第1話
文字数 1,814文字
昔、私は人と顔を合わし話すのが苦手だった。
しかし社会人になってから知り合った人達は決まって言うのだ。
「嘘でしょ、そんな風に見えないよ。だって人付き合い普通にいいじゃない」
周囲から私はそのように見られているらしい。なんだか、すごく複雑で不思議な気持ちになる。
今、私が普通に人と接せられるようになった要因はいくつかあるのだが、とりわけ一番大きい理由は【自身が眼鏡をかけていること】だ。
私が眼鏡をかけるようになったのは、10年ほど前の高校生時代になる。
※ ※ ※ ※ ※
高校時代、私は人が怖かった。
入学当初、高校デビューをし楽しい学校生活を送ろうと思っていた願いは、あっけなく簡単に消え去った。
いろんな経緯は割愛するが、一時期いや、もしかしたら今も続いているのかもしれない。
人と話すとき、相手が何を考えているのかを考え、私は悪い方向に考えることが多かった。
そのことを学校の保険医の先生に相談したら、
「何か別のことで気分をごまかせばいいんじゃない? 」
と助言をもらった。
私はすぐに手段が思いつかなくて、いろいろ試行錯誤をした。
悲しいかな。
当時私は学生でありながら、勉強時間より人と話すとき怖くならない方法を探す時間のほうがずっと長かった。
そして色んな方法を試し、人と話すのが少しましになった方法が
【眼鏡をかけること】だった。
※ ※ ※ ※ ※
眼鏡をかけると相手との間に少し壁ができたようで、ほんの少し気分が楽になった。
当時私の視力は、眼鏡をかけなくてもぎりぎり黒板は見えていたし、コンタクトレンズをつける子のほうが断トツに多かった。だからわざわざ眼鏡を選ぶ必要もなかった。
でも私はコンタクトレンズより眼鏡を選んだ。
なんとなく自分を守ってくれる防具のように感じたのだ。
そのことを両親に言ったら、
「不安なら心に武装して学校に行ってもいいじゃない」
「眼鏡で武装なんて格好いいなあ」
と言われた。おそらく両親は私に不安を持たせないようにしたのだろう。
でもこのフレーズは、今でもとても印象に残っている。
翌日、眼鏡をかけて登校するときすごく緊張をしていたのを覚えている。
眼鏡をかけた私は前より印象が変わったらしい。
眼鏡をかけた私を見たクラスメイトから
「おっ、眼鏡かけ始めたのか。いいじゃん」
「似合ってるよ~」
と好意的な意見も多くもらえた。
周囲から好意的な意見が多かった結果、私は眼鏡をかけた自分が少し好きになった。
その後、眼鏡をかけるだけでなく様々な手法を使った結果、人と話す際相手に失礼がない程度には話せるようになったと思う。
高校を卒業してからは、眼鏡のフレームにこだわって、おしゃれを楽しめるくらいになっていた。
※ ※ ※ ※ ※
大学生時代。
眼鏡で心の武装したことについて、忘れかけていた時だった。ある日、大学の友人からこんなことを言われた。
「なんで、眼鏡をかけているの?私より視力もいいし、コンタクトでも似合いそうなのに」
そっか、
最近は眼鏡を使って人と距離を取っていたことも忘れていた。私が呆気にとられていると、何かまずいことを言ったと慌てた友人は
「まあ、眼鏡も似合っているし、かけた方が好きなら別にいいか。自分が快適な方がいいよね」
別にそこまで気にしなくてもいいのに、そう思った私は自然とこう言った。
「私、けっこう眼鏡かけた自分のほうが好きなんだよね」
そっか、私眼鏡をかけた自分が好きになっていたんだ。
※ ※ ※ ※ ※
昔私は眼鏡という防具で武装して、人と話すことを選んだ。最近では武装していたことも忘れていたが……、
今でも人と話すとき怖くないかと言われたら、正直怖い。じゃあ昔より何で普通に話せるのか考えた。
ああ、きっと、今は眼鏡だけでなく外面や愛想という武装で人と話している。
いわゆる処世術と言うやつだ。
処世術が当たり前になるような年になったことも感慨深い。高校生だったとき、大人になって自分はうまくやっていけるのかとても不安だった。でも今は、いろんな手段を使って普通に暮らせている。
だけど、ふと寂しさも感じることもあるのだ。
-いつかこのたくさんある武装が取れたらいいなあ-
そんなことを思いながらも、こうも思う。
眼鏡をかけたことによって得られたこともあったから、悪いことだけではない。とりあえず、心の武装になってくれた眼鏡へ「ありがとう」と言いたい。今はただそれだけでいい。
しかし社会人になってから知り合った人達は決まって言うのだ。
「嘘でしょ、そんな風に見えないよ。だって人付き合い普通にいいじゃない」
周囲から私はそのように見られているらしい。なんだか、すごく複雑で不思議な気持ちになる。
今、私が普通に人と接せられるようになった要因はいくつかあるのだが、とりわけ一番大きい理由は【自身が眼鏡をかけていること】だ。
私が眼鏡をかけるようになったのは、10年ほど前の高校生時代になる。
※ ※ ※ ※ ※
高校時代、私は人が怖かった。
入学当初、高校デビューをし楽しい学校生活を送ろうと思っていた願いは、あっけなく簡単に消え去った。
いろんな経緯は割愛するが、一時期いや、もしかしたら今も続いているのかもしれない。
人と話すとき、相手が何を考えているのかを考え、私は悪い方向に考えることが多かった。
そのことを学校の保険医の先生に相談したら、
「何か別のことで気分をごまかせばいいんじゃない? 」
と助言をもらった。
私はすぐに手段が思いつかなくて、いろいろ試行錯誤をした。
悲しいかな。
当時私は学生でありながら、勉強時間より人と話すとき怖くならない方法を探す時間のほうがずっと長かった。
そして色んな方法を試し、人と話すのが少しましになった方法が
【眼鏡をかけること】だった。
※ ※ ※ ※ ※
眼鏡をかけると相手との間に少し壁ができたようで、ほんの少し気分が楽になった。
当時私の視力は、眼鏡をかけなくてもぎりぎり黒板は見えていたし、コンタクトレンズをつける子のほうが断トツに多かった。だからわざわざ眼鏡を選ぶ必要もなかった。
でも私はコンタクトレンズより眼鏡を選んだ。
なんとなく自分を守ってくれる防具のように感じたのだ。
そのことを両親に言ったら、
「不安なら心に武装して学校に行ってもいいじゃない」
「眼鏡で武装なんて格好いいなあ」
と言われた。おそらく両親は私に不安を持たせないようにしたのだろう。
でもこのフレーズは、今でもとても印象に残っている。
翌日、眼鏡をかけて登校するときすごく緊張をしていたのを覚えている。
眼鏡をかけた私は前より印象が変わったらしい。
眼鏡をかけた私を見たクラスメイトから
「おっ、眼鏡かけ始めたのか。いいじゃん」
「似合ってるよ~」
と好意的な意見も多くもらえた。
周囲から好意的な意見が多かった結果、私は眼鏡をかけた自分が少し好きになった。
その後、眼鏡をかけるだけでなく様々な手法を使った結果、人と話す際相手に失礼がない程度には話せるようになったと思う。
高校を卒業してからは、眼鏡のフレームにこだわって、おしゃれを楽しめるくらいになっていた。
※ ※ ※ ※ ※
大学生時代。
眼鏡で心の武装したことについて、忘れかけていた時だった。ある日、大学の友人からこんなことを言われた。
「なんで、眼鏡をかけているの?私より視力もいいし、コンタクトでも似合いそうなのに」
そっか、
最近は眼鏡を使って人と距離を取っていたことも忘れていた。私が呆気にとられていると、何かまずいことを言ったと慌てた友人は
「まあ、眼鏡も似合っているし、かけた方が好きなら別にいいか。自分が快適な方がいいよね」
別にそこまで気にしなくてもいいのに、そう思った私は自然とこう言った。
「私、けっこう眼鏡かけた自分のほうが好きなんだよね」
そっか、私眼鏡をかけた自分が好きになっていたんだ。
※ ※ ※ ※ ※
昔私は眼鏡という防具で武装して、人と話すことを選んだ。最近では武装していたことも忘れていたが……、
今でも人と話すとき怖くないかと言われたら、正直怖い。じゃあ昔より何で普通に話せるのか考えた。
ああ、きっと、今は眼鏡だけでなく外面や愛想という武装で人と話している。
いわゆる処世術と言うやつだ。
処世術が当たり前になるような年になったことも感慨深い。高校生だったとき、大人になって自分はうまくやっていけるのかとても不安だった。でも今は、いろんな手段を使って普通に暮らせている。
だけど、ふと寂しさも感じることもあるのだ。
-いつかこのたくさんある武装が取れたらいいなあ-
そんなことを思いながらも、こうも思う。
眼鏡をかけたことによって得られたこともあったから、悪いことだけではない。とりあえず、心の武装になってくれた眼鏡へ「ありがとう」と言いたい。今はただそれだけでいい。