第2話 理由はいらない 

文字数 3,893文字

 ひとにはいえない趣味がある。いや、果たしてこれを趣味といってよいのかどうか、わからないが。

 ひとことでいうと、寄付(きふ)である。

 断っておくが、おれはべつに金持ちじゃない。そもそも正社員ですらない。かろうじて社会保険に加入してはいるものの、時給いくらで雇われているアルバイトに近い立場だ。
 寄付などしている場合ではないだろうといわれそうだが、そのとおりだ。自覚はある。もし、両親や、堅実な兄にこの趣味がバレたら
「ひとのことより、まずは自分のことを考えろ」
 と頭ごなしに説教を食らうのは目に見えている。
 だから、ひとにはいえない趣味なのだ。

 きっかけは、こどものころに学校で開かれていたバザーだった。
 各家庭から余っている未開封の贈答品などを集めて安く売り、その売上金を慈善事業団体に寄付する、という仕組みだったと思う。
 当時はあまり意味を理解していなかったが、そのほかにも赤い羽根共同募金や緑の羽根、ベルマーク運動などがあり、ぼんやりと興味を持つようになった。

 自分でも、だれかの役に立つことができる。
 それがほんのごくわずかな、(ちり)のようなものであったとしても、ゼロではない。そのことが、おれにとっては大きな驚きだった。

 世のなかには、さまざまなかたちの寄付が存在する。個人のささやかな希望を後押しするものから、多くのだれかの助けとなるものまで。
 ありがたいことに、おれ自身はとくに持病もなく、好きなだけ働ける頑丈な身体を持っている。兄や、職場の同僚からは「木偶(でく)の坊」といわれているが、事実なので仕方ない。図体(ずうたい)だけはやたらとでかく、やる気はあるのに、要領が悪すぎて足手まといになってしまうのだ。おまけに「顔が怖い」と他人から避けられ、こどもには泣かれ、道を歩けばお巡りさんから職務質問を受ける始末(しまつ)
 そんなおれでも、人助けができる。
 金額的に見れば大したことない額だが、毎月のわずかな寄付が、おれにとってひそかでささやかな生き甲斐になっていた。

 転機は、とつぜんやってきた。
 仔猫を拾ったのだ。
 仕事帰り、道ばたに黒いちいさい(かたまり)が落ちていた。それはよたよたと危なっかしい足取りでおれのほうへと近づいてきた。「ミー」だか「ニー」だか、微かな声で鳴きながら。
 どうしよう。
 おれはその場に固まった。
 これ、どうすればいいんだ?
 あまり道路に出てくると車や自転車に()かれてしまうかもしれない。かといって、素手で掴むのも怖い。潰しそうで。
「あっ」
 おろおろしていると背後から声が聞こえた。振り向くと、スーツ姿の女のひとが駆け寄ってくる。
「あの、大丈夫ですか、足」
「え?」
 足許に視線を戻すと、黒いちいさい塊がおれのジーンズに爪を立ててよじ登ってくるところだった。
 痛くはないが、どうしたらいいんだ、これ。
 途方に暮れていると、短い髪のスーツの女のひとが小首をかしげるようにしておれを(のぞ)き込む。
「猫、苦手ですか?」
「いや、苦手というか、潰しそうで怖いです」
 おれのことばに、女のひとは目をまるくして、それから笑った。いつも他人から向けられる馬鹿にしたような笑いかたではなく、楽しそうな笑顔で。
 わけもなくドキドキした。そんなふうに女のひとから笑顔を見せられたのは、たぶんはじめてで。
「大丈夫ですよ。ちょっと失礼しますね」
 そういって女のひとはおれの足許にしゃがみこむと、そっと黒い塊を抱きあげた。
「ガリガリだな、この子」
 動物の扱いに慣れているのか、彼女は手のなかの仔猫のようすを確かめている。
「目やにもひどいし、たぶん母親とはぐれたのかな。お腹すかしていると思います」
「あの、こういう場合、どうすれば」
「うーん」
 彼女はまっすぐにおれを見あげて尋ねた。
「この子、飼えますか」
「えっ」
 飼う? おれが? 仔猫を?
 考えたこともない。
「やっぱり難しいですよね。うちもペット禁止だし」
「動物を飼ったことがないので、飼えるかどうかはわからないけど。もしおれが飼えなかったら、どうなるんですか」
「とりあえず、病院につれていって、病気をしていないか()てもらって。野良猫の保護活動をしているボランティアのひとたちを知っているので、ひとまずそこにお願いして預かってもらって、里親を探します」
 なるほど。おれひとりだったら、ぜったいにそこまで考えつかなかっただろう。
「いっしょに行きますか?」

 ついていった。あのまま彼女に仔猫を押しつけて帰るのは申し訳ない気がしたし、おれ自身、この黒いちいさい塊が気になったのだ。
 近くの動物病院がまだ開いていて、そこに仔猫をつれていった。先生が試しにエサを与えてみると、ものすごい勢いで食いついて、あっというまに平らげた。よほどひもじい思いをしていたのだろう。幸い、病気などはなく、すこし風邪を引いているらしいのとダニがいるということで薬をもらい、料金を支払う。おれ自身、病院にかかることが滅多にないので相場がわからない。高いのか安いのか。
 おれがあたりまえのように財布を出すと、彼女はびっくりしていた。最初に仔猫を拾った(というか、よじ登られた)のはおれだし、はじめからそのつもりでいた。

 週末で、明日は仕事が休みだから、今夜ひと晩は自分の部屋で仔猫を保護して、明日ボランティアへ顔を出す、と彼女はいった。
「ひと晩だけなら、なんとかなると思います」
 もしバレたら大変だろうと申し訳なく思うが、かといっておれひとりでひと晩、仔猫を預かるのは不安しかない。
「明日、おれも行ってもいいですか」
「もちろん」
 連絡先を交換した。

 翌朝、彼女が車で迎えに来てくれた。仔猫はキャリーケースのなかでおとなしくしている。
 彼女は犬飼(いぬかい)さんという名前だった。
「どちらかというと猫派なんですけどね」
 といって笑った。
 ちなみに、おれの名字は鮫島(さめじま)という。とくに鮫に親近感などはない。そういうと彼女はおかしそうにコロコロと笑った。
 ボランティアへは彼女が事前に連絡をしてくれたようで、話は通っていた。対応してくれた年輩の女のひとはケースのなかの仔猫を見ると「あらあら、おめめがかわいそうに」とやさしく頭を撫でた。

 この日、そこで見聞きしたこと、実際に、保護している犬や猫の世話を手伝わせてもらったことは、おれの人生にとって貴重な体験だったと、いまでも思う。
 スタッフはみんなボランティア、つまり無償で活動しているということ。一匹でも多くの犬や猫が新しい家族に迎え入れてもらえるよう尽力すること、それがいちばんの目標だということ。
 そして、とにかくお金がかかるということ。
 毎日のフードはもちろんのこと、猫のトイレ用の砂や犬用のペットシーツ、ケージや薬、去勢や避妊のための手術費用などなど。いくらあっても足りない状態なのだと。

 犬飼さんは、もともとボランティアスタッフとしてここに出入りしているそうで、だから野良猫の扱いにも慣れていたのだろう。
 昼過ぎまで掃除などを手伝って、おれは覚悟を決めた。

「あの、この仔猫、おれが飼います」

 犬飼さんも、ほかのスタッフも、みんなびっくりしていた。
 じつは、昨夜のうちに、ネットで猫の飼いかた、注意点などをできる限り調べてみたのだ。もし実家に住んでいたら、動物嫌いの家族がいるので飼うのはぜったいに無理だったが、おれはボロいアパートでひとり暮らしをしているし、大家さんに確認してみたら、もう古い建物だから猫を飼ってもかまわない、と許可がおりた。
 あとは、おれが猫の一生をきちんと世話できるかどうか。それだけだった。
 正直いえば、自信はない。
 自信はないが、途中で投げ出したりはしない。おれは要領はひと一倍悪いが、粘り強く最後までやり()げることに関しては、小学生のころから太鼓判を()されてきた。大丈夫だと思う。
 そう説明すると、みんなよろこんでくれた。
 わからないことや不安なことがあったら、いつでも聞いてね、といってくれた。

 仔猫をつれて帰った。黒いちいさい塊は、おそるおそるといったようすでケースから出ると、部屋のなかを探索しはじめた。
「トイレはどこに置きますか」
 そう、犬飼さんも部屋までついて来てくれた。
 仔猫を飼うにあたって必要なものを買うためにホームセンターとペットショップにつきあってもらったのだ。犬飼さんから申し出てくれて、とても助かった。
「いいひとに拾ってもらえて、よかったね」
 ひととおり設置をすませた部屋で、犬飼さんは仔猫を抱きあげてそうささやく。
「ようすを見に来たいので、ちょくちょく寄らせてもらってもいいですか」
「もちろんです。狭い部屋ですが」
「そんなこと」
 犬飼さんは(さわ)やかに笑う。

 それから、おれもたびたびボランティアに参加させてもらうようになった。毎月の寄付もそっとしているし、フードなどの差し入れもする。
 よろこんでもらえて、うれしい。
 いままでもいろいろな寄付をしてきたが、実際にどんな活動をして、どんなふうに寄付金が使われているのかを知る機会はなかった。
 この一匹の仔猫が、おれの人生を変えてくれた。
 ここでは、だれもおれの顔を怖がらないし、馬鹿にされることもない。男手は助かると歓迎すらしてもらえる。
 礼をいうのはおれのほうだ。いままで以上に、毎日が充実している。

 目のまえに助けられる命があるなら、迷わず助けたい。
 それがたとえ人間でも動物でも。
 そこに理由はいらない。

 ***

 一年後。おれは住み慣れたアパートを出て、ペット飼育可の新しい部屋に引っ越すことになった。
 犬飼さんと、立派に成猫になった黒猫と、いっしょに暮らすのだ。
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