一話完結

文字数 2,394文字

 三月の終わりを肌で感じさせるほどの気持ちのいい天気だった。僕は、僕達は必要な過程をすべて終えてこの学校を去る最後の日だった。雨の日の教室の独特な臭い、テストの前日に友達と通話しながら徹夜した勉強、関東予選で敗退した部活、小腹を満たすために何度も通った食堂、それらすべてから解放される。形式的な式では誰も僕の気持ちを昂らせることはできなかった。このまま終わって明日を迎える。明日も学校に通うだろう、そのくらい長く過ごしたところへの別れは非現実に僕を襲った。
 比較的小さい僕の学校は学年のクラスが一つのみで、学年の人数も男女合計二十人ほどだった。そんなに少数だから、みんな仲が良かった。良すぎるくらいだった。たったこれだけの人数に反比例して、その日は百人いるのではないかと疑うくらいに大量の人達が僕らを見送った。校長や担任の先生は終始ハンカチを片手に涙をぬぐってる。
 式も終わり僕らは辛気臭い体育館から解放された。クラスのみんなで集まって何枚か最後の写真を撮った後は、各々特に仲の良かったメンバーで集まった。僕は自分を含めて十一人のグループに所属していた。これは僕のクラスの男子の人数ちょうどであった。卒業式が終わったというのに彼らは普段と変わらなく、くだらない話ばかりだった。そのくだらない話は僕をひどく安心させた。会話しているとだんだん、これで終わりと信じられなくなっていった。
 十分か十五分くらい、もしかしたら一時間も話していたかもしれないが、不意に誰かがサッカーをしようと提案した。本当に唐突だった。僕らはよく昼休みになるとみんな揃ってグラウンドに駆け込みサッカーをして遊んでいたこともあって反対する人などいるはずもなく、僕らは一度教室に戻ってからロッカーを開け、サッカーボールを強奪した。すぐに教室を離れ昇降口で靴を履き替え、仲間たちとパスをしながらグラウンドへ駆けた。僕らは全員制服だった。グラウンドは広いとは呼べないまでも、ミニゲームの少数サッカーができるほどには広かった。そこに、足で不均等なラインを作り、じゃんけんで二チームに分かれた僕らは、誰が開始の合図をするまでもなくゲームが始まった。決めて、決められて。僕らは半狂乱になりながらもお互いに全力でゴールへ駆け抜けた。走っている間、すべての物事から解放されたような心地よさと努力が実ったときの幸福感が僕の心を満たし続けた。十五分くらい経った辺りで校内放送が流れた。僕らのことを職員室から覗き見ていた教師達が僕たちに帰宅する時間を過ぎていたため、グラウンド使用をやめて帰宅するように伝えてきた。いつもの昼休みでも時間を守らないで注意されるときはよくあったため、僕は怒られることを恐れておとなしく従おうとしたら、一人の男が
「やめんな。続けろ」
と、校内全体に聞こえるのではないかと思うほどの声量で叫んだ。僕は思わず息をのんだ。叫んだ人は、先生にいつも反抗的でよく怒られていた不真面目な生徒だった。元々彼は休み時間の時でもずっと続けていたがっていたが、この日だけは声の大きさも張りも異常なほど力強かった。彼が叫んだ瞬間、グラウンドから去ろうと歩んでいた僕らの全員がその場にとどまり、回れ右をしてフィールドに駆け足で戻り、試合を再開した。今日だけは、やめたくなかった。今日のこの時間のためだったら、僕は悪い人になってもいい。それくらい僕は、僕らは変える選択肢を排除した。今やめたら、終わる気がした。すべてが終わる気がした。誰もやめない、誰も去らない。僕らが教師へ反攻してから五分後くらい経った時に、いつまでも帰ってこない子供を心配した保護者が各々グラウンドに集まってきた。僕らは自分の家族を視認したにもかかわらず、それでも僕らはやめない。ずっと転がり続けるボールを追いかけた。
 ボールが大きく飛び、楕円の軌道を描きながら僕らの保護者の前に転がっていった。そこには職員室にいたはずの教師たちが既に集まっていた。僕らはみんなが一つのお祭りの終わりを悟った。しかし、教師は
「ラストワンプレー」
と、僕らにボールを返しホイッスルを吹いた。誰もが信じられなかったが、ゲームは再開した。これでラスト、最後のワンプレー。僕がそう感じた瞬間、
「出すな。絶対出すな」
「蹴るな。ゴール決めたら試合が終わるぞ」
誰の声かもわからない声が四方八方に聞こえてきた。声の方向へ顔を向けると声を出したのは眼鏡をかけた細身と小太り気味の温厚の男の子達だった。基本は教室の室内で遊ぶことを好み、たまにしか休み時間を外で過ごしてなかった彼らが止めたくないと懇願したのだ。その瞬間、僕は中に溜まっていたすべての感情の制御がきかずに涙を流した。視界がぼやけて何も見えない。にじみ出た涙が僕の視界を奪っていく。涙をぬぐい何とか流れてくる雫を我慢した僕は他の人と同じよう外へ出すなと、大声で叫んだ。気持ちよかった。
 ラストワンプレーの宣言から六分ほどで出されたパスが勢いよく転がってしまい、誰もとることができなかった。転がるボールを見ながら全員が、そのボールを追いかけた。あぁ、終わってしまう。ボールがラインを割る瞬間、三年間通い続けたこの学校が消えてなくなるような悲壮感が僕を支配した。ボールが無邪気に線を越えた。ホイッスルが鳴った。試合終了。僕たちは座るなり倒れるなり、その地にふせた。みんなの制服は砂ぼこりによって変色するほど汚れていた。ほとんどの人が止まらない涙を止めようと躍起になっている。地面に仰向けになっていた僕はすっかり涙は枯れて虹のような神秘とも呼べる美しい気持ちのみが僕の身体を包み込んだ。もう悲しさなんてない。僕はゆっくりと、ゆっくりと心の中で三年間の思い出と別れを告げた。
 さよなら友達。さよなら先生。さよなら教室。さよなら学校。


 さよなら、青春。
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