牧師ってのは、僕、死、らしいよ。

文字数 4,456文字

それからの一週間は怒涛のようにすぎて、実はあんまり覚えていない。
 次から次へと弔問客が訪れて、親父とお袋に、いかに世話になったか、なんて話をしていく。
葬儀は、カナダで牧会している叔父さんが執り行ってくれて、牧師夫人の叔母さんはずっと傍にいてくれた。
叔父夫婦には子どもがいない。
叔母さんが、
「よしゅあちゃん、何にも、心配しなくていいからね。」
といってくれて、たぶん、これからは叔父さんたちとカナダにいくことになるのかな、なんてぼんやり考えていた。
 葬儀の終わった、日曜日の午後。
 やまのべ教会の旧会堂で、全教会員が長机を囲んで座り、今後の教会をどうするか、についての会議が行われた。
まぁ、全教会員といっても、毎週礼拝にくる『教会員』は15人(子ども含めて)いるかいないかだったし。
この会議には、普段全く教会に姿を現さない人たちも参加していたけど、
それでも30人もいなくて。
―これが35年間、親父たちが汗水たらして牧会してきたものの、全部だった。
 議題は、いつ、このやまのべ教会を閉めるか、その閉鎖時期について。
やまのべ教会はプロテスタントの単立教会で、どこの教団・グループにも属していなかったので、すぐに新しい牧師を手配することができないらしい。
協力教会というか、親父たちと仲の良かった教会も隣の県だったり、なかなか次世代がいなくて困っていたところで、やはり今すぐ、誰かを手伝いに、というわけにもいかないらしい。
勿論、何か月に一度など、親父の牧師友達が手伝いにこよう、と申し出てくれてはいるけど、来てくれない間は、“無牧”(教会に牧師がいない状態)になってしまう。
その間、ここは閉鎖しておこう、とか、35年の歴史をもつやまのべ教会もこれが神のみこころ、ここですっぱりと終了しよう、という案もでていた。
 本当なら、カナダで牧会している叔父夫婦がここに戻ってきて、牧会してくれるのが一番いい。
経緯は知らないけど、もともと叔父たちがカナダで牧会しはじめたのは親父の知り合いの宣教師つながりで、やまのべ教会の副牧師をしていた叔父夫婦がまかされたのがきっかけらしい。
最初は5人?しか教会員がいなかった、カナダの教会は、叔父たちが赴任した10年目、爆発的な成長をとげた。
いまや毎週300人を超える人数の礼拝が行われ、叔父も叔母も、むこうでなくてはならない人物になっているとか。
 みんな、そんな話をきいて、こんな田舎町の、平均礼拝出席者数10人、かもしれない教会に帰ってきてください、とはいえなくなってしまった。
 仕方のない話だろうけど、5年前に建設したばかりだから、今教会を閉めて、売りにだせばローン?とか、完済できるとか、教会が建っているのは駅に近い土地だから、売り払って、もう少し田舎に小さい教会を建てて、協力牧師がこれる時だけ礼拝できるようにしたらどうか?などなど、、、、、
・・・・まぁ、子どもの俺には関係のない話だった。
 だから、ぼんやりと旧会堂の、うすよごれた天井近くの壁紙をみるともなしに眺めていた。
 ーカナダにいくことになるなら、高校受験はいらなかったかもな。
 高校の合格通知は、昨日届いていた。
 お袋があんなに心配していた受験もおわればあっけないもので。
 俺も、あの日、親父たちと一緒にでかけていればよかったのかもしれない。
そうすれば、こんなことには、
「よしゅあ君がいるでねぇか!!」
突然の大声にびっくりして、前を見た。
 ら、トラじーちゃんが、いままで見たこともないような、真剣な表情をして立ち上がった。
「愛する、教会員のみなさん、どうか、おらの話をきいてもらいてぇ。
 おらは、田舎のどん百姓で、その日、その日に農作業して食っていくのが精いっぱいだった。
米がとれなきゃ、あっちの神様、水がなくなりゃ、こっちの神様をおがんで、
いつも、神様に粗相のねぇようにどの神様だか、わからねえもののご機嫌をうかがうことばかりしねぇとならねぇ、毎日だった。
がんばったって、神様のご機嫌次第でむくわれねぇ、そんときに大きな怪我をして、
もう神も仏もあるもんか、こんな人生おわりにしたらぁ、とやけになって電車にとびこんでおっちんでやるつもりで駅に来て、伝道していた先生に会っただよ。
 こんたら若造に、おらのなにがわかる、人生の絶望が、何がわかるんだぁ、ってつっかかっていって、そこで、おら、はじめて、聖書の話をきいただよ。」
ー衝撃だった。
トラじーちゃんのことはずっと知ってたけど、そんな過去があったなんて、、、
誰もが、同じ思いなのか、会衆は静まりかえって、トラじーちゃんの言葉に耳を傾ける。
「おらが、ギプスの腕をふりかぶって、なぐりかかる、
先生が「神は、愛、なりっ!」といいながら聖書でガードする、
そんならばと、松葉づえをふりあげると、
「主は、私の、羊飼いー!」と言いながら傘で受け止める、
最後は、おらの、渾身のパンチと、先生の必殺技、「全ての人を照らす、まことの光」
パンチのクロスカウンターよ・・・!」
しーん。
会堂が、さっきとは、別の意味で静まり返った。
何人かはうなずいたり、ジョー・ヤブキ・・  ときこえたがそれ、どういう意味?
「まぁそんなこんなから、わしは先生に会い、何度も聖書の話をきいたり、祈ってもらって、クリスチャンになったわけじゃが・・・
―わしは、こんな話は、はじめて聞いた。
神様っちゅうのは、おこりっぽくて、いつも、なにか供えないと、いう事をきいてくれんようになるもんだと思っとった。
わしをつくって、この自然全てをつくって、わしのために、十字架で死ぬほど、愛してくれた、こんな神様の話は、はじめてきいた。
わしは、自分は正しい人間だと思いながら、その実、だれよりも利己主義で、自分勝手な生き方をしていた・・・。
こんな、わしのために十字架についてくださる程に、わしを愛してくださったキリスト様、わしは、この方にあって、人生が360度かわったんじゃ。」
「180度ですよ。」
こそっと、タケばーちゃんが訂正した。
「わしは、あの日のことを、わすれたことがねぇ。
この人生に希望ができたのは、あの日、あの場所で、先生が伝道してくれていたからだ。この田舎で、ただ一人、希望をかたった、先生がいたからだ。
あれから35年。いま、ここで、先生がはじめられた福音伝道の扉を閉ざしていいもんじゃろうか。
わし達夫婦は、先生方から、かえしてもかえしきれねぇ恩を、愛を、受けただ。
その先生方にむくいて、喜んでもらうには、ここできれいにしめておわりにすることじゃねぇ。
主と、お会いできるその日まで、先生方と再び会いまみえるその日まで、先生のおしえてくれたキリストの愛と希望を、この地において、語り続けるべきだと、わしは思う。」
「んだ。それに、わたしらは、よしゅあ君と一緒に、先生の最期にたちあっただ。
せんせいは、震える手で、最期の力をふりしぼって、よしゅあ君の手を握り、、、
よしゅあ、教会を、たのむと、、、、、」
タケばーちゃんが、ぽろりと涙をながした。
あ、みんなが涙ぐんでる、、、
タケばーちゃん、親父の最期は「いいね!」です、、、、
ぐすっぐすっ、本格的に泣いている人がいる、と思ったら、それは叔父だった。
叔父さんは顔を真っ赤にして、言葉をつまらせながら言った。
「そ、そうだったな、にいさんは、いつも、よしゅあのことを、この教会のことを、
気にかけていた・・・
よしゅあは、必ず、すばらしい牧師になると、
この教会から、世界に伝道がなされるようになると、いつも祈ってて・・・
ま、毎朝、よしゅあが牧師になるよう、この教会のみなさんが熱心な信仰でいられるよう、このやまのべ町の全人口が救われるように祈ってて・・・」
親父、まじか。
あちこちから、先生・・とかつぶやく声や、極まって泣き始めた人もいて、ううっ、とか、鼻をすする音だったり・・もはや、会議どころではない雰囲気になった。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
机につっぷして、たぶん、いちばん泣いていた叔父が、ゆっくりと顔をあげた。
「・・・・よしゅあ」
なんか、涙や鼻水や、いろいろな液体がついてる叔父の顔を見た。
俺の視線に気が付いたのか、袖口でぬぐう。
「よしゅあ、とりあえず、だ。」
差し出された水をのんで、落ち着いた声で、叔父は言った。
「おまえ、“とりあえず”“まにあわせ”で、牧師、しないか?」
はい?
「おまえが、“とりあえず”牧師の代理として、“まにあわせ”で臨時の牧師として、ここに残ってくれるなら、いますぐこの教会を閉めなくてすむ、かもしれん、、、」
はい?
「カナダの教会とここの教会をスカイプなりでつなげば、礼拝メッセージも中継できるし、教会の役員会議でもカウンセリングでも、私がすぐに相談にのれるしな、、、
勿論、後任が見つかるまでの間だけの話だ。
それでも信徒のみなさんには多大なる忍耐と負担を強いることになってしまうし、みなさんの承認が得られたら、の話だが、
・・よしゅあ、お前、“とりあえず”“まにあわせ”で、牧師、しないか?」
ないだろ。
ないない。
俺、自慢じゃないけど、聖書まだ全部よんだこともないし。
いくらなんでも、この俺がはい、牧師です、なんてできるわけがない。
「無理です。」
って言おうとしたとき、旧会堂のふるぼけた壁、その扉の先の礼拝堂が目に入った。
あの礼拝堂、きれいなんだけど、お金がなかったから、壁紙はみんなで張ったんだ。
素人がわいわいやったから、ちょっとズレてたり、めくれてたりする。
講壇の少し高くなっている舞台も、廃材をあわせてつくったから歪だし、
へたくそがうったせいで(俺だけじゃないぞ、、、)釘あとがひどく目立っちゃってるところもある。
この旧会堂なんか、若い頃の親父たちが基礎工事からがんばったおかげで変にミシミシするところもあるし、
柱が足りてないから大きな地震があったらヤバいとかいう怖い噂もある。
台所設備も古くて、婦人会のおばちゃんたちはコンロの調子が悪いとか、
冷蔵庫が冷えないとか、苦労しながら食事の支度をしていたし、
壮年会のおじちゃんたちはペンキをぬったり、トイレを修理したり、
いつもどこかの修繕をしている。
そんな、ぼろぼろの教会なんだ。
 ―ぼろぼろで、信徒数も少ない、とうとう牧師もいなくなった教会。
―いっそ、なくなったほうが楽なのに。
誰も口をきかなかった。
やれ、とも、するな、とも。
ただ、みんな、俺が答えるのを、まっていた。
・・・・・
みなさん、ごめんなさい。



俺・・・、俺、
―俺、この教会の牧師やります。

礼拝堂の入口には、聖書のことばが描かれていた。
『神にとって、不可能なことは一つもありません。 ルカの福音書1:37』
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