第34話

文字数 2,511文字

 食事が終わり、ホテルの売店を冷やかして、リゾートホテルの長い廊下をふたりで歩いた。売店には翔太たちと同じような男性ふたり連れもいて、売店のひとの振る舞いも自然だった。変にひと目を気にして身体を離したり、ここではしなくていいようだった。
 売店で、翔太はウミガメを象ったぬいぐるみを発見した。何色かのウミガメを見ているうちに、その中の一体と目が合ってしまった。翔太はしばらく固まったあと、そっと陳列棚からその一体を取り上げた。ぬいぐるみを大事に両手で捧げ持ち、じっと見つめているその姿を見て、行人が背後で震えていた。
「ショウちゃん……!!
 店頭のこと、行人は叫び出したいのを必死にこらえている。
「え? 何。何ですかユキさん。俺、またヘンなことしてました?」
 行人は勢いよく首を振った。
「ヘンじゃないよショウちゃん……!」
 行人は一歩近づいて、翔太の肩越しにぬいぐるみを見た。
「ショウちゃん、そのコのこと、気に入ったの?」
「へ?」
 翔太は自分が何をしていたか気付き、慌ててぬいぐるみを棚に戻した。
「いや、別にこれは」
 行人はくすりと笑って、翔太が棚に戻したウミガメを手に取った。
「いいんだよ。ショウちゃんはショウちゃんのしたいようにして」
「……はあ」
 行人はぬいぐるみを持ってレジへ向かった。
「このコは連れて帰ろう。沖縄のお土産だよ」
 先に廊下へ出て待っていた翔太に、行人は「はい」と笑ってぬいぐるみを手渡した。
「ありがとう……ございます……」
 翔太は子供のようにぬいぐるみを胸に抱き、行人に礼を言った。
 行人は笑って翔太の頭をポンと撫で、ゆっくりと廊下を歩き出した。
(ええーーっ。どうしよう。ユキさん、いつにも増して優しい)
 翔太は胸に抱いたぬいぐるみの手触りを確かめた。
(これ、たとえば菜摘ちゃんに話したら、グーで殴られそうに幸せだよね)
 ずっと独りで生きていくんだと思っていた。誰にも顧みられることなく、社会の隅で、普通のひとを装って生きていくのだと覚悟していた。なのに。
 行人の背中が、目の前にある。
(幸せ……)
 翔太は胸のぬいぐるみを抱きしめた。
(俺、今、ホントに幸せだ)
「ユキさん、俺……」
「ん? 何?」
 エントランスのロビーでは、宿に戻ってきたグループがフロントで賑やかにやり取りしている。ロビー脇のラウンジには、キレイな色のカクテルが載った案内ボード。
「俺は、ユキさんに何ができますか?」
「どういうこと?」
「……俺、できること、何にもなくて」
 翔太は下を向いた。
「ユキさんは俺にこんなにしてくれるのに、俺、何にも返せないじゃないですか。だから……」
「返すって、何を」
「ユキさんに、こんなに優しくしてもらって、いいのかなって……」
「ショウちゃん……」
「前にユキさん、社長に言ってたでしょ? 『係長職から外してくれ』って。俺、つまんない人間だし、要領悪いし、物忘れも多いし、育てようのないダメ部下じゃないですか。だから、ユキさんには申し訳なくて。俺なんかの面倒を看させられるんじゃあ、係長職なんてやってられないんだろうなって」
「ショウちゃん、俺のこと、どう思ってるの?」
「尊敬してますよ」
 翔太は歩きながらそう言った。気付くと隣に行人はいなかった。翔太は振り返った。数歩後ろで、行人は立ち止まっていた。
「ユキさん? どうかしましたか?」
 翔太は声をかけた。行人は首を振った。
「何でもない」
 廊下の間接照明のせいか、行人の表情はよく見えなかった。

「んん……」
 部屋に戻ってカギをかけるなり、行人は翔太の唇にキスをした。翔太は一瞬驚いたが、抵抗せずに口を開いた。翔太は買ってもらったばかりのぬいぐるみを床に落とさないよう、注意深く抱え直した。
 行人が唇を離した。翔太の大好きな行人の瞳が、翔太をのぞき込んでいた。
「ショウちゃん、一緒にお風呂入ろうか」
「え……」
 翔太が答えに詰まっていると、行人は気をつかったのか翔太に尋ねた。
「お風呂は嫌? じゃあ、どうしたい? ショウちゃんのしたいようにしてあげる」
「ユキさん……」
 翔太は立ちふさがる行人の身体を避けて、机の上にぬいぐるみをそっと置いた。行人は冷蔵庫から水を取り出し、ぐびりと飲んだ。
「ごめんな。俺、重いよな」
 行人はペットボトルを持ったまま、バーカウンターに向かって言った。
「ユキさん」
「嫌になったら言ってくれ。そうでもないと、俺、止まらないから」
 翔太は振り返った。
「ユキさん!?
 恥ずかしくて、照れくさくて、行人の腕から逃げていた。だが、嫌になったことなど一度もない。翔太は――。
「嫌になんかなりません。だって、俺……」
 行人は手にしたペットボトルから目を上げない。翔太は行人のシャツの背中をキュッと握った。握った指が少し震えた。
「今日は俺、ユキさんにいっぱい抱かれたいです。支度、しますから、待っててください。済んだら呼びますから」
 恥ずかしくて恥ずかしくて、でも翔太はがんばってこれだけ言った。行人は翔太のそう言った声も震えているのに気付いたか、ようやく振り返って翔太の腰に腕を回した。翔太は行人の頬に軽く唇を触れ、風呂場に入った。
(恥ずかしい……。でも俺、ちゃんとできた?)
 行人の望むことをしてやれただろうか。行人を悦ばせることを。
 バスタブに湯を張りながら、翔太は身を清めた。


 翔太は風呂場から顔だけ出して行人を呼んだ。
「ユキさん……来て」
「んー」
 行人は翔太をバスタブに浸からせて、翔太の髪をシャンプーした。ふんふんと鼻歌を歌いながら、嬉しそうに翔太のお世話をする。翔太はくすぐったい気持ちで、行人のしたいようにさせていた。行人の指が心地よかった。
「ショウちゃん」
「何ですか?」
「俺ね、ショウちゃんのこと、大好き」
 翔太の肩がぴくりと震えた。
「感じる? バスルームでこんなこと言われて」
 行人は笑いを含んだ声で言った。
「ユキさん……」
「でも、ホントだから」
 行人はシャワーの水栓を捻って、翔太の髪の泡を流した。
「って、知ってるか。俺、これまで何度も言ったもんな。さ、いいかな」
 行人はシャワーを止めてタオルで翔太の髪を軽く拭いた。
「ユキさん」
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