モクテル

文字数 2,000文字

 
 ドアの向こう側はBarだった。

 頼むから「Barに来たのなら当然だろう?」なんて言わないで欲しい。
 だって「Barに一緒に行って」って上目遣いでお願いされて、店に入る直前に「一杯奢ります」って言われて、それで酒を飲まないなんて事態、想像つく?
 つかない。少なくとも私には。
 だから思ったのだ。ここはBarと言う名の、実は違う類いの店なんじゃないかと。

 夜景が見える窓辺のカウンター。ハイスツールに腰を下ろした朝美はドリンクメニュー片手に言った。
「大丈夫、BarはBarだから。ただ私たちが未成年ってだけで」
 相変わらずクソ可愛い笑顔。なのでつい頷きそうになるけど、知らない街の駅からもかなり遠い店までわざわざ来て、さすがにそれでは納得できない。
「自分の年くらい知ってる。けど18は成人扱いのはず」 
「成人年齢は18になったけど、飲酒解禁は20のままだよ」
「それも分かってる。でも、私たち高校生じゃなくて大学生と専門学校生だよ? 黙ってれば良くない?」
「だって私、弁護士志望の法学部だから。そういう人間が法律破っちゃダメでしょ?」
「じゃあ何で『Barに一緒に行って』『一杯奢る』なんて言ったの?」
「確かに奢るって言ったけど、お酒とは言ってないもん。Barにだってジュースくらい置いてあるし、何ならノンアルビールだって」
 なら最初からそう言えよ! と言いたくても朝美にだけは言えない私がここにいます。
 ほんと自分で言うのもアレだけど、朝美にはめちゃ弱い。弱いなんてもんじゃねーか。言いなりか。あーあ。
 幼なじみの私たちは高校以降、顔も合わせてなかった。卒業後も朝美は超難関大、私は服飾系専門学校、ってそのままそれきりでもおかしくないはずが、偶然再会したのをきっかけに今では始終一緒にいる。
「にしても法学部だからってお酒飲まない大学生ってアリ? なんだかんだ皆、飲んでるんじゃないの? うちらはふつうに飲み会あるけど」
「もちろん大学もだよ。私は行かないだけで」
「やっぱそうか。それで付き合い悪いとか言われない訳?」
「陰では言われてるかもね。でもバイトも勉強も忙しいし、そんなことに余計なリソース割きたくないんだ」
 だって、と何やら嬉しそうに含み笑いする顔がいつになく色っぽく見えるのは、ここがBarだからだろうか。
「で、ここ、駅から遠い分、車で来る人も多いから、モクテルの種類も多いんだって」
「何、モクテルって?」
「……そういうのミユの方が詳しいと思ってたんだけど」
「酒はサワー派なんで」
 いーけないんだ、とからかうように横目で笑う朝美。そんな小悪魔顔されたらくらくらしてくる。酒も飲まずに酔ってるのか私。
「モクテルって言うのはね、」
 こっちの気も知らず、朝美が楽しげにドリンクメニューを捲る。
「カクテルに似せたって意味で、要はアルコール抜きのカクテル」
 こつん、と肩に朝美の頭が触れた。
「見て、写真」
 ね? どれもきれいでしょ? ってこの距離で顔を覗き込むなってば。モテテルだかモーテルだか知らないが、朝美の方がよっぽどきれいだしいい匂いまでしてる。
「ミユは何にする?」
 全部で10種類ほど並ぶ写真のどれもが確かにオシャレで映えてて、見た目カクテルと何ひとつ変わらない。値段も変わらなくてびっくりだけど。
 はっきり言ってどれでも良かった。上から順に見ていって、名前に目が止まる。
「……プッシーキャット」
「え? 何々、オレンジジュースとパイナップルジュース、グレープフルーツジュース? 私のとそんなに変わらないね」
 そう言って朝美が指差したのはシンデレラ。オレンジジュースにレモンジュース、パイナップルジュース、って違いはレモンかグレープフルーツかだけじゃないか。
「どっちの方が甘いのかなあ」
 そんな甘ったるい声で耳元で囁くなよ。胸がどきどきって、やっぱノンアルで正解? あー、クソ、なんか悔しい。
 開店一番、客がまだ少ないこともあって、二杯のモクテルは案外早くに目の前に並べられた。
「乾杯」
「何に?」
 少々むくれ気味に尋ねると、照れ臭そうな顔した朝美が、
「今度ミユが作る服の仕上がりに」
 ……こいつ、ほんと人の気も知らずに。
「じゃあモデル様にも」
「え? ただのマネキンでしょ?」
 違うの? と少し焦った様子を見せたから、それでようやく一矢報いた気になる。少し冷えた頭が私たちが再会したあの日、私の肩に頭を乗せて眠る朝美と始発電車を待っていた朝を思い出していた。
 シンデレラ、か。
 妖精とだけ考えていたけれど、だったらもう少しゴージャスにしないと。何ならカボチャのオレンジ色でも使おうか。
 ともかく今夜は日付をまたぐ心配だけは要らなさそうだった。
「それでね、これ飲んだら家に来ない? 母が漬けた梅酒なら私も飲めるんだけど」
 思ってもいなかった言葉が目の前で弾けて、私は危うくグラスを落としそうになった。





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