美鈴(ベル)の完璧な世界㉗
文字数 3,313文字
そのとき。
もしそのときにだよ? 誰かが何かをしなくっちゃいけないとき。それをしなかったら大変なことになってしまうとき。それをできるのが自分一人しかいなかったとしたらどうする? しかも自分にちゃんとそれができるかわからないんだよ。自分にやりとげられるかわからないけれど、たまたまそこにいて、動けるのが自分だけってだけで。
それでもそれをする、しなきゃいけないっていうのが正しい答えだよね。でも、それは本当にできると思う? できない人もいると思う。っていうか、できないのが普通だよ。どうしたらいいか分からないもん。やりとげる自信もない。そんなどう見たって自分にはできそうにないことを「やれ」って言われるんだよ。そうなったらどうすればいいの? できないよ。
それとは逆に、やらないほうがいいってときもあるよね。何かをしたいって思っても、自分にストップをかけなきゃいけないとき。やりたくても、自分の力が足りなくてできそうになかったり、それをすることを誰にも望まれていなかったり、危なかったりするとき。そういうときはやりたくても、やらなくちゃいけなくても、できないし、やらないほうがいい。
あのときはね、その中間……ううん、両方かな? そうだね、両方だって気がする。教室が一瞬で滅茶苦茶になって、みどりさんとベルさんが睨み合いになって。その時わたしには「あ、この滅茶苦茶はみどりさんがやったんだ」ってわかった。今までにあったことが全部繋がって、パズルが組み上がるみたいにわかった。ベルさんもそれに気付いてすごく怒っているってこともわかった。わたしは「まずい」って思った。このままだとすごく良くないことが起こるって。もしかしたらみどりさんはベルさんのことをこの教室みたいにひっくり返して、取り返しのつかないことになるんじゃないかって。その次の瞬間、みどりさんはベルさんに掴みかかった。周りにうずくまっている子たちを蹴り飛ばすようにして。それでわたしも――。
あのね。格好つけて言っているわけじゃないよ。これは本当にそう思ったの。
わたしはベルさんに傷ついてほしくなかった。
そしてみどりさんにベルさんを傷付けてほしくなかった。
どっちにも取り返しのつかないことが起こってほしくなかった。
だから止めなきゃいけないって思った。こんなのはやめさせなきゃって。そして今そのために動けるのはわたしだけだっていうのもわかってた。
でもね。わたしはモブなの。サラちゃんの言う通りモブなんだよ。
わたしはみどりさんみたいに特別な子じゃない。ベルさんみたいに完璧な子じゃない。エリカちゃんみたいに堂々とした強い態度はとれないし、メイちゃんみたいに頭がいいわけじゃない。わたしには何にもない。何もないわたしに何かができるわけがない。わたしが二人の間に割り込んだって何も……!
けれどわたしはベルさんを突き飛ばし、みどりさんの前に立ってその腕をつかんだ。そのまま、みどりさんともみ合いになった。
頭で考えたんじゃなかった。とにかくやった。みどりさんの眼付きは怖かった。こっちを向いているのに見ていない感じ。頭の中が別のところに行っている感じ。わたしがやめなよ! って言っても通じない。聞こえていないのかもしれない。そう思ったら腹が立った。わたしはこんなに一生懸命なのに無視するわけ!? だから「馬鹿!」って叫んだ。みどりさんのことを「馬鹿!」だって。このモブのわたしが。でもそう言うしかないじゃない。みどりさん、あなたは馬鹿だよ。どんなにIQが高くて、すごい学校に行こうとしてても、こんなになっちゃったら、こんなことをしちゃったら馬鹿だよ……!
学校で誰かに馬鹿って言うのはこれがはじめてだった。でも言った。それからみどりさんの頬を平手打ちにした。学校で誰かを叩くのもこれがはじめてだった。今までやったことがないことでも、スイッチが入るとできちゃうんだって知った。
「やめなよ! 馬鹿!」って叫びながらわたしはみどりさんの頬を2回叩いた。そうしたらみどりさんの動きが止まった。みどりさんの視線がゆらっとして、頭の中がこっちに戻ってきそうな感じがした。わたしはみどりさんの肩を掴んで揺さぶった。「みどりさん!」こっちを見なよ! ゆらゆらするみどりさんの目を捕まえようと、わたしはもう1度みどりさんの頬を叩いた。これが正しかったかどうかはわからないけど。
そのときようやくみどりさんの目とわたしの目が合った気がした。
みどりさんの目がはっきりとこっちを見て、そうしたらみどりさんの顔がくしゃっとなって、そのままうわあって泣き出した。泣いて、自分の髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃとかきむしって、うずくまっておでこを床にぶつけようとした。わたしはそれを止めた。
大丈夫。こういうみどりさんなら、わたし、昔何度も相手をしたから。だからこういうときはどうすればいいかわかってる。みどりさんにみどりさん自身を傷付けさせないためにわたしができること、それはちゃんとある。わたしはそれを知っている。大丈夫。わたしは大丈夫。
わたしは暴れるみどりさんを押さえつけながら立たせた。「気持ちを落ち着かせる部屋に行こう」って、教室の外にみどりさんを引っ張って行った。アワアワしているサラちゃんに「ベルさんのことはお願い!」って言って。「ら、ら、ら、らじゃ!」とサラちゃんがなんとか応えてくれたのを確認して。とにかく今はみどりさんをここにいさせちゃダメだ。あと、「みどりさんのことをちゃんとわかっている」大人の助けが必要だ。
「なんじゃあこりゃあ!」
みどりさんを抱えて教室から出ようとしたところで、良く知った顔に会った。マサト君とジン君。となりのクラスのお人よしとお調子者のコンビ。わたしたちを見て、当たり前だけれどすごくびっくりしている。マサト君もジン君も去年はわたしたちと同じクラスだった。悪い子たちじゃない、むしろいい子たち……だからこっちの騒ぎに気付いて、心配になって様子を見に来たんだ。ううん、この二人だけじゃない。いろんな子たちが自分の教室から出てきてこっちをうかがっていた。「え? さっきの音、何?」「誰かケンカしていなかった?」「アサヒさんとみどりさんがケガしてる? 大丈夫?」って。滅茶苦茶なことがいろいろ次々と起こって、すごく長い時間が経ったように思ったけれど、全部ほんの短い間の出来事だったんだ。
「アサヒもみどりも、おまえらなんでそんな血まみれ……みどりが鼻血を出したのか……っていうか、ついさっきそっちの教室ですげえ音がしただろ、言い合いも……なにがあったんだよ?」
「うわっ……なんだよ、なんだよこれ、やべえ、教室やべえ……おれ、先生を呼んでくる……!!」
教室の状況を見て先生を呼んでくると言ってくれたマサト君とジン君に「お願い!」と返事をして、わたしはみどりさんを連れて「気持ちを落ち着かせる部屋」に向かった。「気持ちを落ち着かせる部屋」はわたしたちの教室と同じ階のすみっこにある資料室だ。その一角をパーテーションで区切って、そこに椅子だけを置いて、今のみどりさんみたいに「ワーッ」ってなっちゃった子が、気持ちが落ち着くまでそこにいていいことになっている。クールダウンルームとも言うんだって。みどりさんだけじゃなくて、今のわたしにもそういう場所が必要なのかもしれない。頑張って動いているけれどわたしも本当は泣きたい。ワーッて泣きたい。でも泣かない。今は泣かないよ。
わたしはみどりさんを椅子に座らせて、「とりあえず鼻血をとめようね」って、しゃくりあげ続けているみどりさんの鼻をぎゅっとつまんだ。
鼻を触ったらみどりさんはいつかみたいにまた怒るかな? って思ってちょっと怖くなったけれど、やった。みどりさんは今回は何も言わずにされるがままになっていた。
静かな部屋の外から、あわただしい雰囲気が伝わってきた。先生やみんなが教室に集まってきたんだと思う。先生たちが何かを指示したり制止したりする声に、休み時間の終わりを知らせるチャイムがかぶさって聞こえてきた。
――ああ、なんて。なんて長い中休みだったんだろう。
もしそのときにだよ? 誰かが何かをしなくっちゃいけないとき。それをしなかったら大変なことになってしまうとき。それをできるのが自分一人しかいなかったとしたらどうする? しかも自分にちゃんとそれができるかわからないんだよ。自分にやりとげられるかわからないけれど、たまたまそこにいて、動けるのが自分だけってだけで。
それでもそれをする、しなきゃいけないっていうのが正しい答えだよね。でも、それは本当にできると思う? できない人もいると思う。っていうか、できないのが普通だよ。どうしたらいいか分からないもん。やりとげる自信もない。そんなどう見たって自分にはできそうにないことを「やれ」って言われるんだよ。そうなったらどうすればいいの? できないよ。
それとは逆に、やらないほうがいいってときもあるよね。何かをしたいって思っても、自分にストップをかけなきゃいけないとき。やりたくても、自分の力が足りなくてできそうになかったり、それをすることを誰にも望まれていなかったり、危なかったりするとき。そういうときはやりたくても、やらなくちゃいけなくても、できないし、やらないほうがいい。
あのときはね、その中間……ううん、両方かな? そうだね、両方だって気がする。教室が一瞬で滅茶苦茶になって、みどりさんとベルさんが睨み合いになって。その時わたしには「あ、この滅茶苦茶はみどりさんがやったんだ」ってわかった。今までにあったことが全部繋がって、パズルが組み上がるみたいにわかった。ベルさんもそれに気付いてすごく怒っているってこともわかった。わたしは「まずい」って思った。このままだとすごく良くないことが起こるって。もしかしたらみどりさんはベルさんのことをこの教室みたいにひっくり返して、取り返しのつかないことになるんじゃないかって。その次の瞬間、みどりさんはベルさんに掴みかかった。周りにうずくまっている子たちを蹴り飛ばすようにして。それでわたしも――。
あのね。格好つけて言っているわけじゃないよ。これは本当にそう思ったの。
わたしはベルさんに傷ついてほしくなかった。
そしてみどりさんにベルさんを傷付けてほしくなかった。
どっちにも取り返しのつかないことが起こってほしくなかった。
だから止めなきゃいけないって思った。こんなのはやめさせなきゃって。そして今そのために動けるのはわたしだけだっていうのもわかってた。
でもね。わたしはモブなの。サラちゃんの言う通りモブなんだよ。
わたしはみどりさんみたいに特別な子じゃない。ベルさんみたいに完璧な子じゃない。エリカちゃんみたいに堂々とした強い態度はとれないし、メイちゃんみたいに頭がいいわけじゃない。わたしには何にもない。何もないわたしに何かができるわけがない。わたしが二人の間に割り込んだって何も……!
けれどわたしはベルさんを突き飛ばし、みどりさんの前に立ってその腕をつかんだ。そのまま、みどりさんともみ合いになった。
頭で考えたんじゃなかった。とにかくやった。みどりさんの眼付きは怖かった。こっちを向いているのに見ていない感じ。頭の中が別のところに行っている感じ。わたしがやめなよ! って言っても通じない。聞こえていないのかもしれない。そう思ったら腹が立った。わたしはこんなに一生懸命なのに無視するわけ!? だから「馬鹿!」って叫んだ。みどりさんのことを「馬鹿!」だって。このモブのわたしが。でもそう言うしかないじゃない。みどりさん、あなたは馬鹿だよ。どんなにIQが高くて、すごい学校に行こうとしてても、こんなになっちゃったら、こんなことをしちゃったら馬鹿だよ……!
学校で誰かに馬鹿って言うのはこれがはじめてだった。でも言った。それからみどりさんの頬を平手打ちにした。学校で誰かを叩くのもこれがはじめてだった。今までやったことがないことでも、スイッチが入るとできちゃうんだって知った。
「やめなよ! 馬鹿!」って叫びながらわたしはみどりさんの頬を2回叩いた。そうしたらみどりさんの動きが止まった。みどりさんの視線がゆらっとして、頭の中がこっちに戻ってきそうな感じがした。わたしはみどりさんの肩を掴んで揺さぶった。「みどりさん!」こっちを見なよ! ゆらゆらするみどりさんの目を捕まえようと、わたしはもう1度みどりさんの頬を叩いた。これが正しかったかどうかはわからないけど。
そのときようやくみどりさんの目とわたしの目が合った気がした。
みどりさんの目がはっきりとこっちを見て、そうしたらみどりさんの顔がくしゃっとなって、そのままうわあって泣き出した。泣いて、自分の髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃとかきむしって、うずくまっておでこを床にぶつけようとした。わたしはそれを止めた。
大丈夫。こういうみどりさんなら、わたし、昔何度も相手をしたから。だからこういうときはどうすればいいかわかってる。みどりさんにみどりさん自身を傷付けさせないためにわたしができること、それはちゃんとある。わたしはそれを知っている。大丈夫。わたしは大丈夫。
わたしは暴れるみどりさんを押さえつけながら立たせた。「気持ちを落ち着かせる部屋に行こう」って、教室の外にみどりさんを引っ張って行った。アワアワしているサラちゃんに「ベルさんのことはお願い!」って言って。「ら、ら、ら、らじゃ!」とサラちゃんがなんとか応えてくれたのを確認して。とにかく今はみどりさんをここにいさせちゃダメだ。あと、「みどりさんのことをちゃんとわかっている」大人の助けが必要だ。
「なんじゃあこりゃあ!」
みどりさんを抱えて教室から出ようとしたところで、良く知った顔に会った。マサト君とジン君。となりのクラスのお人よしとお調子者のコンビ。わたしたちを見て、当たり前だけれどすごくびっくりしている。マサト君もジン君も去年はわたしたちと同じクラスだった。悪い子たちじゃない、むしろいい子たち……だからこっちの騒ぎに気付いて、心配になって様子を見に来たんだ。ううん、この二人だけじゃない。いろんな子たちが自分の教室から出てきてこっちをうかがっていた。「え? さっきの音、何?」「誰かケンカしていなかった?」「アサヒさんとみどりさんがケガしてる? 大丈夫?」って。滅茶苦茶なことがいろいろ次々と起こって、すごく長い時間が経ったように思ったけれど、全部ほんの短い間の出来事だったんだ。
「アサヒもみどりも、おまえらなんでそんな血まみれ……みどりが鼻血を出したのか……っていうか、ついさっきそっちの教室ですげえ音がしただろ、言い合いも……なにがあったんだよ?」
「うわっ……なんだよ、なんだよこれ、やべえ、教室やべえ……おれ、先生を呼んでくる……!!」
教室の状況を見て先生を呼んでくると言ってくれたマサト君とジン君に「お願い!」と返事をして、わたしはみどりさんを連れて「気持ちを落ち着かせる部屋」に向かった。「気持ちを落ち着かせる部屋」はわたしたちの教室と同じ階のすみっこにある資料室だ。その一角をパーテーションで区切って、そこに椅子だけを置いて、今のみどりさんみたいに「ワーッ」ってなっちゃった子が、気持ちが落ち着くまでそこにいていいことになっている。クールダウンルームとも言うんだって。みどりさんだけじゃなくて、今のわたしにもそういう場所が必要なのかもしれない。頑張って動いているけれどわたしも本当は泣きたい。ワーッて泣きたい。でも泣かない。今は泣かないよ。
わたしはみどりさんを椅子に座らせて、「とりあえず鼻血をとめようね」って、しゃくりあげ続けているみどりさんの鼻をぎゅっとつまんだ。
鼻を触ったらみどりさんはいつかみたいにまた怒るかな? って思ってちょっと怖くなったけれど、やった。みどりさんは今回は何も言わずにされるがままになっていた。
静かな部屋の外から、あわただしい雰囲気が伝わってきた。先生やみんなが教室に集まってきたんだと思う。先生たちが何かを指示したり制止したりする声に、休み時間の終わりを知らせるチャイムがかぶさって聞こえてきた。
――ああ、なんて。なんて長い中休みだったんだろう。