第1話
文字数 1,454文字
「龍王様! あたくしをここから出してください! 龍王様! 龍王様!」
エズメラルダは、ぴったりと閉じられた扉をたたきながら、これでもう何度目、いや、何十回目かになる言葉を叫んだ。古い木のドアに赤い印がついたのに気づき、わが手を見る。すりむけ、傷つき、血がにじんでいる。
狂っている。
自分で自分をわらった。
所詮あたくしなど、この程度なのだ。こうなることは最初からわかっていたはずだった。いや。
懐に忍ばせた小瓶をにぎりしめる。
これがここにある限り、そんなはずは。
ふと、あの冷徹な予言者アルズールの冷たいまなざしが脳裏をよぎった。
あの者ならやりかねない。
ため息をついてドアにもたれかかる。全身を支える気力もなく、そのままずるずると床に座り込んだ。
……バカげている。
ここは石造りの塔の最上階であるにもかかわらず、床からは冷気が伝わってくる。返事を求めて耳を澄ますも、豪華な部屋についていた召使いたちも姿を見せない。
もう一度ドアをたたこうとして、手を止めた。すべてがむなしかった。苦しかった。切なかった。そのまま床に崩れ落ちる。
「どうして……! どうして、このような仕打ちをなさる」
胸が張り裂けそうだった。
愛されていると思っていたのに。
ようやく、忘れることができると思った。心の中に住み着いて離れない人を過去の思い出にできると思った。
愛したい。愛されたい。
それさえも、あたくしには許されぬというのか。
月のない真っ暗な夜だった。テラスから見上げる空には大粒の星々だけがまたたいていた。龍王は、エズメラルダの目をのぞきこんだ。
「こんな夜は、あなたの瞳はもう、エメラルドグリーンではない。このときだけは、全ての運命を忘れていいのですよ」
そう言って、優しく抱き寄せた。龍王が絹のドレス越しにわずかにその指先を肌にすべらせるだけで、全身に心地よいしびれが走った。なのに、目を閉じたまぶたに浮かび上がるのは、アルハンドロ。
「また、あの方のことを思っているのですね」
龍王は、さみしそうに体を離した。
「思っているわけではないのです。ただ、心の中にいる。それだけです。今あたくしが思っているのは、龍王様」
うるんだ瞳を龍王に向けた。龍王はふたたびエズメラルダを抱き寄せた。「あ……」と、小さな吐息がもれた。龍王はその美しい顔をエズメラルダの頬に寄せ、やさしく唇で触れた。なのに、唇には触れなかった。両腕を龍王の首に回し、自分から唇を近づける。けれども、やんわりと避けられた。
「……龍王様」
「もう、夜も更けた。わたしはこれで」
「なぜですの?」
エズメラルダはたずねた。
「あたくしが、おきらいなのですか」
「愛しています」
ためらう様子もなかった。だからこそ、切なかった。
「ではなぜ、口づけをしてくださらないのですか? なぜ……抱いてくださらない?」
「あなたは、きっと後悔する」
傷ついたみたいに龍王は言った。
「気づいていないとお思いか? あなたが、どれほど深く心に住み着くその方を思っているかを。わたしは所詮、醜い龍。あなたは、そのような者に心を奪われるべきではない」
「誰に心を奪われるかは、あなた様がお決めになることではない」
龍王の言葉を否定したくてつい、強い口調になる。だからこそ、虚しさが後に残る。
「さあ、夜風は体に毒ですよ。早くおやすみなさい」
「龍王様」
「けれど、これだけは忘れないでください。あなたがどれほどあの方をお思いになろうとも、わたしの心はあなたのものです」
そう言って、部屋を後にした。
エズメラルダは、ぴったりと閉じられた扉をたたきながら、これでもう何度目、いや、何十回目かになる言葉を叫んだ。古い木のドアに赤い印がついたのに気づき、わが手を見る。すりむけ、傷つき、血がにじんでいる。
狂っている。
自分で自分をわらった。
所詮あたくしなど、この程度なのだ。こうなることは最初からわかっていたはずだった。いや。
懐に忍ばせた小瓶をにぎりしめる。
これがここにある限り、そんなはずは。
ふと、あの冷徹な予言者アルズールの冷たいまなざしが脳裏をよぎった。
あの者ならやりかねない。
ため息をついてドアにもたれかかる。全身を支える気力もなく、そのままずるずると床に座り込んだ。
……バカげている。
ここは石造りの塔の最上階であるにもかかわらず、床からは冷気が伝わってくる。返事を求めて耳を澄ますも、豪華な部屋についていた召使いたちも姿を見せない。
もう一度ドアをたたこうとして、手を止めた。すべてがむなしかった。苦しかった。切なかった。そのまま床に崩れ落ちる。
「どうして……! どうして、このような仕打ちをなさる」
胸が張り裂けそうだった。
愛されていると思っていたのに。
ようやく、忘れることができると思った。心の中に住み着いて離れない人を過去の思い出にできると思った。
愛したい。愛されたい。
それさえも、あたくしには許されぬというのか。
月のない真っ暗な夜だった。テラスから見上げる空には大粒の星々だけがまたたいていた。龍王は、エズメラルダの目をのぞきこんだ。
「こんな夜は、あなたの瞳はもう、エメラルドグリーンではない。このときだけは、全ての運命を忘れていいのですよ」
そう言って、優しく抱き寄せた。龍王が絹のドレス越しにわずかにその指先を肌にすべらせるだけで、全身に心地よいしびれが走った。なのに、目を閉じたまぶたに浮かび上がるのは、アルハンドロ。
「また、あの方のことを思っているのですね」
龍王は、さみしそうに体を離した。
「思っているわけではないのです。ただ、心の中にいる。それだけです。今あたくしが思っているのは、龍王様」
うるんだ瞳を龍王に向けた。龍王はふたたびエズメラルダを抱き寄せた。「あ……」と、小さな吐息がもれた。龍王はその美しい顔をエズメラルダの頬に寄せ、やさしく唇で触れた。なのに、唇には触れなかった。両腕を龍王の首に回し、自分から唇を近づける。けれども、やんわりと避けられた。
「……龍王様」
「もう、夜も更けた。わたしはこれで」
「なぜですの?」
エズメラルダはたずねた。
「あたくしが、おきらいなのですか」
「愛しています」
ためらう様子もなかった。だからこそ、切なかった。
「ではなぜ、口づけをしてくださらないのですか? なぜ……抱いてくださらない?」
「あなたは、きっと後悔する」
傷ついたみたいに龍王は言った。
「気づいていないとお思いか? あなたが、どれほど深く心に住み着くその方を思っているかを。わたしは所詮、醜い龍。あなたは、そのような者に心を奪われるべきではない」
「誰に心を奪われるかは、あなた様がお決めになることではない」
龍王の言葉を否定したくてつい、強い口調になる。だからこそ、虚しさが後に残る。
「さあ、夜風は体に毒ですよ。早くおやすみなさい」
「龍王様」
「けれど、これだけは忘れないでください。あなたがどれほどあの方をお思いになろうとも、わたしの心はあなたのものです」
そう言って、部屋を後にした。