第53話 見事な手際

文字数 581文字

 そして海からの風が周囲の煙を吹き流した時。
 ケインと相棒のラルフの姿は消えていた。後にはフローレスの街で雇われた連中だけが残されていたが、抜け目ないあの男のことだ、計画の詳細など洩らしていはないだろう。証拠は何ひとつ残るまい。
 敵ながら見事な手際だ。阿梨と勇駿は眼を合わせ、苦く笑った。
 ひとまずは終わったのだ。
 アディーナ姫の指輪はちゃんと阿梨の手にある。子供たちも無事だ。相手は逃がしたが、謀略は阻止できた。
「阿梨、腕……!」
 勇駿は阿梨の右腕の傷に気づき、急いで布でしばって止血を施した。とりあえずの処置だ。
 阿梨はわずかに顔を歪めたが、声ひとつ上げずに痛みをこらえる。
「母さまあ!」
 梨華と勇利は阿梨にしがみつき、張りつめていた気がゆるんだのか、またもや盛大に涙をぽろぽろとこぼしている。
「傷、痛い?」
 しゃくりあげながら聞いてくる子供たちに、
「かすり傷だ。どうということはない」
 ほのかに笑んで二人を抱きしめる。
 勇駿も子供たちの背中に片方ずつ手をかけて、何度もさすってやる。
 しばらく親子四人はそうしていたが、やがて阿梨は子供たちの手を取ってゆっくりと立ち上がった。
「船へ帰ろう。わたしたちの家に。……お説教はそれからだ」




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。結婚して母となっても、変わらず颯爽と水軍を率いている。

勇駿(ゆうしゅん)


公私共に阿梨を支える夫。阿梨と子供たちをこよなく愛している。

梨華(りか)


双子の妹。母譲りの容姿と武術の才能を持つ。勝気な性格でいつも兄を振り回している。

勇利(ゆうり)


双子の兄。学問には秀でているが、ちょっと気弱。常に妹に押され気味。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父。以前は長の補佐として采配をふるっていたが、今は孫たちの教育がもっぱらの生きがい。

アディーナ姫


タジク国第一王女。二つの国の絆を深めるために海を渡る花嫁。金髪と緑の瞳の、美しく優しい姫君。

寄港地のフローレスでひと時の自由を願う。

ケイン


荒事屋。名の通り、目的のためなら荒っぽい手段も辞さない裏社会の人間だが、殺しはやらないのが信条。

ラルフ


ケインの相棒。孤児だった自分に手を差し伸べてくれたケインに恩義を感じ、行動を共にしている。

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