1話完結 脱出口で待つ彼女

文字数 4,996文字

 見間違えたのか、と思った。
 そこにいるに違いないという思い込みで、ほかの誰かが彼女に見えてしまったのだろうかと。
 だって彼女はあのときと寸分変わらない少女の姿のまま、そこに立っていたのだ。
「きみはアンドロイドなのかい?」
 と聞けば、
「きのうからやってきたの」
 なんてうそぶく。
「じゃあ今日のきみはきのうのきみと鉢合わせをするね」
 といえば、
「今日のわたしは明日へと旅立つの」
 だなんて。
 彼女の謎かけ問答のような思考は、パラレルワールドに迷い込んだみたいに入り組んでいた。

 オレが芽衣子と出会ったのは何年も前になる。
 ちょうど夏休みの最終日だった。がらんどうの学び舎を通りかかると、非情な日常が思い起こされて、ここを避けるよりもここから旅立った方が良いのではないかという気がしていた。
 ほんの思いつきだった。
 裏門をくぐり抜けたすぐそこに校舎があって、おあつらえ向きに非常用の外階段が取り付けられてあった。避難訓練でほかのクラスが使用していたようだったが、オレはこの階段を上り下りしたことがなかった。各階の校舎への入り口には鍵がかかっているはずだが、階段の入り口は扉さえない。
 鉄製のなんとも心許ない階段を上っていく。クッションの入った底の厚いスニーカーでも、トントントンと軽々しくオレの足取りを鳴らした。
 使用用途を間違えているだろうか。
 いや、この階段は脱出口なのだ。
 上ったその先にも、オレにしか見えない非常用の出口があるはずだ。
 階段は屋上までは繋がっていなくて、三階までで終わっていた。踊り場から身を乗り出して下を覗く。三階の教室で授業を受けていた自分にとっては怖いと思わぬ高さだ。むしろここから飛び降りて死ねなかったことを考えるほうが怖かった。
「最大級に馬鹿にされるな」
 ぽつりとつぶやくと、
「うん、そう思う」
 唐突に後ろから声が聞こえた。おののいて手すりをつかんで振り返る。
 3階の踊り場の隅っこの方にいたのか、それとも階段を登ってきたのか、まったく存在に気づかなかったが、同じくらいの年格好の少女が小首をかしげて立っていた。真っ赤に染め上げた髪が風になびいて、きらめいている。この学校の生徒だろうか。制服を着ていないからわからない。デニムの短いワンピースにチェックの長袖シャツを腰に巻いていて、野暮ったい雰囲気がちょっぴり残念と思わせるくらいに、かわいらしい子だった。
 ふわりと音も立てずにオレの隣に並んで下を覗き込んだ。
「自分の運命を試してみるのもいいけど、飛び降りなんて、やめた方がいいと思うよ」
 見透かしたように彼女はいった。
「きみだって。こんなところでなにしてるの」
「ほんの思いつき」
 はにかんでそう答える彼女なら、階段でも鉄塔でも無邪気に登ってしまいそうだなと、勝手に想像して笑ってしまった。オレのほんの思いつきはじんわりかき消され、いやむしろ彼女の目の前で身を投げるのはためらわれた。
「あしたはタイムカプセルを埋める日だね」
 彼女はグラウンドの向こう側にある五本の桜の木に視線を向けた。大きく幹を広げて青々と生い茂っている。春になれば見事な花を咲かせるが、校門からも校舎の窓からも見えにくく、うっかりしてたら見過ごしてしまいそうな場所に植わっていた。
 グラウンドの隅に追いやられている五本の桜は、開校十周年毎に植えられた記念樹だった。一番若い桜でも十年が経過している。今年も桜の苗木と一緒にタイムカプセルを埋めるのだ。自分宛の手紙を書き、十年後に開封されることになっている。それを知ってるということは、やはりこの学校の生徒のようだ。
 オレはまだ自分宛の手紙を書いていなかった。なにも伝えることなんてない。十年後の自分は、十年前の自分を知っているのだから。
 それに、みんな十年後にちゃんと手紙を受け取りにくるのだろうか。十年も経てば今のいっときなんてどうでもよくなって、十年後に光り輝いているヤツが自慢したいがためにやってくるんじゃないか。
 ――そうか。「今」なんてどうでもいいのか。
「ねぇ。お互い宛に手紙を書こうよ」
 不意に彼女が提案した。
「わたしは江東芽衣子。また十年後もここで会おう」
 オレは、十年後も生きていなくちゃならなくなったな、と思った。
 赤髪の少女に違う脱出口へと背中を押されたような気がした。

 こうやって十年が過ぎてみればなにごともない月日だった。人並みに不満や不安を抱え、どうでもいい「今」があの日からずっと続いている。未来ってのは「今」の積み重ねなのだと気がついたときには、取り戻したい過去であふれかえっていた。自分の人生、もう少しマシになっていたかもしれないのに、と。
 母校からの便りが届いても、なんだか面倒だなと浮かない気分で江東芽衣子のことを思い起こしていた。あのときはありがとうと胸を張っていえるほど素晴らしい時を過ごしてはいないし、一回会ったきりの同窓生を覚えているかもわからない。それでも手紙を読んだらさずがに思い出すだろうか。彼女はどんな手紙を書いたのかという興味だけがオレを母校に向かわせた。
 オレは開校記念の式典をひっそりと見届けながら、彼女の姿を探した。赤髪が強烈なインパクトを持っていただけに、髪の色が変わっていたら彼女を見分けられる自信はなかった。十年経っていればなおのことだ。
 タイムカプセルが開封され、わかりやすいように自分宛の手紙は当時のクラスごとに分けられた。江東芽衣子宛の手紙はすぐに見つかった。この手紙を拾い上げた者が彼女ということになる。
 そういえば、彼女の学年とクラスを知らなかった。彼女がここに現れなければ膨大な手紙の山から自分宛の手紙を探さねばならない。最後の方になっていつまでもうろうろと自分宛の手紙を探しているのは不自然だ。先に自分宛の手紙を探してしまおう。
 そう思い立ってオレは手紙の山を見て回ったが、自分宛の手紙は見つけられなかった。
 そしてこれが本当の最後の山だ。今まで引き取り手のいなかった手紙は捨てるのが忍びなくて、こうやってずっと保管されているのだという。こんな古びた手紙に紛れ込んでいるはずはないのだが、あきらめのつかないオレは未練がましくも宛名を目で追った。
 すると『江東芽衣子』という名を見つけて思わず手に取ってしまった。丸みを帯びた女の子らしい文字だ。同姓同名だろうか。それとも、彼女自身が書いた手紙?
 ふと視線を戻せばまた彼女の名を見つけた。そうやって古い手紙の山から彼女宛の手紙を4通見つけた。どれも筆跡が違うように思う。別々の人間が書いたのだろうか。
 そのうちの1通の封が剥がれていて、なおのこと中身が気にかかった。人宛の手紙をこっそり読むなんて悪趣味もいいとこだが、彼女が何者なのかどうしても知りたかった。
 周りを見れば自分に関心を示しているやつはいない。オレは思い切って手紙を広げた。

『2009年へようこそ』

 どういうことだろう。今は2019年だ。2009年へようこそということは、十年前に開封される予定だった手紙ということか。さらに読み進める。

『あなたを無視していたことが一番の思い出です。楽しい時間をありがとう。』

 久しぶりの感覚だ。鼓動が耳鳴りのように全身に響いて胸が苦しくなる。
 わけがわからない。なぜこんな手紙が。
 もはや恥も外聞もない。残りの手紙も開封していった。

『いま、この手紙を読んでるってことは、10年後も生きてるってことだね。しぶといなぁ。ちょーめいわく。』

『友達だって勘違いしちゃった?バッカじゃない。たぶん、10年後はあなたのことなんて忘れてる』

『どんなツラしてここにいるの?クラス会長はあなたに押しつけただけだからしゃしゃり出ないでね。いじめられてるくせして皆勤賞とかウザイから』

 過去からやってきた江東芽衣子への攻撃が色あせもせず向かってきていた。4人の悪意が押し寄せて破裂しそうだった。その誰もが十年後を想像もせずにその時の勢いのままで筆に乗せている。
 いくらなんでも十年後には愚かさに気づいていてほしいが、自ら手紙を回収して処分する勇気は持ち合わせていなかったらしい。
 なにかの折に本人に渡ってしまうとかわいそうだからポケットへねじ込んだ。
 他人宛の手紙に打ちひしがれてオレは自分のクラスの場まで戻ってきた。彼女宛の手紙は誰にもふれられることなく無造作に置かれている。彼女はもうここへはこない。というより、来るべきではない。
 自分が書いた手紙も拾い上げ、オレは講堂をあとにした。
 暦の上では残暑の季節だが、真夏の暑さが容赦なく照りつけた。まぶしさに目を細めて彼女と出会った外階段のほうを見やる。この炎天下、なにをしているのか最上部に人影が見えた。
「江東芽衣子……?」
 あの日、思いつきで上った階段にはすでに誰かがいた。
 オレはそちらの方へ駆け寄ってだんだんと近づいている姿を確認した。
 彼女に違いなかった。間違えようがないくらい、記憶の中の彼女と寸分変わりない姿。赤髪にダサめのチェックのシャツを腰に巻いて。彼女はあの日からワープしてきたようになにも変わらずそこにいた。
 十年前みたいに颯爽と、というわけにはいかなかったが、オレは汗だくになりながら階段を上りきった。彼女はオレに気がついて屈託なくフフフと笑った。
「すっかり年を取っちゃって」
「なんだよ……」
 オレは彼女の若々しさに面食らい思わず馬鹿馬鹿しい質問を投げかけた。
「きみはアンドロイドなのかい?」
 彼女は首を振って答える。
「きのうからやってきたの」
「じゃあ今日のきみはきのうのきみと鉢合わせをするね」
「今日のわたしは明日へと旅立つの」
「そっか……きみにとっての『あの日』から、ずっとそうやってここにいるんだね」
 あの日かぁ……と、彼女は口の中で小さくつぶやいて目を伏せた。
「あなたが持ち出してくれた手紙のことがずっと気にかかってたみたい」
 オレはねじ込んだ4通の手紙をポケットの上から押さえた。中身を読んでいなくても大方想像はつくのだろう。こんな手紙がまさに亡霊のように人の手に渡り歩いたらゾッとする。同情されることよりも、自分への評価が最底辺まで引きずり落とされてしまいそうなふがいなさが苦しい。
 彼女はぽつりぽつりと自分のことを語った。
「わたしはずっとあの日が来なければいいと思ってた。クラスの子たちからずっと無視されてて、教室の中にはひとがいっぱいいるのにいつもひとりだった。だから、ある女の子からタイムカプセルに入れる手紙をお互い宛てに書こうよっていわれたときはすごくうれしかったの。なんて書こうかなって一晩中考えて、次の日学校に行ったら、また別の子に同じこと言われて。断ることなんてできなかった。だから、ふたりだけの約束ねっていわれて指切りげんまんまでして。そしたらまた次の日も別の子が……。そのうちばれちゃって……うんん、違うわね、はじめから仕組まれてたんだよ。そうやってあっちこっちで媚び売って最低ねっていわれて。誰かひとりに決めなさいよって迫られて。決めることなんてできなかった。できるわけないじゃない。わたしは誰とも深い付き合いになかったんだもの。誰かひとりなんて決められない。だから、タイムカプセルを埋めるあの日が永遠に来なければいいと思ったの」
 彼女はオレの右手を指した。彼女宛の手紙をきつく握りしめたままだった。
「あなたの手紙を読んで」
「オレが?」
「わたしはその手紙を読めないもの」
 ひどく恥ずかしかった。
 どんなことを書いたのかも忘れていたし、きっといまの彼女に向けて見当違いなことを書いていると思うけど、即興であったかい言葉なんてうみだせないし、だからオレは、これは彼女への最後のはなむけだと、大声であの日書いた手紙を読み上げたんだ。

拝啓
江東芽衣子さま
オレはまたあなたに会えるといいなとおもいました
脱出口から辿り着いた未来で
知り合えたこの場所で
あなたのことをなにも知らないままでも
きっとオレはあなたをずっと覚えています――
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