第13話 残された会社での日々

文字数 3,913文字



林の中の静かな男子寮の127号室。自らの決断によって得られた環境だった。
生活の苦労も精神的な苦労もそれほど感じないでここまで来られた。
もともとの田舎の貧しい暮らしから比べれば天国のような環境だった。
自分の選択としては正しかったと思っている。
これ以外の方法は自分の頭では考えられなかった。
雇う側の会社にとってはとんでもない不良社員という事になる。

退職の理由は「一身上の都合」というあいまいな理由にしなければならない。
幸い子供のような顔をしている。
1人暮らしが寂しくて田舎に帰りたくなったと思ってくれればちょうどよい。
夜中の1時半頃には2番勤務を終わった人たちが帰ってくる。
外では工場からのバスの音がした。続いてバスのブレーキの音が聞こえた。
すぐに食事を取る人、お風呂に入ってくる人、直接部屋に向かう人様々だった。

お風呂から出ようとすると清水が入ってきた。
「ああ、早川、いたん」
「うん、そろそろ寝るところ。清水は2番だったんだ?」
「うん、しばらくだったんな。もうお風呂から出るんだ?」
「うん、俺も今週は2番勤務なんだよ」
「じゃあ、あとで部屋までこねえか、ビールでも飲むか」
「うん、じゃあ2時に行くよ」
「じゃあ先に俺の部屋に行ってレコードでも聴いていろよ」
「うんわかった、待っているな」

清水の部屋には小さな冷蔵庫もあった。14インチのテレビも買ったようだ。
清水の部屋は電化製品が揃い始めている。壁には派手なスーツが2着掛けてあった。
同期の男子社員は22名いた。1年経ってみると人生の道具の装備は皆それぞれだった。

223号室の山根は給料の殆どを飲み代とキャバレーに使っている。
同期生で一番幼い顔をした男だが人は見かけではわからない。
126号室の鈴木は写真に凝っている。
115号室の佐々木の部屋に行くと漫画の雑誌でいっぱいだった。
それぞれ働く時間が違うので同期同士で群れをなすことは滅多になかった。
みんな田舎から出てきた1人暮らしなので注意する者がいない。
好き放題に生きている。それもまた開放感なのかもしれない。
それを求めて出てきている人が多かった。それぞれの特徴がそのまま出てきている。
入社から約1年になるがみんな貯まって行く財産はそれぞれだった。
それぞれが主人公となって自分なりの青春を生きている。
その青春の歯車がどこかでかみ合いながら動いている。
自分の些細な行動もどこかで誰かにでその影響を与えている。

清水がお風呂から帰ってきた。
「冷蔵庫の中に缶ビールが入っているから出して飲めよ」
「うん、わりいな、じゃ一本貰うよ」
「好きなだけ飲めよ、俺なんか毎日2~3本飲んでいるよ」
「そんなに飲んで酔っ払わねん?」
「ばあか、ビールなんかいくらもアルコールは入ってねえよ」
「へえ~、ビール飲みながらテレビでも見るなんて豪華だな」
「こんなん普通だよ。そうでもしないと時間がもたねえよ」
「何か趣味でも持てばいいがな」
「ばあか、それが趣味だよ。ビートルズの歌を聴きながらビールなんて最高だよ」
「へえ~、そんなもんかな。お金もったいなくねん?」
「いいんだよ、それが趣味なんだから」
「清水はうちに仕送りはしてねん?」
「うん、親が自分の金は自分で使っていいってさ」
「じゃあ、貯金なんかしてねんだ?」
「そりゃあしてるよ。月に5千円だけ給料から天引預金やっているよ」
「そうゆんがあるんだ、知らなかったな」
「俺だって、馬鹿じゃねんだからそのくれえの事は考えるよ」
「お金貯めて、どうするん?」
「10万貯まったらバイク買いたいんだよ」
「へえ~、そういう夢があるんだ」
「早川は給料何に使ってるん?」
「特に何も使ってないよ」
「じゃあ、だいぶ貯まったろ?おめえの部屋には何もないもんな」
「今の所、特に使うものはないよ」

取り留めのない話が続く。清水が私の事について何か秘密を握ったようだ。
「ところでさあ、早川なんか俺に隠している事ねえ?」
「何で急に?」
「そろそろ言ってもいいんじゃねん」
「何、何のこと?」
「俺だって馬鹿じゃねえんだど」
「何か俺悪い事したっけ?」
「もう言っちゃえよ」
「何も隠していねえと思うけどな・・・」
「おれさあ、お正月に中学の同窓会があったんだよ」
「3年6組のか?」
「うん、40人くらい集まったかなあ」
「いつの事、どこでやったん」
「金山の近くの料理屋だよ。1月2日だったかな」
「俺もその日は太田にいたよ」
「知ってるだろ~、俺のクラスには小中可南子がいるって」
「うん、小中可南子も来ていたんだ」
「それからあいつの友達の村岡良子も来てたよ」

ドキドキしてきた。去年5月に加藤と小中、村岡の4人でダブルデートをした。
そのあと村岡良子と金山までドライブした。まさかその事を知っているのだろうか。
あの時は手も握らなかった。清水が何か勘違いしていないか心配になってきた。

「早川、おめえどっちが好きなんだ」
「何、なに、何のこと」
「しらばっくれんなよ、聞いたんだぞ、何かしたんだろう」
「何にもしてねえよ、何を聞いたん?」
「同窓会の時にさあ、俺、千葉の石油工場で働いているって言ったんだよ」
「うん」
「そしたらさあ、小中と村岡が俺んとこへ来てさあ」
「うん」
「じゃあ、早川君知ってる?って言うんだよ」
「えええ~、それから何を話したん」
「同じ独身寮に住んでるよって言ったらさあ」
「うん、そのあと何を話したん?」
「おめえの事さあ、二人で根掘り葉掘り聞いて来るんだよ」
「清水、何をいったん?宮原さんのことも話したん」
「俺そんな馬鹿じゃないよ、おめえに不利な事は言ったりしねえよ」
「ああ、よかった。千葉のキャバレーに行ったことは?」
「そのくらいは面白おかしく話すよ」
「うわ~、まいったなあ、評判悪くなっちゃうな」
「いいがなそのくれえ話したって、おめえどっちが好きなんだよ」
「そんなんじゃないよ。特に好き嫌いはねえよ」
「二人と太女の文化祭に一緒に行ったんだって?」

やばい感じになってきた。どこまで知っているんだろう。
話が片思いの人のことになってきた。清水も私も同じ人に片思いしている。

小中可南子は男子生徒のマドンナ的存在だった。
このマドンナの言葉や仕草が男の心に大きな影響を及ぼしている
清水も何か快い言葉をかけられたに違いない。
「あれ、前に太女の文化祭の事話さなかったっけ?」
「ばあか、一言も聞いてねえよ」
「あああ、もしかしたら清水は小中が好きなんだろ~」
「男だったら誰だって小中が好きだろ~」
「そうかもな、小中可南子は清水の事なんて言ってるん」
「俺のことをさ、楽しい人ねって言うんだよ。まいっちゃうよ」
「へえ~、いつそんなこと言われたん」
「いつでもだよ。それより文化祭の時の事をもっと聞かせてくれよ」
みんなそれぞれ小中加奈子の言葉を思い出に持っている。
”楽しい人ね”これもまたいい言葉だ。言われてみたい。
だから清水はいつも冗談やダジャレを考えていたんだ。
清水はこれからもそういう方向に進んでいくような気がした。

「文化祭の事は、向こうから誘ってきたんだよ」
「うんそれも聞いたけどさあ、そのあと村岡とどこへいったん?」
「ちょっと家まで送ってもらっただけだよ」
「嘘言うんじゃないよ。どっかへ行ったろ?」
「清水、お前どこまで知ってるん?」
「金山の夜景がきれいだったって言ってたぞ」
「まいったな~、村岡がみんな話しちゃったんか」
「まさか、村岡とキスまでしてねんだろ~」
「当たり前だよ、そんなこと考えもしなかったよ」
「あとさ、だいぶかっこいいこと言ったみてえだな。大学に行きてえんだって?」
「それも聞いたんか」
「俺も、なんかおかしいと思っていたんだよ」
「なにが?」
「早川の部屋にさ、参考書や問題集があったろう」
「うん、他にやる事がないから暇つぶしに見てたんだよ」
「ばあか、暇つぶしで勉強なんかする奴はいないよ」
「うん、受験勉強していたんだよ」
「結果はどうだったん?もう発表あったんだろ?」
「うん、絶対に会社の人に言うなよ」
「言いっこねえよ、友達だろ」
「早稲田の文学部に合格したんだよ」
「嘘つくんじゃねえよ、あんな所に受かりっこねえだろ」
「本当だよ。今日合格発表を見てきたんだよ」
「信じられねえ、絶対信じられねえ~」
「だから俺、3月末で会社を辞めるよ」

話して気持ちがスッキリした。誰かに話したかった。
やっぱり嬉しさは心の中だけに留めて置く事はできなかった。
合格の事を話したのは清水が初めてだった。清水は複雑な顔をしていた。

「じゃあさ、それはそれでいいけどさ」
「うん他にはもう隠していないよ」
「小中と、村岡どっちが好きなんだよ」
「どっちかにしなけりゃだめなんか?」
「だってさあ、村岡とドライブしたんだろ~」
「だからさ、まだ何もしてねえよ」
「じゃあ、村岡はまだ彼女ってわけじゃねえんだな」
「うん、そうだよ」
「小中はどうなんだよ」
「もし好きだとしても、俺なんか相手にされないよ」
「やっぱりな、はっきり言っちゃえよ」
「わかった。二人とも好きだよ」
「ふざけんなよ、俺にも都合があるんだから」
「清水は、小中が好きなんだろ?」
「そうだよ、あったりめえだろ~」
「やっぱりな、そうなんだ」
「早川さ、村岡に決めちゃえよ、あいつおめえの事だいぶ心配してたぞ」
「じゃあ、今度4人でデートでもしてみるか」
「できっこねえだろ、相手にされないだろ~」

清水の部屋に来てからもう2時間以上も過ぎている。
憧れの女の人の話になるととりとめのない会話になってしまう。
大学合格の事など清水にとってはたいしたことではなかった。

清水にとって小中加奈子は私の大学合格よりも大事なことだった。
人それぞれ大事なことが違う。それぞれの生き方で幸の形が違う。


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