1-3 元勇者、大惨事

文字数 3,824文字



  †


 自分の朝餉など最早どうでもよい。
 それよりも、この子たちの食事をどうにかせねばならぬ。

 元勇者リオンは、そう心に決めた。
 ……と勇ましい決意の如くキリッとした顔をしてみたところで、誰からも反応があるわけではない。

 赤ちゃんズをベッドに乗せて、リオンは台所へと向かった。
 と、言ってもドアすらない隣の部屋である。

 パチッと指を鳴らすと、それだけでカマドに火が入った。
 初級の【火魔術】の応用だ。狙った場所に集束するように魔力を飛ばしただけのことである。

「さて、赤ちゃんのご飯だが――なに、難しいことを考える必要はないんだよ。やったことが無いから困ってしまったが、よくよく考えて見れば何ということも無い。ミルクを与えれば良いだけだよ」

 そして――リオンはカマドに鍋を乗せて【無限収納】から一本の瓶を取り出した。豪勢な装飾の施されたそれには、真っ白な液体で満たされている。

 それ自体が魔道具(マジックギア)である瓶には見た目の容量を超えて中身が入っている。彼はそれを鍋に並々と注いだ。

勇者者時代に攻略した妖精迷宮で得た、【伝説級】アイテム。
その名も妖精霊乳(フェアリーズ・ミルク)

一部の妖精は神隠しとして子どもや赤ん坊を自分たちの世界に連れていくことがある。妖精迷宮はその一つなのだが、そこで妖精たちが赤ん坊に与える特殊なミルクである。

もちろん栄養満点で、飲用することによって耐病・耐毒・耐呪能力が格段に上がる。疲労回復・滋養強壮、魔力回復に魔術親和性向上と様々な恩恵もある。
【神話級】アイテム神聖霊薬(エリクサー)の材料の一つともいわれる、超希少食材である。

 得体の知れない赤ちゃんに勿体ないと思える程のものだ。
 出すところに出せば、この鍋一杯分で宮殿丸ごと買えるくらいの価格で取引される価格が付く。

「だけど赤ちゃんって、ヘタに色々与えちゃ駄目なんだよな。……妖精が連れてきた赤ん坊に与えるミルクなら」

 リオンはうろ覚えの知識だったがそれで正解だった。
 生まれたばかりの乳児には、牛乳すら与えない方が良いといわれているのだ。彼が今持つアイテムの中で、赤ちゃんズに与えられそうなものは他には無かった。

「しかし……あの子たちは一体何者なんだ?」

 ベッドの上でもぞもぞとしている赤ちゃんズに目をやって、リオンは考えた。

 卵から赤ん坊が生まれるなんて聞いたこともの無い。
 そして卵と言うからには、卵を産んだ母親が存在するはずなのだ。
 だがどうして地面に埋まっていたのかがわからない。

「産んだ卵を地面に埋める、翼のある人型種族? そんなのいるのか?」

 人型種族は純人種だけでなく、猫人や鳥人犬人と言った獣人種、職人気質の矮躯族(ドワーフ)や自然と共に生きる森羅族(エルフ)など多種多様である。
 そして例外なく知性的な存在であり、子どもは親を始めとする周囲の大人たちによって育てられるのが普通だ。

「となると、埋めざるを得ない事情があった、ということか?」

 リオンの知らない、卵を産む人型有翼種族がいるのかも知れない。
 そして、例えば何か敵対的な存在――魔獣や、対立する種族との戦いがあって、危険を避けるために生まれたての卵を埋めた、とか。

「いくらなんでも強引過ぎる仮説だな。止めよう、仮定に仮定を重ねても意味が無いし、それに情報が少なすぎる」

 頭を振って、思考を切り替えて鍋の方を見る。

 ミルクが鍋の中で、ボコボコと音を立てて煮立っていた。

「……オゥ」

 どう見ても赤ん坊に与えて良い温度ではない。
 確か適温は人肌程度。

「だが、人肌ってどれくらいの温度だ? どうやって冷ませばいい? いや、そもそもどうやって飲ませれば良いんだ?」

 この時童貞男(リオン)は生まれて初めて、女性に乳房という箇所が存在する理由に思い至った。赤ちゃんに授乳するためである。女性の皆さま、今まで揉みたい、とか思って真に申し訳ございません。

 それと併せて、先ほど赤ちゃんズがリオンの男っぱいを吸っていたことを考えると、導き出せる答えは一つ――

「……こうだ!」

 匙ですくったミルクを、自分の乳首にひと垂らし。

「あつぅい!!?」

 リオンは飛び跳ねた。当然の結果である。
 そして手が鍋にぶつかった。

 ひっくり返って宙を舞う鍋。
 ぶちまけられる熱々のミルク。
 それを浴びるリオン。

「あっつぁぁぁあああんぎゃああああッッ!?」
 
 転げ回るリオン。
 台所のそこかしこにぶつかって、棚が壊れた。
 皿や壺が床に落ちて割れ、けたたましい音が鳴る。壺に入っていた保存食やソース類、小麦粉などがぶちまけられて辺りに立ち込める。
 その一つがカマドの中に飛び込んだのだろう、ジュワァッと消火の音がして灰と、何かが焦げるようなにおいが広がった。

 そして床に落ちた中には、リオンが森の中で集めた各種香辛料の壺もあった。

 ぱっと広がる、粉状のスパイス。
 頭から被ったミルクで前も見えず、その中に突っ込んで行くリオン。

「――ぶえーーーっくしッッッ!!? な、なん……ぶっくしょん!! 目が、目がぁァ……ぅぅぁぁああっくしゅ!?」

 何かに躓いた。
 まともに前も見えないリオンは床に這いつくばる。

 ドスッ 

 と音がして涙を流しながらなんとか目を開けば、頬を掠める程近くに、大型ナイフが突き立っていた。硬い魔獣の肉を切るため、自重だけで骨すら断つ鋭さである。

「おわぁーーっあいたっ!?」

 驚いて全力で飛びのいて、背中を何かに強打する。
 テーブルの脚だった。
 咄嗟のことだったので、力加減を完全に間違えた。
 
 勇者の力でぶつかったテーブルの脚は一撃でへし折れた。
 テーブルが倒れ、横倒しになる。まともに片付けていなかったテーブルに乗せていたものが床へと落ちた。再び皿が割れる音が響く。

「ぐ、う、おぉぉぉ……目が痛ぇ……」

 涙と鼻水で汚れた顔を抑えながらもリオンは、何とか身体を起こした。
 
 ベッドの方を見やれば、赤ちゃん二人はキョトンとした顔でこちらを見ている。
 そして何を思ったのか、にこーっと笑った。
 満面の笑みだ。

「……そうか、面白かったか……それは良かった――ぁぁあぁぁ待って、待てぇぇぇぇ!?」

 なにを思ったのか、銀色の赤ちゃんがベッドの縁から、こちらに向かって手を伸ばした。自作のベッドに転落防止柵なんて無い。そのまま床に向かって落ちそうになり――

 リオンは全身の力を込めて床を蹴った。
 余りの威力に床に大穴が開いた。
 音すら置き去りにする、戦闘機動――全力で伸ばした手は、銀色の赤ちゃんが頭から床に叩きつけられる直前に掬い上げることに成功する。

 だがほっとする束の間すら無い。
 音を置き去りにする移動速度。二歩目を踏み出す脚、というか脛がベッドを蹴り砕く。

「……ふんっぎ!?」

 その勢いで毛布と、金色の赤ちゃんが放り出された。

 脛を全力でぶつけた痛みが全身を駆け巡るのを理性の力で無視。
 銀色の赤ちゃんを抱え込む左腕。
 そして伸ばした右手で毛布ごと金色の赤ちゃんを抱えたリオンは、背中からベッド横の壁へと激突した。

 大きく凹む壁――そして、音すら置き去りにしたリオンの機動によって発生した衝撃波(ソニックブーム)が一瞬遅れて室内全体を打った。

 その結果が。

 ドゴドゴォォン!! と轟音が二度響き、壁一面が砕け散る、という事態である。

 壁をぶち抜き勢い余って地面を転がり、耕したばかりの畑まで到達してようやく身を起こしたリオンは、見た。

 そして絶句した。

 壁が一面、無くなって中が丸見えになっている。
 部屋の中はまるで局地的な嵐が発生したかのようにものが散乱しホコリが渦を巻いていた。棚が崩壊しテーブルは足が折れ、ベッドは粉砕されて薪予備軍と化した。

 自分自身、熱々のミルクを頭から被って転げ回ったお陰で、草やら土やら香辛料やらで塗れている。

「…………」

 目が覚めて、僅か三十分足らずの間に起きた出来事だった。

 呆然と大惨事のあとを眺めていた赤ちゃんズとリオンだったが、赤ちゃんたちは再びキャッキャと笑い出した。

「……君たち、一体何がそんなに楽しいんだい? お兄ちゃんに教えてくれないかな。俺はもう泣きそうだよ……」

「あー、ばー」
「ぶぅー、きゃァー」

 問うたところで赤子が答えてくれる筈も無く。
半壊した我が家を前に勇者リオンは途方に暮れ――



「――クシュッ」



 銀色の赤ちゃんが、くしゃみをした。

「えっ? あれっ!? あっ、服!?」

 毛布に包まっている金色の方も、そして左に抱える銀色の赤ちゃんも、どちらも服を着ていない。当然だ、二人は今朝、卵から産まれたばかりなのだから。

 服どころか、オムツすら存在しない。
 そしてこれだけ大騒ぎして、ミルクの準備はできていない。
 むしろ家が半壊して、ミルクどころの騒ぎではない。

 むなしい風が吹く。

「……ど、どうしよう」

 壊神すら討伐してのけた男は、再び途方に暮れた。

 

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