2.メイド・イン・シンガポール

文字数 1,851文字

でも、マレーシアのほうが美味しいよ

ホーカーで、カレー風味にココナッツミルクのまろやかさが癖になる“ラクサ”を食べていると、誰かがそう言う。シンガポール人たちは特別反論せず、そのまま麺を啜る。私は小魚の出汁で白いスープの“パンミー(板面)”が大好物で、ラクサを極めている訳ではないのですが、シンガポールにはシンガポールの良さが有ると思うけどなあ、なんて無言で咀嚼する。パンミーだって、マレーシア料理じゃない!シンガポール人のマレーシアに対する感情とは、なかなかに複雑なようです。

シンガポールは1965年にマレーシアから独立しました。共に植民地主義からの解放を闘ってきたのに、戦後マレー人と華人の対立が深まり、分裂してしまったのでした。マレー人が人口の多数を占めるマレーシアでは、ブミプトラ政策(マレー人優先政策)が、華人人口の多いシンガポールは、国別に移民の受け入れをコントロールしています。だから、シンガポール文化というと、やはり兄貴分(?)のマレーシア由来のものだ、という気持ちがなんとなくあるようです。

※因みにマレーとチャイニーズが融合した文化は“プラカナン文化(ババ・ニョニャ文化)とも呼ばれ、料理・工芸・建築などに繊細でいて奔放な南国の花を思わせるような風雅を添えています。可愛らしいローカルのお菓子やビーズ細工、ショップハウスの化粧漆喰など、独特の色使いとデザインが魅力的。

マラッカ海峡という海運の要所にあるとはいえ、国土が小さいシンガポールが産業を育成することは容易ではありません。自給できるのは卵だけと言われ、上水はマレーシアから引いています。国際都市としていろいろな国の料理が味わえますが、ではシンガポール独自の、シンガポールだけのユニークな食べ物があるかと言えば、あまり自信が無い。海南鶏飯(海南チキンライス)は何と言ってもシンガポールで一番知られた料理ですが、もともと中国の海南地方から伝わったものです。でも考えてみると、ムスリム(豚肉を食べない)もヒンズー教徒(牛肉を食べない)も食べられる鶏肉料理で、しかもお国を問わず皆大好きな生姜とニンニクが味のベースとなっているのだから、なるべくしてシンガポールの代表料理なのかもしれません。偉大なり海南鶏飯。

シーフードもシンガポールの人気食材です。(イスラムでは軟体類や甲殻類を食べてはいけないという考え方もあるようです。)フィッシュヘッドカレーもなかなかのコラボレーションですが、だがしかし、皆で齧り付くチリクラブ−特にカニの旨味に溢れたたっぷりの餡(タレ)を、揚げマントウでちまちま掬いながら食べることに、私は若干常軌を逸した情熱を持っております(すみません、大好きです)。いろいろな言葉を話す家族が、会社の仲間が、お年寄りから子供まで、賑やかにテーブルを囲んで大皿のカニに舌鼓を打つ様子は、湿潤な夜風と柔らかなイルミネーションの中で、確実にシンガポールの風景になっていると思います。

肉骨茶(バクテー)は朝食に好んで食べられます。朝からお肉?と思ってしまいますが、薬膳で煮込んだお肉は柔らかくて臭みも無く、あっさりしています。植民地時代、港の重労働に従事していた苦力(クーリー、中国から渡ってきた労働者)たちが好んで食べていたものだそうです。シンガポールの歴史と関わりがあると言えば、海に映る夕日のように美しいカクテル“シンガポール・スリング“。1899年に建設されたシンガポール最高級のホテル、ラッフルズ・ホテルのバーテンダーたちが伝えてきたレシピで、私はお酒が飲めないのですが、コロニアル様式の白亜の回廊と、熱帯の木々で彩られたホテル中庭のオープンバーを訪れれば、まるで時が浮遊しているような感覚が味わえます。百年前の人々のさざめきが、揺れる木漏れ日に、白壁の反響に、聞こえてくるようです。

シンガポールにも地ビールが有ります。友人に誘われてタイガービールの工場へ見学に行った時のこと。ビールの原材料はモルツとホップと水で、美味しいビールは良い水から、という言われようを鵜呑みにする下戸は、拙い英語で見学ガイドさんに尋ねたのでした。水は、やっぱりマレーシアから買っているんですか。いえ、雨水を使用しています。……雨水!そりゃもうシンガポールもマレーシアも関係無いですよねえ、大気は世界を巡っているのだし。勿論、熱帯気候で降水量の多いシンガポールだから可能なのでしょうが、シンガポールの味は、まさに天と海の恵み、人の豊かさなのでした。
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