が気になって朝から寄ってみたのですのが、まさか亡くなった友人というのがあの者だったとは……」
「えと…史真……さん、は宗近くんのこと視えるんですか?」
「ええ、永見ほどではありませんが、視る事も祓う事もできますよ」
そう言いながら、慌てて私の背中に隠れた宗近くんに視線を移動させる。
その目は笑っているのにどこか冷たい印象を受けるのは気のせいだろうか。
宗近くんもそれを感じ取ったのか、僅かに怯みながらも私の背中ごしに彼を指差した。
「あれあれっ! あの坊さんっ! 昨日ここに戻ろうとしてた俺を強制成仏させようとした悪魔の坊さんっ!!」
「悪魔とは人聞きの悪い。私は貴方を冥土へ送って差し上げようとしただけです」
「俺、成仏したいだなんて言ってないし! 勝手に人を昇天させようなんてひどくない!?」
宗近くんは指差した手を上下に振りながら反論する。
「まぁ確かに、私は永見ほどの法力をもっているわけでもありませんし、普段なら無理に現世から魂を引き離すようなことはしません」
「で す が」
「女性の入浴を覗き見しようとする者を、黙って見過ごすわけにはいきません」
「うっ!」
「――……宗近くん、お風呂覗いたの?」
「いや、それは……その、戻る途中に明かりが見えて……、そこがお風呂だなんて思わなかったし、そもそも入ってるのが女の子とは限らないじゃんっ!」
「確かにそうですが、換気口から湯気が出ていましたし、そもそも自分で「わっ、やっぱり女の子が入ってる~女子高生かな、女子高生♪」と、嬉しそうに叫んでいたではありませんか」
「うぐっ!!」
「まさか宗近くん、その子に憑依して、いかがわしい事しようとか思って……」
私はススス……っと宗近くんから遠ざかる。
「そんな事しないってっ! 憑依して触っても楽しくないじゃんっ。幽霊でも気づかれるか気づかれないかの状況で覗くのが楽し……あっ……」
しまったっ、と口を押さえる宗近くんに冷たい視線を向けながら、私はさらに彼から離れた。
「さて、癒見さんの心も離れた所で、そろそろ成仏しましょうか。なに、心配いりません。も が き 苦 し ん で 逝くだけですから」
「それ悪意こもってるよねっ!?」
史真さんは宗近くんの言葉を無視し、合掌する。
「待って! 俺エージの友達だからっ! 小学校から高校まで遊んだ仲だからっ!!」
「私も大学からの付き合いですから長いですよ」
「ぐっ! つまりあんたは俺の知らない大人になったエージのあんな事やこんな事を知って……」
「変な言い方するんじゃない」
「確かに過去、あんな事やこんな事もした仲ですよ」
「一条……」
「それ、詳しく聞きたいです……」
「癒見……」
「あっ、冗談ですよ、冗談っ!」
「ふふ……、また時間のある時にお聞かせしますよ」
「ともかく今は、この不届き者を今度こそ成仏させてあげませんとねぇ」
そう言うと史真さんは不敵な……いや、穏やかな笑みを浮かべると、透き通るような美声でお経を唱え始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってっ! お慈悲っ! お慈悲――――っ!!」
こうして宗近くんは、何度も昇天しそうになりながら境内を逃げ回り
最後は土下座して許しを請うのだった。
第四章 親友 【完】
栄慶さんはあの後アパートまで私を送り届けると、お茶も飲まずに帰って行った。
引き止めたい気持ちもあったが、時間的にも朝早い彼を無理やり中へ入れるわけにはいかなかった。
だけど戻って行くその後ろ姿を見ていると、やはり一緒にいた方が良かったのかも……と後悔の念が頭をよぎる。
結局あまり眠れないまま朝を迎えた私は、出勤前に彼の様子を見ていこうと決めたのだった。
(ちょっと顔出すだけだから……いいよね?)
私はすでに開けられていた大門をくぐりぬけ、本堂の入口へと向かう。
境内は人の気配がしないくらい静まり返っていた。
今の時間帯なら朝の読経も終わり朝食の支度をしている頃かなと思いつつ、一度深呼吸してから中まで聞こえるように声を出す。
「栄慶さ……」
「あ、ユミちゃんおはよーっ!」
「――!?」
私は口を開けたまま固まる。
今……背後から聞こえたこの声は……
(ま、まさか……)
恐る恐る振り向くと、そこには……
「なになに? 朝からエージに夜這いならぬ朝這い? ユミちゃんってば大胆&
宗近くんが……笑顔で浮いていた。
「な、なな……なんで宗近くんが……それに、その恰好……」
彼は昨日のジャケット姿とは違い、白衣や浅葱色の差袴……神職用の装束を身に着けていた。
「どうどう? 似合ってるでしょ? 父さんが俺用に用意してたやつ。朝からエージと取りに行って、今お焚き上げ終わった所なんだー」
宗近くんは「見て見て」っと、くるくると回りながら衣装を披露する。
「いや……似合ってるけど……けど何で……昨日成仏したはずなのに……」
「うん、成仏した。って言うか、しようとしたよ?」
「けどさー俺、向こうに逝きながら思ったんだよねー。エージは俺の事いつでも成仏させる事できるしー、ユミちゃんも俺を視て話しする事できるでしょ?」
「だったら今すぐ成仏しなくてもいいんじゃない? って思ってー、戻ってきちゃった!」
「……」
開いた口が塞がらない。
昨日しんみりとしたあの別れは何だったのか。
「それより聞いて聞いてっ! エージってば寺に戻ってきた俺を見るや否や、「今すぐ成仏しろ、二度と戻ってくるな」って追い出そうとしたんだよ? また会いに来ればいいって言ったのに!」
(そりゃそうでしょうよ)
さすがに戻ってくるのが早すぎる。
栄慶さんですら想定外だっただろう。
「でさー、それから朝までエージと成仏する、しない、の大喧嘩でね、すっごく大変だったの!!」
そう言って両手を腰に当てプンスカと怒り出す彼の後ろから、こちらに向かって歩いてくる栄慶さんの姿が見えた。そして何か訴えるかのように私達を見る。
「……」
「でもさ、最後は俺のこと受け入れてくれて、残っていいって言ってくれたんだよっ!」
「……」
「やっぱ持つべきものは親友だよね?」
「――……」
栄慶さんはそんな彼の喜ぶ姿を見て、何度も口を開いては閉じるを繰り返し、最後にそれは深い溜め息へと変わった。
栄慶さん……
説得……
諦めましたね?
彼の疲れた顔を見て私は察する。
もう何ていうか……お疲れ様としか言いようがない。
無言で憐みの目を向け合う私達を尻目に、宗近くんは朝からハイテンションで、今にも踊り出しそうな勢いだった。
「俺さー、またエージとユミちゃんと話ができて、すっごくすっごく嬉しいのっ!」
「宗近くん……」
そうだよね、まだまだ栄慶さんと話したい事や一緒にやりたい事、沢山あるはずだよね。
「私も、もっと宗近くんと話ができたらいいなっ」
「ほんとっ?」
「じゃあ今日からエージの寺に住む事にしたから、いつでも話しに……」
「やはり成仏していませんでしたか」
「あーっ、あんたっ!!」
背後から聞こえた声に、私は振り返る。
「手ごたえがなかったので、もしやとは思っていましたが」
「一条さん!」
「史真、と名前で呼んでくださって結構ですよ、癒見さん」
彼はニコリと微笑むと、宗近くんがいる方へと顔を向ける。
「永見の様子が気になって朝から寄ってみたのですのが、まさか亡くなった友人というのがあの者だったとは……」
「えと…史真……さん、は宗近くんのこと視えるんですか?」
「ええ、永見ほどではありませんが、視る事も祓う事もできますよ」
そう言いながら、慌てて私の背中に隠れた宗近くんに視線を移動させる。
その目は笑っているのにどこか冷たい印象を受けるのは気のせいだろうか。
宗近くんもそれを感じ取ったのか、僅かに怯みながらも私の背中ごしに彼を指差した。
「あれあれっ! あの坊さんっ! 昨日ここに戻ろうとしてた俺を強制成仏させようとした悪魔の坊さんっ!!」
「悪魔とは人聞きの悪い。私は貴方を冥土へ送って差し上げようとしただけです」
「俺、成仏したいだなんて言ってないし! 勝手に人を昇天させようなんてひどくない!?」
宗近くんは指差した手を上下に振りながら反論する。
「まぁ確かに、私は永見ほどの法力をもっているわけでもありませんし、普段なら無理に現世から魂を引き離すようなことはしません」
「で す が」
「女性の入浴を覗き見しようとする者を、黙って見過ごすわけにはいきません」
「うっ!」
「――……宗近くん、お風呂覗いたの?」
「いや、それは……その、戻る途中に明かりが見えて……、そこがお風呂だなんて思わなかったし、そもそも入ってるのが女の子とは限らないじゃんっ!」
「確かにそうですが、換気口から湯気が出ていましたし、そもそも自分で「わっ、やっぱり女の子が入ってる~女子高生かな、女子高生♪」と、嬉しそうに叫んでいたではありませんか」
「うぐっ!!」
「まさか宗近くん、その子に憑依して、いかがわしい事しようとか思って……」
私はススス……っと宗近くんから遠ざかる。
「そんな事しないってっ! 憑依して触っても楽しくないじゃんっ。幽霊でも気づかれるか気づかれないかの状況で覗くのが楽し……あっ……」
しまったっ、と口を押さえる宗近くんに冷たい視線を向けながら、私はさらに彼から離れた。
「さて、癒見さんの心も離れた所で、そろそろ成仏しましょうか。なに、心配いりません。も が き 苦 し ん で 逝くだけですから」
「それ悪意こもってるよねっ!?」
史真さんは宗近くんの言葉を無視し、合掌する。
「待って! 俺エージの友達だからっ! 小学校から高校まで遊んだ仲だからっ!!」
「私も大学からの付き合いですから長いですよ」
「ぐっ! つまりあんたは俺の知らない大人になったエージのあんな事やこんな事を知って……」
「変な言い方するんじゃない」
「確かに過去、あんな事やこんな事もした仲ですよ」
「一条……」
「それ、詳しく聞きたいです……」
「癒見……」
「あっ、冗談ですよ、冗談っ!」
「ふふ……、また時間のある時にお聞かせしますよ」
「ともかく今は、この不届き者を今度こそ成仏させてあげませんとねぇ」
そう言うと史真さんは不敵な……いや、穏やかな笑みを浮かべると、透き通るような美声でお経を唱え始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってっ! お慈悲っ! お慈悲――――っ!!」
こうして宗近くんは、何度も昇天しそうになりながら境内を逃げ回り
最後は土下座して許しを請うのだった。
第四章 親友 【完】