第1話

文字数 2,000文字

 私は笑うことが嫌いだ。もちろん、子供の頃は笑っていた。けれど笑いの卑屈さ、品の無さに気付き、嫌いになった。それ以来、私は笑わずに過ごしてきた。笑いについて私の分析をいくつか示そう。
 笑いには種類がある。
主なものに愛想笑い、照れ笑い、嘲笑、失笑、苦笑、そして微笑、爆笑など。この後の二つは笑いの程度を示すものなので性質ではない。他にも表現は沢山あるが、これだけ見ても、良い意味を示すものはあまりないことがわかるだろう。
そもそも笑いとは、相手にしろ、自分にしろ、何かを見下しているから生じる反応だ。面白かったり、楽しいから笑う?それは自分が優位に立つ感情を持つからそうなるのだ。
性質を表す前半五つに注目しよう。
まず、愛想笑い、照れ笑いの二つは自分に対する笑いであり、自らを省みて守るために発する笑いだ。自分を下げることで相対的に相手を持ち上げてその場を取り繕うものだ。愛想笑いは特にそうだと言える。勝負する前から負けと認めているようなものだ。
照れ笑い、これは複雑だ。でも、自分が恥ずかしい思いをした時や、褒められた時につい、どうしていいかわからずに取り繕うために出るもの、だから自分を卑下しているのだ。それに大抵、その時は後頭部に片手を当てて、俯き加減に情けなく中途半場に笑う。なんと卑屈な態度だろう。子供などはもじもじとよくわからない動きを加える。
そして、嘲笑、失笑、苦笑などは相手を笑うことであり、言わずと知れて、侮辱した態度に他ならない。
 つまり笑いに良い意味を持つものは無いのである。だから嫌なのだ。私は笑いを社会的行動の効率を下げるものにしかならないと判断し、この信念の下で今までこの仕事を進めてきた。様々な抵抗にもあったが、周囲にもやっとこの信念が認められ、この度、会社から表彰されることになった。
 表彰式の当日、私は笑わない。社長は満面の笑みを湛えて、壇上で私を見つめる。つられてはいけない。ここでつられて出る笑いは愛想笑いだ。負ければ自分を卑下したことになる。私はお礼を一言述べただけで笑わずに表彰状を受け取ることができた。社長が話し始めた。
「彼は我が社における業績の記録を更新してくれました。彼は社内でも有名ですが、笑うことをしません。この寡黙で真面目な態度が功を奏したのでしょう。素晴らしい。皆さんも彼を見習っていただきたい」
拍手喝采だった。私は壇上にいて皆の注目と笑顔を浴びていた。
「さらに君は昇格となる。副社長待遇だ。副社長となるからには公の仕事も多くなる。これからは少し周りに笑顔も振りまいて欲しい。柔らかなイメージも必要になる。君のことだからうまくやれるだろう」
私は怒りが込み上げてきた。茶番だ。そして、全員に聞こえるような大声で叫んだ。
「社長、そして皆さん。何もわかっていない。そんなへらへらしたことでは負けを認めたことになるんです。柔らかなイメージなど仕事に必要ありません。こんな誤解であるなら表彰は辞退するべきでした」
一瞬で場は静寂に包まれた。
主張を曲げるつもりは無いが、さすがに大人げなかったことに私も気付き、
「すみません、言い過ぎました。けれどそれが私のやり方なのです」
と謝った。
社長は動きが止まっていたが、すぐに
「いや、すまない。君の事を理解していなかったようだ。この業績を上げたことが君の主張を正当化する証拠だ」そう言いながら拍手をした。下から見上げる皆も拍手をして微笑んだ。
これが許せないのだ。
私は顔を顰める。
社長以下、皆はっとしたような顔をして真顔になった。社長がそれを見て、
「うむ。皆もわかったようだ。我々はこれから君を見習い、無駄な笑顔を見せることなく、業務に徹するように誓うよ。だから君もよろしく皆を指導してくれたまえ」そう真顔で言って私に頭を下げた。

 これだ。やっとこの時が来た。社長を含めた皆が私のこの信念を理解してくれたのだ。この一瞬をどれだけ望んでいたことか。
私は壇上から振り返り、社員の姿を見渡した。皆、緊張感を漂わせ、真剣にこちらを見ている。
優しい社長も歯を食いしばって真顔を維持している。
 今までにない満足感が私を支配した。
その瞬間、口角が上がったことに気付いた。
はっと目を見張る。
社長の驚いたような顔が目に入る。
下にいる社員の顔を見る。気まずそうな、戸惑ったような顔で隣を見たりしているが、笑顔だけは作らないように努力しているのがわかる。
私は俯きつつ、右手を頭の後ろに当てて、白い歯を見せて言った。
「ははは、いや、すみません。つい・・・」
誰もが真剣な、いや、怒りに満ちた表情で私を見つめた。

 私はなぜか、これ以来、笑顔が抵抗なく出るようになった。笑顔で接する努力もした。不思議なことに楽しく感じている。呪縛から解かれたようだ。
 おかげでこの社内コラムを依頼されることにもなった。これは私の反省文であり、思い出し笑いしながら書いている。
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