第30話 ラミネートコーティングは燃えないゴミだから
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無視できないくらい多い落下ゴミが、『お知らせ』の貼り紙である。
このコロナ禍で、店舗の休業や時間帯変更のお知らせゴミが急に増えた感もあるが、それ以外にもお知らせゴミはよく落ちている。
休業の貼り紙は、ただの紙に出力したものか手書きが多く、セロハンテープで貼っただけのものがよく千切れて落ちている。雨に当たるとあっさり破け、風でその辺に舞うわけだ。貼った当人は舌打ちしつつ、また新しい貼り紙を印刷するだけなのだろうが、紙ゴミの散乱は意外と目立つ。足を棒にして探し回れとは言わないが、敷地周辺くらいは確認してくれても良いのではと思う。
だが『無断駐車禁止』や、『エンジン停止のお願い』、公園の『球技禁止』、『バーベキュー禁止』など、恒久的に貼っておきたいような貼り紙は、さすがに素の紙にセロハンテープなんてのは、あまり見ない。
ほとんどは、ラミネートコーティングされていて、それもおそらく『屋外仕様』が大半。
風雨にさらされても大丈夫、という触れ込みであろうから、屋外に貼る使い方は、ある意味仕方がない、というか仕様通りともいえる。
それが、どうしてその辺に落ちているのか、といえば、ほぼ物理的な破損によるものだ。
商品の名誉のために言っておくが、屋外用のラミネートが、劣化して落ちている例など、ほとんど無い。文字さえ退色していなければ、そのままもう一度使えそうな貼り紙も多い。
だが、大抵の場合、端っこにパンチで穴を開け、そこに結束バンドか針金を通してあるだけだから、あっさり風などで千切れるのだ。
中には、明らかに屋内用のコーティングで、ベゴベゴにふやけているような貼り紙もあるが、それにしたって仕様通り。外に使用したやつが悪いわけで、製品的には何ら落ち度はないわけだ。
まるでラミネートコーティングは、屋外では無力と言わんばかりのこの扱いは、メーカーに対しても、営業妨害に近いのではなかろうか。
いくらコーティングが丈夫でも、しょせん紙は紙である。そしてコーティングはただの薄いプラスチックだ。物理的な破壊には弱いに決まっている。
それを、風圧をまともに受けるようなやり方で、鉄パイプ柵や金網などに、どれだけしっかり取り付けたところで、日を経ずしてどこかへすっ飛んでいくに決まっているだろう。
そんなこと、常識以前の問題だし、ゴミ拾いを始める前はそういうのを見かけても「アホだなあ」と思うだけだったのだが、いざ拾い始めると、意外にこの手のゴミが多くて参る。
貼った側は、すっ飛んで行ってしまっても「まあ、しゃあないか」で、また新しく貼り付けるだけのこと。安価で何度でも何枚でも作れるのが、ラミネートコーティングの良いところではあるのだが、拾う側としては、何度も何度も同じラミネートコーティングの貼り紙を片付けさせられるわけで、こうして一言いいたくもなる。
しかも『ポイ捨て禁止』の貼り紙が、何度も落ちていたりするに至っては、悪い冗談にしか思えない。公園の貼り紙などは自治体の名前が入っていたりして、正直アホかと思う。
しかもこのゴミ、無駄にしっかりコーティングされているから、『燃えるゴミ』でもなければ、『プラゴミ』でもない。結局、分別不能ゴミの終着点である、『燃えないゴミ』として捨てる以外にないわけだ。
俺は個人的に、この『燃えないゴミ』が嫌いである。
燃えないゴミってやつが、結局何の処理もされないまま、最終処分場へ持ち込まれ、埋め立てされるだけなのを知っているからである。
妙な言い方かもしれないが、燃えないゴミとしてゴミ箱へ放り込む行為に、敗北感を伴うのだ。
目の前からなくなったらそれでいい、ってんならポイ捨てのクズ野郎どもと同じだって感覚、分かるだろうか? ポイ捨てされるのが、その辺なのか、最終処分場なのかの違いだけではないのか、そう思ってしまうのだ。
以前勤めていたプラントメーカーが、そういう最終処分場の『浸出水処理プラント』というものを作っていて、そこの状況をよく知っているってのも、そう思う理由の一つだと思う。
この『最終処分場』を見たことがある人は少ないのではないだろうか。
なんだかよく知らないが、どこか遠くにあるものだと思っているかも知れないが、気づいていないだけで、実は意外と身近にもあるものなのだ。
その多くは山と山の間、すなわち谷間を埋めるように作られる。だが、海岸にでかい枠を作り、その中を埋め立てていく場合もあるし、山を削って砂や土、石を建設用資材として売りさばき、そこに出来た巨大な空洞を利用する場合もある。その他、昔使っていた鉱山跡や、何らかの理由で平地に生じた穴も候補になる。
どれも、かなり巨大な施設であって、そんなものにどうして気づかないかというと、目立たないように作るからだ。
大抵の最終処分場は、そこに行く道は、そこに行く以外に利用価値がない道を作る。
つまり、どこかに行く途中に見かけることはないし、そこへ向かうトラックが連なっている様子を見ることもないわけだ。
また、周囲にほんの僅か緑地を残す。山間の処分場などは、普通に道や展望台から見ると豊かな山林が広がっているようにしか見えないが、上空から見ると、森林は処分場を囲むように残っているだけで、ほとんど消失しているのが分かる。
そこへ行ってみると、踏み固められたゴミの上を、数台の建設機械が動きまわり、粗大ゴミを粉砕したり、まんべんなくゴミを敷き詰めようとしたりしている。
一番低い部分には、ダム状のコンクリ璧があり、そのすぐ上には墨汁と赤インクを混ぜたような不可思議な色の水が溜まった池がある。
これは、ゴミの上に降った雨が、ゴミの隙間を通る間に汚れを溶かし、浸み出して溜まったものだ。
これの汚染度は結構なもので、有機成分だけでなく、重金属や塩分も多量に含まれている。
なんで塩が? と思われるかも知れないが、食塩を燃えないゴミで出すバカが多いからでも、海水が湧き出しているからでもない。
これは『燃えるゴミ』を燃やした後の灰を一緒に埋め立てているからで、塩化ビニルが燃やされて生じた塩化ナトリウムや、『厨芥』すなわち食べ残しなどの生ゴミに含まれていた塩分が残留しているからなのである。
ということは、高温で生成する塩化化合物であるダイオキシン類も検出されるわけだ。
こうしたヤバイ水が地面に浸みこみ、地下水を汚染しないように、処分場の全面には、遮水シートが張られていて、ゴミはその上に乗っている状態なのだ。
更に言えば、この防水シートも、実はかなり高価だ。
そりゃあ、普通に売ってるブルーシートとかじゃ、あっさり破れて浸みだしてしまう。何十トン、何百トンものゴミの重さと、上を走る建機の衝撃に耐えさせるため、違う材質のシートを二重にも三重にも敷く。中には尖がったゴミで破れても、自己修復するような機能があるものまであるから、高いのも無理はない。
製品や機能にもよるが、一平方メートルあたり数千円以上。それが、とてつもない広さの処分場の全面を覆っているわけだ。
つまり、一万平方メートルで数千万。
一万平方メートルって広そうだが、百メートル四方ってことだ。そんな程度の処分場、あっという間に埋まってしまって役に立たないから、実際は防水シートだけで何億円もかかっているってことになる。
しかもこの汚水、放っておけば溢れてダムの下にこぼれ出す。
そうなる前に処理して、安全な水質にして放流しなくてはならない。よって、そのための水処理施設も、もちろんある。
この水処理プラント一つでも、数億から数十億する施設であるから、燃えないゴミを捨てるってことに、見えない場所でどんだけカネがかかっているか分かるだろう。
しかも、着実に自然環境を破壊しつつ、である。
そんなら、雨が浸みこまないよう、屋根を作っちゃえばいいんじゃね?
なんてのも、誰でも考え付く話で、じつはそうしたタイプの処分場もある。だが、そんな広い空間に屋根なんか作ったら、さらにカネがかかることも、想像できるはず。
それらすべて、税金なり、製品の価格なりに上乗せされて、負担しているのは市民ってことになる。
そこまでしてカネをかけ、作られた処分場にも、当然ながら寿命がある。いっぱいになったら終わりなのだ。封鎖して受け入れを終え、別の場所へ持って行かねばならない。
封鎖したところで、雨が降れば水は出る。つまり、延々と浸出水の処理は続くわけだが。
そんなことを続けていて、SDGsもクソもあるものか。人間どもの周囲は、すでにもうゴミだらけなのである。
ゆえに、安易に燃えないゴミに分別したくない、と俺は思うし、『燃えないゴミにせざるを得ないようなモノ』を安易に世に送り出してほしくない、とも思う。
燃えるゴミにしたって、燃やして無くなるわけではないのだ。燃やすという選択肢も、出来る限り減らしたいものだ。
不要になった時に分別できない、あるいはしにくい製品。
『紙』とか書いてるくせに、リサイクルできず焼却が前提であるような容器や包装。
ちょっとの手間を惜しんで「めんどくせ」とばかりに、分別せずに捨てるヤツ。
それらちょっとずつがゴミとなり、積み重なって、最終処分場を埋めていく。
どうか、メーカーも消費者も、そのへん少し考えてほしいものである。
ちゃんと分別すれば、燃えるゴミの灰からも、食塩や重金属などのヤバイ物質が減るはずなのだから。