第5話 「僕、明日ブラとスカート付けるんだ」~俺が妹になるってめちゃ難しい~ 

文字数 4,539文字

 去年のゴールデンウィークにも乗った田柄さんの白のプジョー三〇八は、夕闇迫る中、田柄さんと俺を乗せて轟音と共に鎌倉の街を抜け、材木座から百三十四号線へ抜けていく。
 もう一ヶ月近く屋敷に閉じ込められていた俺にとってはもう嬉しくて楽しくてたまらない。海に浮かぶ漁船の灯、海辺を走る百三十四号線沿いの店やラブホのネオンが、まるで宝石の様な輝きで俺の目に飛び込んでくる。
 ラジオから入ってくる湘南ビーチFMのDJの声と流行の音楽。もう俺は久しぶりの外出で助手席で有頂天になって一人で灯りや景色が綺麗だの、曲に合わせて半分女声になった声で唄ったり。
「もう、お前さー、調子狂うじゃんか。元々は無口な方だったろ?」
 江ノ島の灯台の明かりを見て、助手席で一人飛び跳ねて歓声あげた俺に田柄さんが笑いながら言う。だってさ、なんだか知らないけど、体がこういう風に反応するんだもん。
「なんか腹減ったな…メシ食ったんだっけ?」
「あ、うん…。でもさ」
「最近出来た美味いハンバーグ屋有るんだけどさ」
「え、ハンバーグ?ハンバーグ!?」
 田柄さんの方を見ながら助手席でお尻を浮かせて飛び跳ねる俺。ひ、久しぶりに、肉が食える!夕食食べたはずなのに俺のお腹はたちまち減ってきた。
「なんだよ…ハンバーグ位でさ…」
「だって、俺この一ヶ月肉なんてろくに食べてないもん。せいぜい朝食のベーコン位でさ」
「普段何食ってるんだよ…」
「え、野菜とかー、大豆とかー、乳製品。夜はお魚。ねえ、全部俺が水村さんから教えてもらいながら作るんだよ」
 なんだかうきうきしながら話す俺。なんか、普段の俺の人格はまるで消えてて、別人になった感じ。
「じゃ行くか」
「オッケー!レッツゴー!」
「…お前さ、頭に虫沸いてる?なんかその、お前本当に女みたいになってきて…」
「いいのいいの!」

 その店に入る時、やはり俺は緊張した。田柄さんにエスコートされ待合所の椅子に座る俺。カップル数組以外になんかちょっとけばそうな女性の四人のグループ。その彼女達がしきりに俺達の方に目線を送っているのがわかる。
 俺は別に気にしないでおこうとしたけど、彼女達のひそひそ話につい耳が傾いてしまう。
「ねえ、あの子男?女?」
「えー?男でしょ?ブラ付いてないし」
「だって着てるの全部女物だよ?」
「横の彼氏、いいよね?」
「…ホモ?」
「…なのかな…」
 もう、うっとうしい!どっちだっていいじゃんそんな事!
 やがて席に通され、田柄さんお任せのメニューが運ばれてくる。わあすごい!久しぶり!肉とナツメグの香り!
「いっただっきまーす!」
 普段食事前にそんな事言った事無いのに、どういう訳かそんな言葉が口に出てしまう俺。と一口食べた後、なんだか違和感を感じる俺。
(美味しいんだけど、なんだか、脂っこい…)
 ちゃんとした脂分の少ないハンバーグなのに…、毎日淡白な物ばっかり食べてるせい?
「美味しいだろ?」
 テーブルの前の田柄さんの声に、
「うん、すっごく美味しい」
 と笑顔で答える俺だった。
「あ、ちょっとトイレ」
 俺は席を立つと、喧騒の中トイレに向かう。と、その入り口でさっきの女性四人組の一人とばったり出会ってしまう。その女性は俺を見ると、左右を見渡し、一歩俺に近づいてきた。
「ね、ね、ね、君さ、こんな事聞くのすっごく失礼なんだけどさ、君、男の子だよね?」
 もう、全く…!
「あの、はい、そうです」
 実はもうお腹にあんた達と同じ物が移植されてんだけど…
「やったー!勝った勝った!」
 小躍りして飛び跳ねる彼女。賭けでもやってたんだろか。
「横の男の人は、ひょっとして、彼氏なの?」
「お友達ですっ」
「なーんだ…」
(女ってひでーな、ったく)
 彼女の横をすり抜け、男子トイレに行こうとした時、
「ね、ね、ね、君…」
 俺が振り向くと、持っていたハンドバッグから何やらカードみたいなのを取り出して、冷たい手で俺の手に握らせる彼女。
「君さ、すっごく可愛いからさ、目元なんてまるで女の子じゃん。あたし美容院やってっからさ、是非来てね。あ、君の彼氏にも、是非、ね!」
 そう言うと彼女は俺に小さく手を振り、足早に去っていった。
 もらった券をひらひらさせながら席に戻る俺。
「こんなの貰った。さっきの女の一人に」
「なんだそれ?」
「美容室の割引券…」
 突然大笑いする田柄さん。
「いやあ!得だな、女の子は」
「女じゃねーよ!ほら田柄さんにも来てくれだってさ!この近くらしいからさ!」
 そう言いつつ、彼の胸ポケットにぐいぐいそれを押し込む俺。なんだろう、このちょっと悔しい気分。
 とその時、
「レディースサービスです」
 俺の席の横に来て、盆に乗せた小さなアイスクリームサンデーを目の前に置くウェイトレスさん。
「あ、あの、こいつ、男なんです」
「あ、まあ、あの、失礼致しました…」
 ウェイトレスさんは口に軽く当て、申し訳ないという表情。しかし、
「あの、良かったらどうぞ。なんかすごく可愛い方なので」
 そう言って立ち去っていくウェイトレスさんを見ながらため息をつく田柄さん。
「あ、あのさ、俺って、その、可愛い?」
「鏡みてこいよ。俺はノーコメ」
 俺は何だかすごく嬉しくて楽しい気分になり、こんなのくれたんだからと、テーブルの横にある店のアンケート用紙に何やら書き込んで、そして田柄さんに見せた。
「どう?これ?」
 なんだかいぶかしげにそれを手に取った田柄さんが、ちょっと眉をかしげる。そこに記載された住所と名前とメアドは。
「…京極杏奈、お前これ杏奈の字じゃんか」
「へっへー、俺毎日練習したんだよ、杏奈の筆跡とかサインとか。イラストまで覚えたんだからね」
 無意識に頬杖をつき、そして田柄さんに笑顔を送る俺。そして、会計で支払いをしている田柄さんを店の表で待つ俺。何だか、すごく満ち足りた気分。

 時刻はもう夜の九時頃だろうか。
「なんだかとっても波の音が聞きたくなった」
 という俺の希望を聞き入れてくれた田柄さんは更に車を西へ走らた。西湘バイパスの終点近くの酒匂川の河口に車を止めた俺達は、暗闇の月明かりの中波の音を聞きながら砂浜に腰を降ろし、時折海に向かって石を投げたりしていた。
「田柄さん」
 最初に口を開いたのは俺だった。
「俺さ、こうして男でいられるのは今夜が最後なんだ」
 ちょっとため息ついて俺は続ける。
「明日からさ、俺ブラ付けさせられて、スカート履かされるんだ…」
「そりゃ、ご苦労なこって」
 そう言って石を海に投げて田柄さんが続ける。
「あれ、結構めんどいらしいなあ、ブラは暑いし締め付けるらしいし、スカートは気が抜けない、行動制限されるって、以前杏奈が愚痴ってた」
「そうなの?俺まだそんなの付けたり履いたりしたこと無いからわかんないけど…」
 暫く二人沈黙の後、突然俺に問いかける田柄さん。
「なあ、お前さあ」
 と、すかさず切り返す俺。
「田柄さんさ、さっきから俺の事お前って言ってるよね」
「あ、嫌だったか?」
「ううん、別に。只さ、以前の関係とはちょっと違って来たかなって」
「お前こそ、今日いつもと全然態度ちがうじゃん。ほんと女みたいになっててさ」
「え?不快だった?」
「いいんだそんな事」
 そう言って彼は、手元の貝殻を手に取り、ポンと海の中へ投げ入れた。
「お前さ、本当に女になっちまうのか?しかも杏奈ちゃんにさ」
 俺も真似して貝殻を投げ、そして口を開く。
「そんな、感じだね」
「嫌じゃないのか?その、女になるって事がさ」
 俺の方を向いて喋る田柄さんだけど、なんだか俺恥ずかしくなって顔は向けなかった。
「運命だと、思ってる。だってさ、もう俺の体には女の一部が入ってるし…」
「それもすげーよな…聞いた事ねーし」
 俺も同感だった。本当に俺って今半分女なのか時々疑いたくなるけど、最近の体の変化と、そして今日の俺絶対何かおかしい。いつもとテンション違う所見ると…。
「でもさ、女って楽しいって聞いてるし」
「誰から?」
「柴崎さん」
「あの自爆霊か?」
 ため息を付いた後、田柄さんが今度は思いっきり石を投げた。
「お前さ、理屈が通らない、なんで嫌われてるかわかんない、朝令暮改なんて日常茶飯事な女の世界に、そんなに行きたいわけ?杏奈だってそれで一時潰れたんだぞ」
「だーかーら!行きたいと思って行く訳じゃないもん!」
 以前の俺なら相手の顔をみてしっかり言うけど、どういう訳か今日の俺は口を尖らせ、頬を膨らませて田柄さんからぷいっと顔をそむけてしまった。
「力が無くなるんだぞ、早く走れなくなるんだぞ」
「…いいもん」
「杏奈も大変だったんだぞ。毎朝早く起きて、身支度して、メイクが合わないとか、髪まとまらないとかぐちぐち言いながらさ」
「…そのうち慣れるからいいもん」
「お前さ、男に抱かれる自分想像した事有るのか?」
 田柄さんのその言葉にはさすがに俺は黙った。
「写真とかAVとか観た事あるだろ。あっち側になるんだぞ。する方からされる方にさ。入れる側から入れられる側になるんだぜ」
 そんな事今まで考えた事ないし、考えようともしなかった。
「その膨らみかけの胸とかさ、男にもてあそばれてさ、可愛い悶え声とか…」
「やめてよ!」
 俺は手に持った小石を田柄さんの足元に向かって投げつけて続ける。
「そういう事はしないっていう選択も有りでしょ?」
 俺の言葉に彼は笑って続けた。
「たださ、そんな格好になってさ、そろそろ俺って言うのやめにしたら?せいぜい僕って言っといた方がいいよ」
 只黙ってるだけの俺に、田柄さんからとどめの言葉が出る。
「悪いけどさ、かなり前からお前見てる俺としてはさ、ブラジャー付けてスカート履いてるお前見るのは多分辛いと思う。暫く会う事なんてなさそうだな」
「だよね…」
 俺、いや僕か…。僕達が浜辺を後にしたのは夜遅くだった。
 
 体が重い、動かない、誰だよ僕の上に!ふと目が覚めた僕の上に誰かがいる。お、お前!
「兄貴!田柄さんとデートしたでしょ!」
 俺の胸元にのしかかってるのは、あの高校の制服姿の、杏奈!?
「なんでキス位してくれなかったのよ!どうして!どうして田柄さんとあんな風になっちゃったのよ!もう暫く会わないって!何よそれ!!」
 そう言って僕の首を冷たい手でぎゅーっと締める杏奈。
「まて!杏奈やめろ!」
「兄貴のバカー!バカー!」
 泣きじゃくる杏奈の声と姿はすーっとフェードアウトし、それは水村さんが俺を起こしに来る声に変わっていく。
「杏奈さま、どうなされました!?」
「今、杏奈がそこに…」
「もう、また杏奈さんの幽霊ですかぁ?あたしはそんなの信じませんけどぉ」
 部屋のカーテンを開け、窓を開けながら水村さんが呆れた様に言った後続ける。
「さあ、今日は杏奈さまにとって大事な日ですから、食事はあたしが作りますから、朝ですけどお風呂に入ってくださーい。昨日そのまま寝ちゃったでしょ」
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