02 聖剣アルフェイオスは叫ぶ
文字数 2,538文字
吸い込まれる――
そう思ってから、どれほどの時間が経過したか分からないほど、トライブは世界を彷徨っていた。
そして、微かに鳥たちのさえずりが聞こえ、そこでようやくうっすらと目を開いた。
トライブの目には、緑が光に照らされて輝く、草原が見えた。
トライブは、左右を見渡すも、遠くに飛んでいく小鳥を除けば、その目には動いている生物がどこにもいなかった。
上を見ても、そして今度は用心深く下を見ても、何も異変はなかった。
「ソードレジェンド」と言われて引き込まれたはずの世界は、今のところ穏やかだった。
トライブは、剣を構えないまま、とりあえず人が踏み歩いたような一本道を、遠くに見える山の方へと歩き出した。
だが、しばらく歩いても、生い茂る草原の景色は何一つ変わらなかった。
そうトライブが軽く呟いたとき、黒い顔の男が最後に口にした言葉がトライブの脳裏に蘇ってきた。
――剣の力を示さなければ、還ることも許されない。
たしか、そう言っていたはずだ。
従って、帰るためには強敵と戦わなければならない、ということと同義になる。
これまで何度となくその力を見せつけてきた、女剣士トライブ。
男性の剣豪をも倒すほどの実力を備えた彼女は、「クィーン・オブ・ソード」の愛称で言われることもある。
だが、そんなトライブも、この何の変哲もない空間でこれから始まるミッションに対しては、普段以上の慎重さを見せていた。
自らの力の証、聖剣アルフェイオスをゆっくりと正面に向け、いつでも戦える準備で突き進もうとした。
すると、トライブの耳に、注意して聞かないと聞こえないほどのトーンのささやき声が聞こえた。
トライブは、その場で立ち止まり、再び前後左右と上下を見渡す。
一人称からして、トライブが思わず口にした言葉ではないことは間違いない。
男性の声に聞こえるが、化粧水ショップで聞いた低い声でもなかった。
だが、相変わらず小鳥と小動物以外、その場には何も見えない。
トライブは、敵が隠れているという結論しか見いだすことができなかった。
そうなれば、取るべき行動はただ一つ。戦闘の準備だ。
だが、アルフェイオスを力強く握ったトライブの手に、剣の底から何かがこみ上げてくる力を感じた。
そして、再び聞こえる男性の声――
俺の名は、アルフェイオス。
その声に応えよ。
これまで、数多くの強敵を相手にその力を共に発揮し、時にはダメージさえも共有してきたトライブの力の証。
その魂は、使い手であるトライブに助けを求めているように思えた。
このゲームの呪縛から解き放って欲しい。
そう叫んでいるようにさえ、トライブには聞こえた。
アルフェイオスの使い手よ。
「ソードレジェンド」で生き残り、俺に世界一の剣の称号を与えてくれ……。
これまで数多くの強敵に対して勝利に導いたお前なら、必ずできるはずだ……。
目も口もついていない剣の魂が、愛する使い手に語りかける。
そのセンセーショナルな訴えに、トライブの魂も熱くなる。
女剣士の右手は、力の証を強く握りしめ、生き残りを誓う。
その時、アルフェイオスの剣先の指す先に、再び黒い顔が浮かんだ。
真っ黒に染まった男性のシルエットは、この光の照らされた草原の中でも、腰から下が全く見えず、トライブにはその全貌が分からなかった。
だが、相手が武器を持っていない状況下で、トライブもアルフェイオスを突き出すわけにはいかない。
トライブは、じっと相手の返答を待つ。
剣とシルエットの間に風が通り過ぎた後、黒いシルエットは静かに言った。
トライブは、その姿を全て見ることのできないシルエットに向かって大きくうなずいた。
すると、そのシルエットの男性がトライブに静かに語りかける。
そう告げると、シルエットはフェードアウトするように青い空の中に吸い込まれていった。
トライブは、剣を持たない左腕をシルエットにまっすぐ伸ばすが、消えゆく黒を止めることはできなかった。
トライブの声が青空の中に空しく消えていくと、トライブはアルフェイオスの剣先を下ろし、何が起こるかすら告げられていない草原に再び目をやった。
やがて、つかの間のため息を空に浮かべた。
その時、ため息に誘われるように、トライブの耳に大きな悲鳴が飛び込んできた。
トライブ、この世界にいるなら助けて――っ!
聞き覚えのあるその声が、トライブの足を動かした。
その瞬間にも鳴り響いた、剣と剣が打ち合う音。
トライブは、悲鳴の指し示す方向へと急いだ。