(二)歩き続けて老い耄れて
文字数 689文字
(二)歩き続けて老い耄れて
あの日、白神の小さな峠で「御来光」に出遭った・・・。
そんなものにまるで興味のなかった僕に、その光景は、思わず手を合わせ、黙礼を・・・。
二度とは行き遭うことのないであろう、その「曙光」は、神々しいという言葉を僕の心に思い浮かばせてくれた。
やがてその光景は、明るさの中にゆっくりと吸い込まれるかのごとく消えていった・・・。
二度と出遭うことのない風景であったろう幾度かのそんな朝の光景に、垣間見るだけであろうとも、幾度かは出遭ってきたに違いない。
が、それらが僕の記憶の中にとどまることは無かった。
それは、老い耄れた今であるから存在しえた感受性ではなかったのだろうか。
端的に言うなれば、朝死に逝く老い耄れの哀愁と感傷がもたらした幻・・・。
そう、幻想なのである。
老い耄れの風景には、必ずや死というものが付き纏う、意識しようがしまいが、それは、接頭語のようにそこに在るのである。
いや、だからと言って、あの時僕はその感動の「曙光」に合掌をし、首を垂れたわけではない。ただ茫然と、偶然出遭ったその朝の光景に、いったい何を感じたのであろうか・・・。
不信心な僕には、その「曙光」の中に、神を見ることも、仏を見ることも無かった。
人は偶然の出遭いの中に生きている。
その重なりが人生というものであるに違いない。
僕がここまで生きるに・・・。
老い耄れは孤独である。
しかし、その孤独を支えてくれる多くの出遭いがあったればこそ、未だ、微かな生への望みの中を生き永らえ続けられているのかもしれない・・・。
未完・・・
*只今推敲中、乱文御赦しのほど・・・。
あの日、白神の小さな峠で「御来光」に出遭った・・・。
そんなものにまるで興味のなかった僕に、その光景は、思わず手を合わせ、黙礼を・・・。
二度とは行き遭うことのないであろう、その「曙光」は、神々しいという言葉を僕の心に思い浮かばせてくれた。
やがてその光景は、明るさの中にゆっくりと吸い込まれるかのごとく消えていった・・・。
二度と出遭うことのない風景であったろう幾度かのそんな朝の光景に、垣間見るだけであろうとも、幾度かは出遭ってきたに違いない。
が、それらが僕の記憶の中にとどまることは無かった。
それは、老い耄れた今であるから存在しえた感受性ではなかったのだろうか。
端的に言うなれば、朝死に逝く老い耄れの哀愁と感傷がもたらした幻・・・。
そう、幻想なのである。
老い耄れの風景には、必ずや死というものが付き纏う、意識しようがしまいが、それは、接頭語のようにそこに在るのである。
いや、だからと言って、あの時僕はその感動の「曙光」に合掌をし、首を垂れたわけではない。ただ茫然と、偶然出遭ったその朝の光景に、いったい何を感じたのであろうか・・・。
不信心な僕には、その「曙光」の中に、神を見ることも、仏を見ることも無かった。
人は偶然の出遭いの中に生きている。
その重なりが人生というものであるに違いない。
僕がここまで生きるに・・・。
老い耄れは孤独である。
しかし、その孤独を支えてくれる多くの出遭いがあったればこそ、未だ、微かな生への望みの中を生き永らえ続けられているのかもしれない・・・。
未完・・・
*只今推敲中、乱文御赦しのほど・・・。