第5話

文字数 1,060文字

「お父さんがいい。お父さんじゃないといや」
 幼いとき、眠る前に本を朗読して欲しい人は、父親だった。読み聞かせは、母よりも父の方が上手かった。登場人物になりきって声色を変えてくれるから面白かった。そして、なによりも、昼間は仕事でいない父が、枕を並べて頬を寄せて本を読んでくれると、安心して眠りにつくことが出来た。絵本を持つ手が大きかった。あの手に浮き出た血管、頭を撫でてくれたときの温もりは、今でも覚えている。
 小学校の高学年になると、夜中に両親が言い争う声をベッドの中で聞くようになった。二人とも私の前では取り繕っていたけれど、急いで服を着た人のように、いつもどこかにちぐはぐな雰囲気があった。慌てて履いた靴下の色が紺と黒だったりするように、二人の色が微妙に揃っていないのを、私は長い間感じていた。
 だから、高校三年生になったとき、離婚すると両親に告げられても、大きな驚きはなかった。
 私は、今でも、父が好きだ。
 今日、父からメールが届いた。
『元気でやってるか? 勉強はちゃんとしているか? がんばれ』
 三行の文章を一秒で読んで、削除した。

 母がヘアスタイルを変えた。
 ずっと髪を後でくくっているだけだったのに、髪を切ってパーマをかけて仕事から帰ってきた。肩まで切った髪の毛先が、くるんと軽く丸まって、派手な顔立ちの母をより華やかに見せていた。
「どうかしら?」
「似合ってる。すごく」
 素直に褒めた。
 バレエをやっていたからかスタイルの良い母は、実年齢よりずっと若く見える。そして、ここ最近、たぶん父と離婚してから、より綺麗になった。
 学校で育てた鉢植えの花を切り戻ししたときのことを、私は思い出す。花が咲かなくなって枯れたようになった植物の枝全部を、大胆にばっさりと切ることを『切り戻し』というらしい。切ったところから新しい芽が出てきて、植物全体が若返ったようになり、しばらくするとまた、美しい花を咲かせる。
 切り戻しした母は、わき芽をのばしている。眩しいくらい、いきいきとしている。
 小学生の頃、参観日に教室の後に立っている母を、振り返って見るのが好きだった。ずらりと並んだ親たちの中で、バレエの4番ポジションのように立つ母は、とても洗練された雰囲気を放っていた。自慢の母だった。似ていると言われると嬉しかった。
「今度、T先生と一緒に、三人で晩ご飯を食べない?」
 母が切ったばかりの髪に指を絡めながら言った。
「そんなこと、しなくていいわよ」
 私はそっけなく答えて、階段を駆け上がり、自分の部屋のドアをばたんと閉めた。
 
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