ガラス製の真綿で首を

文字数 1,350文字

 その間、そんなふうに香澄に近づく物好きは、湊以外には出てくることはなかったが、それを「さみしい」と感じる時間は、かなり減った。

 空と父親とノート以外に、隣にいる間はどれだけ見つめても構わない相手。そういう相手があと何人も欲しいと、今の香澄は思わない。

 ただ。

「今月末にまた、検査で東京の病院に行くんだ」

「おお、土産よろしく」

 ここのところ少しずつ、ガラス質の部分が小さくなってきているのには気づいていた。このまま行けば、半年後には、あるいはせめて卒業式には、この暑苦しい首のガードを解いても、普通に登校することがゆるされるのでは、くらいには。

「東京ばな奈の限定のやつ買ってきて」

「え、そんなのあるの?」

「あるある、あとで売り場のURL送る」

「今回、結構検査に時間かかるみたいでさ。買いに行く時間があるかなあ」

「新しい検査でもあるのか? あ、祟り神化がさらに進んだとか」

「ひどい。頼むからもう少し、口の聞き方を学べ馬鹿」

 香澄は指先でサポーターに触れる。

 真綿で首を絞められる。

 それはもしかしたらこういうことを言うのかもしれない、とぼんやり思う。

 香澄の体温でほんのりと生ぬるいその表面は硬く、真綿の手触りとは程遠かったけれども。

 この隣にいる友人はきっと、《祟り神》ではなくなった香澄には、興味を持たなくなる。

 そんな気がした。それは直感だった。

『あんた、《祟り神》なんだろ?』という失礼極まりない出会い頭の台詞のインパクトはやはりとても大きくて、香澄はそれを思い出すたびに、己の中でちいさく傷のついた乙女心をなでてやりたい気持ちにかられる。

 もし、この首がある限り、湊が自分の隣にいてくれるならという思いが、ちらりと頭を掠めることもなかったわけではないが。

 違う。そうじゃない。

 発病した最初の日、自分の指から吹き出した真っ赤な血や、同じように真っ赤な血にまみれて、学校の床に飛んだかつての友人の二本の指、毎朝サポーターを取り替えるたびに、その優しい指先に新しい切り傷をこしらえてしまう不器用な父親の顔。己のこの首の刃が傷つけてきたさまざまな人たちを思い返し、香澄は心の中でぶるぶると首を横に振る。

 治すんだ。

 治らなければ、あと何人、自分のせいで傷つく人間が出てくるかわからない。

 第一。

 この首が治らなくても、湊が自分と行動をともにすることに飽きる可能性などいくらでもある。香澄は「祟り神でなくなったら……」という自分の偏った思い込みに気づき、少し恥ずかしくなる。

 これだけまわりから遠巻きにされている香澄にまとわりつくくらいだから、湊は校内で完全に変わり者扱いをされているが、だからと言って、ほかの級友から敬遠されているわけでもない。むしろ、どちらかと言えば転校生だということがすっかり忘れ去られているくらい、見事に学校になじんでしまっている。いわゆる、誰も憎めない悪ガキポジションを完全に手中に収めているな、という感じだった。

 つまり、香澄が安心して見つめることができる相手は、父親を除けば湊くらいしかいないが、湊は別に香澄以外の誰のことであっても、見つめ放題ということだ。

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