第1話

文字数 2,199文字



 父方の祖母が寝たきりになった時、まだ私は実家から遠くで暮らしていた。年に一度くらいの頻度で会うだけになってから3年経っていた。
 祖母は孫にもあまり体裁を取り繕おうとはしない性格で、思ったことは何でも言うタイプ。人の顔を覗きこんで「あんた太ったんじゃないの?」なんて失礼なことを平気で言い、猛烈に走るカーレースのアニメに出てくる犬のキャラクターそっくりに笑うのだ。その笑い声を聞くとついニヤニヤしてしまうのを堪えながら「ばあちゃん程じゃないよ」とやり返すと向こうも怒り返す。そんなやり取りが祖母と私のコミュニケーションだった。
 会う度に確実に痩せ衰えていった様子に、たまにしか会わない私は密かにショックを受けていたけれど、祖母と一緒に住んでいる家族には悟られないようにしていたことを覚えている。

 そんなある日、私は離婚をして実家に戻ることになった。その頃の祖母は新しいことを覚えるのが難しくなっていて、日がな一日寝ていることが多かった。とても大人しくなり憎まれ口を叩くことも少なく、だんだんと可愛らしい子供のように感じられることが増えていく。祖母は私の顔を見つけると「いつまでいるの?」と問うので「しばらくいるよ」と答えていた。
数日経つといるのが当たり前になってきたのか訊かなくなっていった。それでも、私が連れ帰ってきた猫を見るたび「あれ?うちのと違う」と言うあたりまだまだしっかりしている。なぜなら実家の猫は白髪が多くなった年老いた黒猫で、私が連れてきた猫は濃いグレーだったから。
 実家の黒猫は目も殆ど見えなくなり、こちらも寝ていることが多かった。歳を取ると猫も寒がりになり、祖母の介護ベッドにお邪魔してよく一緒に仲良く寝ているのを眺めるのは介護の合間にあたたかい緩みを与えてくれる。しかし、そんな実家の猫も20歳になり、祖母より先に逝ってしまった。
 私も家族も祖母にはそのことを伝えられずにいた。祖母の隣が空いてしまいとても寂しそうに見えて、うちの猫を代わりに寝かしつけようとしてみたけど、彼女たちの間には積み上げてきたものが無いのでもちろん上手くいかず…。他に何かないかと考えあぐねて、持ち込んだまま片付けていない段ボールを漁っていると、猫ぐらいのサイズの白いぬいぐるみが緩衝剤代わりに隙間に窮屈そうに詰められているのを見つけた。それはベイマックスという映画に出てくる鈴をモチーフにした顔を持つずんぐり丸みを帯びたロボットのぬいぐるみだった。
 見つけた私も「さすがにこれは…」と苦笑する。祖母にとっては観たこともない映画のキャラクターで、人間でもなければ動物でもない。それでもドキュメンタリーなんかでお人形を抱えているおばあさんをたまに見かけるので、それに倣って試しに渡してみようと決心する。

「ばあちゃん、これすっごく可愛いでしょ?」
さも、良いもののようにプレゼンしてみる。祖母は微笑んで手を伸ばすと、ビーズクッションと同じ作りのぬいぐるみの手をふにふにと握った。そのまま渡すとぎゅっと抱きしめ「可愛い」と嬉しそう。
「私のだけど、気に入ったなら仕方ないからあげるわ」と勿体つけることを忘れずにそのままプレゼントすると、祖母は撫でたり握ったり、離して眺めてみたりといたく気に入ったようでご機嫌だった。
まさかそんなに気に入ってもらえるとは思っていなかったので驚いたけれど、それは私だけではなかった。ベイマックスを抱いて眠る祖母を見た家族もまた「えー!これを気に入ったの?」と驚きつつその微笑ましい光景に癒された。

 それからずっとベイマックスは祖母と一緒にいた。デイサービスに行く時も、入院する時も、いつもお供にするので隙を見て彼を洗濯するのが大変だったくらい。そして、行く先々で周りの人たちを楽しませた。その意外性とミスマッチ感、微笑ましさが、介護に、医療に携わる人たちにも笑顔と癒しを振りまいていたようだったので、思いつきでプレゼントした私も嬉しかった。
 こんな小さなことで、介護される本人にも、介護する周りの人にも楽しんだり、癒されたりできるという事実があたたかい気持ちにさせる。人の世話をずっと、終わりの見えない長い間続けるのは、とても大変なこと。時には愛情だけでは賄いきれないものがある。義務や正義感を総動員させたって、疲れて追いつめられることがある。
自分の子供を世話するようには、親や配偶者、他人にはできなくて当たり前だと私は思う。本能に組み込まれてはいないから。だから無理をする必要なんてないし、一人が背負うことでもないし、手伝ってくれない人のプレッシャーに従う必要もないし、相手を100%満足させる必要もない。気付いた時、してあげたいと思った時、疲れた時、嫌になった時、できない時…それぞれしてあげたり、頼ったり、任せたりすればいい。
そう、思いはするけれど当事者になってみると自分が無理をしていると気付かない。そんなとき、誰かが優しく声を掛けてくれたら、応じられる素直さを持っていたいと私は思う。

私が介護を受けなくてはいけなくなった時には、何か面白い服装をしてみようかな。それとも派手なネイルをしてもらおうかな。ありえない色の髪に染めようかな。とりあえず、お気に入りのぬいぐるみはいつも備えておこう。

祖母を看取ったベイマックスは少し気の抜けた体で今もテレビの横でくたっと佇んでいる。
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