刻一刻と
夕陽が
傾き、
黄昏色に
暮れなずむ
街角。
複雑に
分岐して
伸びている
石畳の
街路を、
橙色の
灯りがしずかに
照らしている。
もともとの
滞在先でもあった『
時計坂亭』にふたたび
舞い
戻ってくると──
早めの
夕食をすませておこうというロジオンの
提案により、
彼らは
酒場の
片隅に
腰を
落ち
着けた。
徐々に
賑わいはじめてはいるものの、ざっと
見渡すとまだ
空席が
目立つ。
二人は
空いたテーブル
席に
座ると、
装備していた
剣がおさめられた
鞘を
外して
椅子のかたわらに
置いた。
天井に
向けてラグシードが
大きく
伸びをしている
間にも、
主である
少年が
注文をとりにきた
給仕人に
次々とオーダーを
入れる。
「………ちょっと、
頼みすぎじゃないか………?おもに
酒………」
頑丈な
木目のテーブルに、
勢ぞろいした
酒瓶と
大振りのジョッキ………。
この
界隈で
採取された
地酒に、
名産地の
中でも
厳選されたブドウ
酒。
庶民の
味方でもあるエールと、
酒好きならば
瞳を
輝かせて、
狂気乱舞しそうな
銘柄が、
二人の
眼前にずらりと
並べられた。
その
様はお
忍びの
王族が
密かに
主催した、ちょっとした
酒宴のようでもあった。
「
君も
飲むかと
思って………。
傭兵って
酒豪が
多いだろ?」
「………そりゃまた
偏見と
誤解に
満ちた
思いこみってやつでは………?」
ラグシードはなぜか
虚ろな
表情で、げんなりとテーブルにところ
狭しと
配置された
酒瓶の
山を
眺める。
「
飲まないの?」
「──いや、
俺はまだ、いい………」
力なくつぶやいて、
先に
食事することに
決めたラグシードは、
煮込み
料理にフォークを
突き
立てた。
早くもグラスに
注がれたブドウ
酒を、
旺盛に
喉に
流しこんでいる
少年を、
何処かあきれたような
顔で
見つめた。
「………おまえまだ
十五だろ?
飲みすぎはよくないぞ」
若気のいたりとでもいうのだろうか。
飲酒解禁を
機に
調子にのって
大酒を
食らい、
失敗した
例を
数多く
知っているので、おせっかいだとは
思いながらも
忠告のような
言葉が
口をついていた。
だが、
言われてぴたりと
飲む
手を
静止させたロジオンは、それまでとはちがい
露骨に
顔色を
曇らせた。
やがて
少しの
沈黙のあと、
彼はきまり
悪そうに
返事をかえした。
「──
飲んでないと、なんか、やってられなくてさ………」
それはどこか
暗くやるせない、
心の
奥底からしぼりだすような
声だった。
「………おまえまだ
十五だろ………?」
スプーンを
口に
運ぶ
手を
休めて、ラグシードは
冗談混じりに、ごく
軽い
口調で
受け
流した。
「お
子様が、なに
生意気言ってんだか………」
彼はわざと
同調することも、
深刻な
話題をうながすような
返答をすることも
避けた。
重くなりそうな
気配を
察してのことだったが、
落ちこませるよりは
怒らせたほうがまだマシだろう、というのが
彼の
見解だった。
だが、
彼の
意に
反して
少年はそれっきり
押し
黙ってしまった。
ロジオンはその
後も、しばらく
黙々と
酒を
飲み
続け………。
ラグシードが
場を
盛り
上げようと、
旅先の
武勇伝を
披露するなか、それにあいまいな
相槌をうちながら
料理の
皿を
平らげていった。
卓上の
料理も
酒もほとんど
空になり、
宴たけなわといった
雰囲気にさしかかったとき。
やや
躊躇いがちに、ロジオンが
話を
切りだした。
「それはそうと、
研究所のことなんだけど………」
「お、そろそろ
行くか?」
颯爽と
椅子から
腰を
浮かしかけたラグシードだった。
だが、
座ったまま
表情をこわばらせて、
微動だにしないロジオンを
不審そうに
見つめた。
やがて
主である
少年は、
意を
決して
重い
口を
開いた。
「やっぱり
僕一人で
潜入しようと
思う」
ここまできてあまりの
発言に、
彼の
護衛は
凍りついた。
それにかまわずロジオンは
堰を
切ったように、いつになく
強い
口ぶりで
話しはじめた。
「
連中が『
黒い
蛇』と
知った
以上、
僕はいっさい
容赦はしないと
決めた。だから
合成獣研究所を
壊滅させる」
「
本気か?」
ラグシードが
不審そうな
目で
聞き
返す。
「ああ、もう
合成獣を
街に
放つどころか、
研究データーが
根本から
消し
飛ぶくらい
木っぱみじんにね。だけど、なるべく
敵味方の
双方から
犠牲は
出したくないし、できれば
穏便にことを
運びたい」
そこまで
一気に
言うと
喉が
渇いたのか、ロジオンはジョッキの
水を
飲み
干した。
本題に
入ってからは
酒を
飲まないところから、
彼の
本気がうかがえた。
「
一人でって、それじゃいったい
俺はなんのための
護衛なんだ?」
本末転倒だとばかりに、ラグシードは
怒りを
露わにした。
どれだけふりまわすのだろうか、この
傍若無人で
甘ったれな
貴族の
坊やは。
これだから
金持ちの
護衛はうんざりなのだ。
もうご
機嫌とりも
調子をあわせることすらも、ご
免こうむりたいと
彼は
思った。
「ようするに
俺が
役に
立たなそうだと
判断した。だから、おとなしく
宿で
待ってろってことなんだろ?」
「そんなことは
言ってない!」
「いいや、おまえがどれだけ
優秀な
魔法使いだか
知らないが、
自惚れるのもいい
加減にしろよ。
世間知らずってのはまさに
鬼に
金棒だな。
怖いもの
知らずに
生きられるんだから」
挑発するようなラグシードの
発言にさすがに
憤りがこみあげたが、ぐっと
怒りを
押し
殺してロジオンは
険しい
表情で
言った。
「………これが
普通の
研究機関だったら、
一緒に
潜入してもらったと
思う。だけど
相手は『
黒い
蛇』なんだ!」
「……………………」
「
君はよく
知らないだろうけど、
連中は
残虐きわまりない
邪教集団の
一味なんだ………!
研究員だからといって
非戦闘員みたいに
考えて、
甘く
見たら
痛い
目にあう」
「んなことわかってるって………。『
黒い
蛇』の
物騒な
名声は、
俺みたいな
部外者の
耳にだって
届くほどだ」
「……………………」
「だが、
俺が
不思議なのはどうしておまえはそこまでするのかってことだよ。
命の
危険もあるかもしれないってのに、その
巣窟に
乗りこんでたった
一人で
壊滅させるなんて
正気の
沙汰じゃない。そうとわかっていてなぜそんなことをする?」
「………
仇なんだ。
兄と
義母の………」
ロジオンは
拳をぎゅっと
握り
締めて、それだけ
言うとうつむいた。
もともと
白い
顔はさらに
蒼白になり、
引き
締めすぎた
唇からは
浅く
鮮血がにじんでいた。
しばらくは
気まずいともいえる
沈黙が、
二人の
空間を
漂っていた。
「くわしい
話はここでは
聞かない。
長くなりそうだからな………」
それまで
醒めきった
視線で
虚空を
眺めていたラグシードは、
仇という
不穏な
言葉を
耳にしてさすがに
同情を
示したらしい。
ロジオンに
対する
態度を、やや
軟化させたようだった。
「で、おまえはどうやって
一人で
研究所を
壊滅させる
気なんだ?」
不意に
投げかけられた
質問に、
魔法使いの
少年は
動じることなく、
自らの
意見を
交えて
話しだした。
「………
深夜に
決行しようと
決めたのは、
闇夜に
乗じて
潜入しやすいって
理由もあるけど、
警備が
手薄になるからってことが
大きい。
屋敷の
規模からいって
研究員の
寮などは
併設していないだろうから、
勤務が
終わればほとんどの
信者が
周辺の
街か
村などの
集落に
戻るんだと
思う」
「まあ、さすがにあの
程度の
敷地だと、
研究員の
居住空間なんて
確保できそうにないよな」
「だから
夜間ならば、
警備と
称した
宿直の
数名と、
徹夜の
研究員くらいしか
残っていないと
思うんだ。もっとも
複数の
合成獣を
番犬代わりに
放ってる
可能性は
大いにありうるけど。そこはまあ
研究所だから………」
どんな
合成獣がいるかはわからない………という
言葉はあえて
言わずに
飲みこんだ。
無闇に
脅かしたところでしょうがないと
思ったのだが、この
際いっそのこと、
脅かしたほうが
引いてもらえるのだろうか?
この
飄々とした
護衛とは、そのあたりの
駆け
引きや
距離感が、まだつかめきれていないのであった。
「ま、
話はだいたいわかった。
研究員はできるだけ
殺さずに
捕らえて
街の
自警団に
突きだして、
襲い
来る
凶暴な
合成獣は
迎え
撃てばいいんだろ?」
「………そう、あっさりと
言ってくれちゃってるけどさぁ………」
なぜか
余裕綽綽な
態度のラグシードに
圧倒されながら、ロジオンはそれでも
抵抗する
姿勢を
崩さなかった。
「──とにかく、
僕はこれ
以上あいつらの
犠牲になる
人を
増やしたくないんだよ………」
理解してくれと
精いっぱい
懇願してみせるが、するだけ
無駄だったようだ。
彼は
平然と
戦いの
準備だとばかりに、その
場で
剣の
手入れをはじめてしまった。
たとえロジオンが
助けを
拒んだとしても、
勝手についてくる
気でいるのだろう。
「
言っとくけど、
命の
保証はないんだ。いっしょに
来て
後悔しても
知らないよ?」
「そんなのとっくに
了承済みだっつーの!そうでもなきゃ、おまえの
護衛なんてやれないんだろうからさ」
頼もしいのかいい
加減なのかはともかく、ラグシードからは
楽天的な
答えが
返ってきたのだった。