第1話 ⑤
文字数 3,163文字
牧場には草原地帯のほか、砂漠や湿地帯、山岳といったエリアがある。魔物の生息地に合わせた環境を作っているらしく、その規模はひとつの国に匹敵する。金と部下に困らない魔王ならではの道楽である。
「だからってこんなことをしている場合じゃ……」
成り行き上、なぜか牧場見学をすることになり、俺は不満を露わに言った。最後尾をついてくるロベオは覇気がなく、重苦しい空気を引きずっている。
丸太小屋を出てすぐの草原には牛型魔物のミルシーとロバ型魔物のブレーモフが放牧されている。どちらも普通の動物とたいして変わらないが、ブレーモフは目が四つ、足が六本あった。
そんな魔物たちの間を頭に二本の角を生やした背の低い人型魔物がちょろちょろ動き回っている。近くを通りかかると、緑の頭巾を被った個体が走り出て、魔王に向かって恭しく頭を下げた。
「こいつらは俺の忠実な部下、ヤローズだ。領地の外で人里を襲撃していない間、ここで魔物の世話をしている。おまえたちも出くわしたことがあるだろう」
「ああ、定番の雑魚キャラの……」
俺の呟きを聞き咎め、その人型魔物は忌々しげに言った。
「無礼な人間ですね。窯に放り込んで焼いてやりましょうか」
「やめておけ。誰かが間違って口にして、食中毒でも起こされたら信用にかかわる」
魔王はよくわからない理屈で部下を取り成し、ほうぼうに散る魔物たちの様子を見て回った。オーバーオールと麦わら帽子の装備も相まって、こうしているとどこから見ても仕事熱心な牧場主である。
「若い雌を巡って小競り合いを起こしたのはおまえたちだったか。今度同じことをしたら餌の牧草を半分減らすからな」
そうブレーモフに言っているかと思えば、ミルシーの群れに入っていく。
「数が一頭足りないな。昨日からやけに落ち着きがないと思っていたが、あのミルシーは妊娠で気が立っていたのか」
「そのようです。今朝、別の小屋に移しました」
「あいつはこれが初めてのお産だ。くれぐれも注意して見ておけよ」
「はい。承知しております」
ヤローズはぺこりと頭を下げた。ミルシーとブレーモフは広大な草原を気ままに歩き回り、いつの間にかそこにロベオが混じっていた。すっかりここに馴染んだ様子で、寄ってくる魔物の頭を撫でてやっている。
「これだけの数の魔物、俺には全部同じに見える。よく判別できるな」
ロベオのことはひとまず置いておき、俺は素直に感心した。すると魔王は軽蔑したような口調で返した。
「俺を誰だと思っている。指一本で魔物の軍勢を動かすリタキリアの魔王様だぞ。自分に仕える部下の顔ぐらい見分けがついて当然だ」
独自の価値観を持っているらしい魔王のあとに続き、次は山岳近くの砂漠地帯に足を踏み入れた。癒し効果を求めるなら湿地帯が最適だが、鰐型の魔物に喰われる危険があると魔王が言ったのである。
砂漠地帯には兎型魔物のラビティと、プレーリードッグによく似た鼠型魔物のハーミーがいた。俺は足元をちょこちょこ歩き回る三匹を追い払ったが、ロベオは広野の真ん中にぽつねんと座り、小型の魔物たちに取り巻かれていた。
「……あいつ、毎日ここで何をして過ごしているんだ?」
哀愁漂う背中を眺めながら、さっきから聞きたかったことを口に出した。パラソル付きの籐椅子に腰かけた魔王は麦わら帽子で自身を扇ぎながら答えた。
「衣食住の面倒を見てやる代わりにヤローズを手伝えと言ってある。餌やりや糞の掃除など精力的に働いているが、たまにああして物思いに耽ったり、小屋でドラマの再放送を観たりしている。ミステリの謎解きがお気に入りのようだ」
「あいつはリタキリアに平和を取り戻すべく民衆に選ばれた勇者だ。魔物の繁殖なんて悪事の片棒を担がせていいわけがない」
「だったら責任もって連れて帰れ。あんな穀潰しの弱腰野郎、誰が好きこのんでそばに侍らせたがると思う」
魔王は黄色い頭巾のヤローズが持ってきたドリンクを口に運んだ。俺には見分けのつかないヤローズだが、担当する生息地によって頭巾の色を変えているらしい。
「でもさ……。おい、聞けよ」
「意外としつこい奴だな」
「おまえだってわかってんだろ。職務を放棄した勇者が魔王の厄介になっているなんて、リタキリアの世界観を根底からぶっ壊す事態だ。このままじゃいずれよくないことが起きるに決まっている」
「もう起きてんじゃねぇのか。王国からの招待状、俺にはきな臭い代物に見えたがな」
「俺にはおまえのほうが数倍うさんくさく見える。実は血が繋がった兄弟だとかいうならまだしも、本当に邪魔なら無理やりにでも追い出すだろ。二年近くここに置いているってことは、やっぱり何か後ろ暗い目的があるんじゃないのか」
正面から疑いを口にすると、魔王は面白くなさそうにドリンクをすすった。
「ふん。案外、腹違いの兄弟かもしれねぇぞ」
「今さらそんなどんでん返しがあっても困るし……。何より似てない」
魂が抜けたようなロベオの背中を見やり、俺はボソッと言った。
「冗談を真に受けるな。現代社会に揉まれすぎた人間はこぞって農業か酪農に従事したがるというだろ。あいつも今そういう時期なんだよ」
「おまえってさ、本心では勇者の味方なのか? それとも敵のまま?」
「愚問だな。完膚なきまで叩きのめすなら万全の状態の勇者でなければ都合が悪い。今のあいつはモラトリアム期の学生みたいなものだ。つまりこちらが全力を出し切って倒したところで何の箔もつかない。要するに価値がないんだよ」
魔王はドリンクを飲み終わり、麦わら帽子を被って立ち上がった。牧場を見て回るうち時間が過ぎたらしく、遠くの山に夕陽が沈みかけている。
「さて、そろそろ餌の時間だ。あの野郎もサボった分だけ働かせてやる」
そう言って去っていこうとする魔王を、俺が後ろから呼び止めた。
「俺は何の称号もないただの同行者だが、昔馴染みとしてマリネンのことは放っておけない。招待状の日付に間に合うようルナータ王国に行く」
「勝手にしろ。あの勇者はどうかわからんぞ」
「わかっている。行くかどうかはロベオが決めることだ。だが、もしおまえがあいつに助言してくれるなら……」
俺の言葉に魔王が振り向いた。麦わら帽子で陰になってよく見えないが、その赤い瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「この件に関しては俺が口を出すべきじゃない。勇者サイドの問題だ」
「でもあいつはおまえを信頼している。恥ずかしい話だけど、俺なんかより頼りにされているように見える」
「俺が横からうるさく言わずともあいつは自分で物事を判断できる。そうでなければあんな肝心なところで旅を放り出したりしない。勇者として祀り上げられるがまま、民衆の期待を背負って俺を倒しにきたはずだ」
魔王はオーバーオールのポケットに手を突っ込み、ロベオのほうに歩いていった。そして何事か告げると、ロベオがこちらを振り向いた。
「エバンテ、もう帰るの?」
「ああ。久々に会えてよかった。ルナータ王国で待っているからな」
「……うん。それじゃ」
俺たちはぎこちなく挨拶を交わした。帰りは魔王の代わりにヤローズが付き添い、牧場の出口まで送ってくれた。
「こちら魔王様からです。村まで帰るのに人の足だと大変だろうって」
ヤローズは一頭のブレーモフを連れていた。俺はその気遣いに驚いたが、確かにニフサ村まで普通に帰ると三日かかる。晩餐会まで二日しか猶予がないことを思い出し、素直に受け取ることにした。
「ありがとう。魔王によろしく」
とはいえ足が六本あるブレーモフはひどく乗り心地が悪かった。重いボストンバックを抱えているせいで、背にしがみつくだけでもひと苦労である。
「のっ、乗り物酔いを起こしたら、どうやって止めるんだよ!」
手綱らしきものがあるわけでもなく、俺は悲鳴を上げた。
「だからってこんなことをしている場合じゃ……」
成り行き上、なぜか牧場見学をすることになり、俺は不満を露わに言った。最後尾をついてくるロベオは覇気がなく、重苦しい空気を引きずっている。
丸太小屋を出てすぐの草原には牛型魔物のミルシーとロバ型魔物のブレーモフが放牧されている。どちらも普通の動物とたいして変わらないが、ブレーモフは目が四つ、足が六本あった。
そんな魔物たちの間を頭に二本の角を生やした背の低い人型魔物がちょろちょろ動き回っている。近くを通りかかると、緑の頭巾を被った個体が走り出て、魔王に向かって恭しく頭を下げた。
「こいつらは俺の忠実な部下、ヤローズだ。領地の外で人里を襲撃していない間、ここで魔物の世話をしている。おまえたちも出くわしたことがあるだろう」
「ああ、定番の雑魚キャラの……」
俺の呟きを聞き咎め、その人型魔物は忌々しげに言った。
「無礼な人間ですね。窯に放り込んで焼いてやりましょうか」
「やめておけ。誰かが間違って口にして、食中毒でも起こされたら信用にかかわる」
魔王はよくわからない理屈で部下を取り成し、ほうぼうに散る魔物たちの様子を見て回った。オーバーオールと麦わら帽子の装備も相まって、こうしているとどこから見ても仕事熱心な牧場主である。
「若い雌を巡って小競り合いを起こしたのはおまえたちだったか。今度同じことをしたら餌の牧草を半分減らすからな」
そうブレーモフに言っているかと思えば、ミルシーの群れに入っていく。
「数が一頭足りないな。昨日からやけに落ち着きがないと思っていたが、あのミルシーは妊娠で気が立っていたのか」
「そのようです。今朝、別の小屋に移しました」
「あいつはこれが初めてのお産だ。くれぐれも注意して見ておけよ」
「はい。承知しております」
ヤローズはぺこりと頭を下げた。ミルシーとブレーモフは広大な草原を気ままに歩き回り、いつの間にかそこにロベオが混じっていた。すっかりここに馴染んだ様子で、寄ってくる魔物の頭を撫でてやっている。
「これだけの数の魔物、俺には全部同じに見える。よく判別できるな」
ロベオのことはひとまず置いておき、俺は素直に感心した。すると魔王は軽蔑したような口調で返した。
「俺を誰だと思っている。指一本で魔物の軍勢を動かすリタキリアの魔王様だぞ。自分に仕える部下の顔ぐらい見分けがついて当然だ」
独自の価値観を持っているらしい魔王のあとに続き、次は山岳近くの砂漠地帯に足を踏み入れた。癒し効果を求めるなら湿地帯が最適だが、鰐型の魔物に喰われる危険があると魔王が言ったのである。
砂漠地帯には兎型魔物のラビティと、プレーリードッグによく似た鼠型魔物のハーミーがいた。俺は足元をちょこちょこ歩き回る三匹を追い払ったが、ロベオは広野の真ん中にぽつねんと座り、小型の魔物たちに取り巻かれていた。
「……あいつ、毎日ここで何をして過ごしているんだ?」
哀愁漂う背中を眺めながら、さっきから聞きたかったことを口に出した。パラソル付きの籐椅子に腰かけた魔王は麦わら帽子で自身を扇ぎながら答えた。
「衣食住の面倒を見てやる代わりにヤローズを手伝えと言ってある。餌やりや糞の掃除など精力的に働いているが、たまにああして物思いに耽ったり、小屋でドラマの再放送を観たりしている。ミステリの謎解きがお気に入りのようだ」
「あいつはリタキリアに平和を取り戻すべく民衆に選ばれた勇者だ。魔物の繁殖なんて悪事の片棒を担がせていいわけがない」
「だったら責任もって連れて帰れ。あんな穀潰しの弱腰野郎、誰が好きこのんでそばに侍らせたがると思う」
魔王は黄色い頭巾のヤローズが持ってきたドリンクを口に運んだ。俺には見分けのつかないヤローズだが、担当する生息地によって頭巾の色を変えているらしい。
「でもさ……。おい、聞けよ」
「意外としつこい奴だな」
「おまえだってわかってんだろ。職務を放棄した勇者が魔王の厄介になっているなんて、リタキリアの世界観を根底からぶっ壊す事態だ。このままじゃいずれよくないことが起きるに決まっている」
「もう起きてんじゃねぇのか。王国からの招待状、俺にはきな臭い代物に見えたがな」
「俺にはおまえのほうが数倍うさんくさく見える。実は血が繋がった兄弟だとかいうならまだしも、本当に邪魔なら無理やりにでも追い出すだろ。二年近くここに置いているってことは、やっぱり何か後ろ暗い目的があるんじゃないのか」
正面から疑いを口にすると、魔王は面白くなさそうにドリンクをすすった。
「ふん。案外、腹違いの兄弟かもしれねぇぞ」
「今さらそんなどんでん返しがあっても困るし……。何より似てない」
魂が抜けたようなロベオの背中を見やり、俺はボソッと言った。
「冗談を真に受けるな。現代社会に揉まれすぎた人間はこぞって農業か酪農に従事したがるというだろ。あいつも今そういう時期なんだよ」
「おまえってさ、本心では勇者の味方なのか? それとも敵のまま?」
「愚問だな。完膚なきまで叩きのめすなら万全の状態の勇者でなければ都合が悪い。今のあいつはモラトリアム期の学生みたいなものだ。つまりこちらが全力を出し切って倒したところで何の箔もつかない。要するに価値がないんだよ」
魔王はドリンクを飲み終わり、麦わら帽子を被って立ち上がった。牧場を見て回るうち時間が過ぎたらしく、遠くの山に夕陽が沈みかけている。
「さて、そろそろ餌の時間だ。あの野郎もサボった分だけ働かせてやる」
そう言って去っていこうとする魔王を、俺が後ろから呼び止めた。
「俺は何の称号もないただの同行者だが、昔馴染みとしてマリネンのことは放っておけない。招待状の日付に間に合うようルナータ王国に行く」
「勝手にしろ。あの勇者はどうかわからんぞ」
「わかっている。行くかどうかはロベオが決めることだ。だが、もしおまえがあいつに助言してくれるなら……」
俺の言葉に魔王が振り向いた。麦わら帽子で陰になってよく見えないが、その赤い瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「この件に関しては俺が口を出すべきじゃない。勇者サイドの問題だ」
「でもあいつはおまえを信頼している。恥ずかしい話だけど、俺なんかより頼りにされているように見える」
「俺が横からうるさく言わずともあいつは自分で物事を判断できる。そうでなければあんな肝心なところで旅を放り出したりしない。勇者として祀り上げられるがまま、民衆の期待を背負って俺を倒しにきたはずだ」
魔王はオーバーオールのポケットに手を突っ込み、ロベオのほうに歩いていった。そして何事か告げると、ロベオがこちらを振り向いた。
「エバンテ、もう帰るの?」
「ああ。久々に会えてよかった。ルナータ王国で待っているからな」
「……うん。それじゃ」
俺たちはぎこちなく挨拶を交わした。帰りは魔王の代わりにヤローズが付き添い、牧場の出口まで送ってくれた。
「こちら魔王様からです。村まで帰るのに人の足だと大変だろうって」
ヤローズは一頭のブレーモフを連れていた。俺はその気遣いに驚いたが、確かにニフサ村まで普通に帰ると三日かかる。晩餐会まで二日しか猶予がないことを思い出し、素直に受け取ることにした。
「ありがとう。魔王によろしく」
とはいえ足が六本あるブレーモフはひどく乗り心地が悪かった。重いボストンバックを抱えているせいで、背にしがみつくだけでもひと苦労である。
「のっ、乗り物酔いを起こしたら、どうやって止めるんだよ!」
手綱らしきものがあるわけでもなく、俺は悲鳴を上げた。