第十一話 鎮魂花

エピソード文字数 5,877文字

色取り取りの壁画が、滑らかな岩肌に描かれており、輝きの花の灯りでうっすらとそれが照らしだされる。その絵たちはどれもオリビアの腰くらいの高さにあり、所々に文字のようなものも見受けられた。
人間の大人によるものならば、わざわざこの高さで描く理由が見当たらない。まして薄暗い洞窟の中である。子供にこのような行為ができるとは考えられない。やはりゴブリンの存在を認めざるを得ないようだった。
尖った耳に緑色の肌。壁に描かれている、ゴブリンと思われるものたちは、足を進めるうちに少しずつ姿を変えていく。はじめに描かれていた者たちは、ぼろ布に木の棒を持っていたのだが、徐々に服装や武器が変わり、今では鎧をまとい、剣を手にしていた。武器を持ったゴブリンたちは、何やら犬のような大きな獣と刃を交わしている。
途中、新たな道が現れて分岐した際、どの行く先の壁にも似たような壁画が描かれていた。それはどうやら物語のようになっているようで、その行く末を知る者だけが、正しき道を進めるようだった。
分岐した道を誤ったらどうなるのだろうか。先ほど驚かされた、あの大岩の扉にあるような仕掛けが、自分たちを襲ったのだろうか。そう考えると恐ろしい。
グリンデは壁に描かれている、絵の内容を把握していたが、やはり道を間違えると大変なことになるので、分岐点が来るたびに立ち止まり、よく確認しながら足を進めていた。
そして念のためである。彼女は道が別れる度に、チェルネツの森で見た、あの道しるべの赤い球を置いていった。コインを持つオリビアの目にもそれはよく映っており、輝きの花の灯りがなくとも、その赤い球が発する光を確認することができた。あまり考えたくはないが、この洞窟ではぐれたとしても、出口へは向かえるだろう。
「待て。止まれ」
その言葉は突然放たれた。この場所に辿り着くまで、まともに言葉を交わしていなかったのもあってか、その声はより強い響きを含んでいるように感じた。
少し前を歩いていたグリンデは、こちらに手のひらを向け、止まれの姿勢を促している。
「こやつはなんだ」
囁くような小さなものだが、その声もはっきりとオリビアの耳に届いた。ここまでの道中、気味の悪い生き物たちに再び遭遇したが、どの時も彼女は声を発しなかった。が故に、より身を引き締める。
グリンデのもう片方の手の平で発せられていた炎が強みを増し、洞窟の奥がより曝け出された。突然の光に驚いたのか、一瞬蝙蝠が泣く声が響いたが、暫くすると静寂が戻った。少なくとも、二人の近くには何もいないようだ。しばらくしてオリビアは、グリンデの手の平がこちらから背かれたのを合図に、速足で彼女に近づいた。
「ど、どうしたのですか?」
これも囁き声だが、はっきりとグリンデの耳に届いた。
「ここに何か轢いた跡があるのだ」
見ると確かに、足元に何かが引きずられたような跡が見られた。それは降りたての雪の上に、丸い何かを転がしたように、窪みを作りながら先へと延びている。この洞窟の地面には、蝙蝠たちの糞が大量に堆積しており、それを押すように続いているようだった。
その窪みの幅は大きい。仮にオリビアが地面に寝たとしても、肩幅よりはみ出しているだろう。
グリンデは屈み、指でそれをなぞる。彼女でもわからないものがあるらしい。微かに「うむ」という声をあげただけで、答えは何も出ない。
「小娘。念のため、我から離れるなよ。それと……これを渡しておく」
グリンデはローブの内に手を突っ込んだ。ローブから出てきた手には、小さな瓶が握られていた。両手で受け取った、その瓶の中には、輝きの花の灯りに反射して、キラキラと透明な液体が波打っている。
「ここいらではあまり使いたくはなかったのだがの……何が起こるかわからぬ。それを我のように首に塗れ」
グリンデは再びローブの内に手を突っ込むと、同じく小さな瓶が出てきた。蓋をひねり口を開けると、中身を軽く湿る程度に、手のひらに乗せた。次に、液体を乗せた手のひらは首をなでるように摩った。
オリビアも、一度輝きの花のランタンを地面に置き、彼女のように手のひらにその液体を乗せた。ひんやりとした冷たさと、水とは違う、さらりとした感触が指に触れた。続いて、首元にそれを塗った時、一瞬ハーブに似たような、すぅっとした香りが辺りを漂ったが、不思議とものの数秒でその匂いはすっかりとなくなってしまった。それだけではない。この洞窟に入った時からずっと感じていた、久しぶりに雨が降った時に似た、岩に水が染みるような匂いが、その液体を塗ってから全く消えてしまったのである。
「辺りの匂いがしなくなったか?これはスノウミントと呼ばれるハーブの仲間を使って造られたものでの。一時的に嗅覚を麻痺させることが出来るのだ。野生の動物どもは目や耳だけでなく、鼻も強く頼る。これを塗ることによって、我らの体臭は消え、ほんの少し、気配を消すことが出来るのだよ。特にこの洞窟に住む者は目を頼らない分、効果は高いかもしれぬな」
確かに彼女の言う通りだった。微かな気配を感じたのか、話の途中から、大きな蜘蛛のような奇妙な生き物が目の前の壁に現れたのだが、音を立てずに身を屈めていると、全くこちらに気付けず、どこかへ去っていった。
この洞窟に入った時から使っていれば良かったのに。オリビアの頭に一瞬よぎったが、自分たちの旅はまだまだ始まりにすぎない。まして秘薬を作る薬草もまだ一つも採取していないのだ。スノウミントのみならず、この先、いつ何の道具が役に立つかはわからない。グリンデの言うように、あらゆる物の無駄遣いは控えた方がいいのかもしれない。
「今のうちに、先に進んだ方が賢い。さっさと行くか」
たしかにスノウミントの効力が切れる前に事を済ませたいところだ。少しでも時間をかけずに薬草を手に入れた方が賢い。
二人はゆっくりと、音を立てずに進みだした。

蝙蝠たちは洞窟の奥深くには、意外とあまり生息していないようで、気が付くと地面に積もっていた糞の山も、そしてあの奇妙な轍も消え去っていた。
足元には壁にあるように、つるっとした岩が全面に姿を現している。深い崖があるわけでもないが、大きな段差は多々見られた。足を滑らせては危ない。二人はお互いに手を取りながら先へと進んでいた。
もうこれで何度目か。いくつも分かれ道が現れ、その度足を止めて壁の絵画を確認する。今や壁に描かれているものはゴブリンたちだけでなく、人間らしき者の姿も見て取れた。その者の肌は浅黒い茶色で描かれ、引きずるような恰好の、長いローブを身にまとっている。そしてどうやらゴブリンたちに崇められているようで、なにやら王族が小移動の時に使う、輿のようなものに乗り、それをゴブリンたちが担ぐ様子が描かれている。
(……もうすぐ近いか。しかし妙だな)
壁画の様子は、目的地が近い事をグリンデに伝えていたが、同時に彼女は違和感も覚えていた。ここにたどり着くまでの道中、岩を動かして開ける、例のあの造りの扉があったのだが、それがどれも開いていたのである。
(……もしかしたら最後も、か?)
彼女の勘は当たった。
今までの物とは雰囲気がまるっきり違う。左右の壁に、植物を模したような荘厳な彫りが施された大きな柱が、二人の目の前に現れた。本来ここには、真ん中から左右に開く、大きな岩の扉が閉ざしており、あの崇められた人間にゴブリンがひれ伏している絵が描かれているはずで、この洞窟の終点を教えてくれるはずだった。だがその姿を見せず、不気味にぽっかりと口を開け、暗闇へと二人を導いている。
「小娘。まだ我から離れるなよ」
勿論、その忠告を破るつもりはない。グリンデの服の袖は先程より、強く握られ、深い皺を見せていた。

恐る恐るその荘厳な入口をくぐり、少しもすると、遠くの地面に、ちらちらと何かが所々で輝いているのがオリビアの目に入った。それは夜空に輝く星たちのように、淡い点滅を繰り返している。
本来、暗闇の中で突如、光が現れたら恐怖しか浮かばないはずだ。しかしその星たちは静かに
、優しくこちらを招いている。二人の足取りは、自然とその淡い瞬きに吸い寄せられた。
「綺麗……」
手に届きそうなくらいまで、その光に迫った時、既にオリビアは確信していた。これが秘薬の材料である植物であると。この植物の不思議な姿を見たら、たしかにこの世以外のもの、まさに魂を想像せざるを得なかったからだ。
その植物は、春先に咲く蒲公英の綿毛のように、いくつもの小さな毛を集めてできた球体をつくり、呼吸をするように淡く黄色い光を瞬かせている。その綿毛の光は、輝きの花のように灯りとして使うには心細いが、とても神秘的で、どこか魔法を彷彿とさせる、少しぼやけるような淡い輝き方をしていた。
グリンデはひときわ大きなその植物に目をつけると、茎の根元をつかみ、地面から引っこ抜いた。
「ふむ。中々な大きさだの。これでよかろう」
引き抜かれたその植物の根には、大きな瘤のようなものがあり、綿毛ほどではないが、こちらも波打つようにゆっくりと黄色く点滅していた。グリンデは根の部分だけを切り取り、薄い紙でそれを包むと、そっとローブの内へとしまった。
「これがゴブリンたちが魂に見立てた花……」
「そうだ。これが秘薬の材料のひとつ【鎮魂花(レクイエム)】だ。我ら人間で、こやつの存在を知るものは、ほとんどおらんだろう。ゴブリンたちの間では『ラ・セルール』と呼ばれておって“鎮魂を捧げる”という意味があるらしい。故に我らはレクイエムと呼んでおる」
(レクイエム……)
オリビアは、その名を聞いて、思わず辺りを見渡した。レクイエムたちが優しく黄色い光を放ち、思っていたより不気味さを感じさせなかったのもあってか、ここが葬儀場であることを忘れていたのである。
そして、ようやく目の前に石でできた大きな階段があることに気が付いた。それは洞窟の天井に向けて斜めに伸びており、輝きの花のランタンを向けてもその先が見えない。
オリビアはグリンデに目を配らせた。グリンデはオリビアが何をしたいのか察し、その階段に足をかけた。二人は数段、その階段を登り、来た道を振り返る。
「うわぁ……」
思っていたとおりの光景、いやそれ以上のものが目に移り、オリビアの喉から感嘆の声が上がった。
葬儀場。その言葉を聞いた時、もっと重々しく格式高い場所だと勝手に想像していたが、目に映る光景は、それを完全に否定していた。この距離だと夜空とも違う。いくつものろうそくを地面に灯し、高い所から眺めるとこんな風に見えるのかもしれない。
「もしかしたらゴブリンたちは、死後の世界を安息の地と想像しておったのかもな」
たしかにこの光景は地獄を彷彿とさせない。ゴブリンたちの世界にも宗教のようなものが存在していて、それを信じていると天国に行ける、などといった教えがあったのかもしれない。
(死後の世界……か)
「……グリンデさん。グリンデさんは人が亡くなるとどうなると思いますか?魂はどこに向かうと思いますか?」
オリビアはやはり母を思い出さずにはいられなかった。魂の存在が実在するならば、母は今どこにいるのだろう。
「魂……死後の世界。それが存在しておるのかは我にもわからん。まだ生きておるからの」
それから少しの沈黙を置いて、更なる言葉が返ってきた。
「……ただ、人は死なないと思っておる」
「え?」
人は死なない。思いもしない言葉に、オリビアは目を丸くした。
「この世を去ったあと、その者が残したものを見た時、心の中に蘇る光景が沢山あろう。さも隣にいるかの如く、声がよぎることもある」
グリンデは階段を少しずつ下りながら言葉をつづる。
「おんしの着ている服も、大昔の人間が産み出した技術を継承してきたものだろう。もはやはじめの作り手は生きておらぬ。だが多少姿や形が変われど、その者が残した技術や想いは今も残り続けておる。それは死と言えるのかの?我は生きておると思っている。魂や命……それは込めることや託すこと、残すことが出来るものだろう。何も目に見えるもの、動いておるものにだけあるとは思っておらぬ」
(命を託す……)
「そうさな。おんしの母も、おんしが生きておることでまず死ぬことはない。髪や肌、瞳の色。今も生きておるものは多かろう」
「……お母さん」
オリビアは自分の両手を見つめた。姿形は消えども生きているもの。そんなこと考えたこともなかった。ふいに全身を、母に抱きしめられているかのような感覚が包み込んだ。指の隙間からぼやけて見えていた、レクイエムの灯りが、より輝きを滲ませた。
「中にはしょうもないものを残す奴もおるが、大半は美しい。それに人だけではない。この星に住む者たちがつくる命は美しいものばかりだ。そう。そのためにも我らは進まねばならん。未来を残すために生きねばならんのだ」
(……そうだ。これは守るための闘いなのだ)
グリンデは、自分の心にも強くそう言い聞かせると、階段の数段下からこちらを振り返り、そっと手を差し出した。
オリビアの見つめていた手のひらが拳に変わった。そう。こんなところでのんびりなどしていられないのだ。オリビアは階段を駆け下り、その手を握った。

元々、魔法という"争い"を産んだものがきっかけで生まれた旅である。この旅でも、それは避けては通れないものなのかもしれない。グリンデは長く生きてきた者として、重々それを承知していた。争いは、更なる争いを産む。もう二度と争いを産ませない為にも、全て根絶やしにするしかないのだ。少なくとも過去では他に方法が見つからなかった。
勿論、黒羽族の仕業ではなく、たまたま何らかの形で魔法が残り、たまたま流行り病が再び姿を見せたのかもしれない。それを一番に望んでいる。しかし、もし黒羽族が生きていたら……やはり守るためにも戦わなければならないだろう。それに、問題は黒羽族だけの話に留まれない。
(この小娘が耐えられるわけがない)
自分がしてきたこと、そしてこれから行おうとしている事は正しいのだ。グリンデは自身の心にある、迷いと対峙していた。

レクイエムの花の灯りは、不揃いに並んだ二人の背の影を、壁面に浮かび上がらせた。それはとても歪で、これからの二人の未来を暗示しているかのようだった。
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