遅れてきた手紙
文字数 1,635文字
あれから一年、残された自分に、いったい何ができるだろうか?
どんなことをして生きて行けば、より後悔の少ない人生になるだろうか?
そんなことまで、賢太郎の死を通して真剣に考えてきたつもりだった。
「最後の伝説ライブ、We Tubeに誰かがアップしてたの、やっと見たわよ」
会社近くのレストランで久々に一紗と会ったとき、開口一番に彼女は言った。
「また、〈ハーメルン〉として、歌う気はないの?」
「彼のファンを、そんな、いつまでも欺けると思うか? それに、人の褌で相撲を取るようなことを長くは続けられないよ。それに、いまは良いかもしれないけど、しょせんは代役に過ぎないんだ……。誰も本当の自分、俺の声は求めていないのだと思う日が絶対に来る。そしたら、マイクを握れなくなるかもしれないから……」
辛気臭い俺の言葉を、一瞬にして弾き飛ばすように、一紗は声を立てて笑った。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、昇太郎ってばマジメだなぁって。良いじゃない。辞めたくなったら辞めて。きっと、そこまで賢太郎は望んじゃいないわよ。ただただ、事故が遭った日にライブを続行してくれたことに感謝していると思うわ」
その言葉を聞いたとき、もっと早く彼女に伝えるべきことがあったのを思い出した。
鞄の中から一通の封筒を取りだす。賢太郎のおばあちゃんから預かった日から、ずっと大切に持ち歩いていた封筒を。
「ライブの後、賢太郎は一紗に花束と一緒にこれを渡すつもりだった。中の便箋まで、ところどころ血で滲んでるから、気分が悪くなりそうなら言って」
ちいさく折りたたまれた手紙を、一紗はこわごわと受け取る。
そして、俺の顔を一瞥したあと、やや緊張した面持ちでそれを広げた。
一紗へ
賢太郎は、すでに絶滅したとされる一匹狼だ。
活き活きと働いているところを誰も見たことがないから、びしっと決まったフォーマルスーツを着てしまうと、あらゆる人々が怖れた。
でも、賢太郎は諦めなかった。
自分の存在を知って欲しさにあらゆる人々との出会いを求めた。
その努力の甲斐あって、ようやくひとりの素敵な女性に巡り会うことができた。
でも、賢太郎は女性をエスコートしたことがなかったから、パクっと噛みついてしまった。
すると、彼女は意識を失って倒れてしまった。
その瞬間、賢太郎はしめしめと思い、ふたりだけの世界へと彼女を連れ去った。
目覚めるまで時間がかかりそうだったので、そのあいだ、賢太郎は愛の告白の練習をし続けた。たくさんの言葉を真剣に考えてみたが、どれもいまいちだ。
結局は、いちばんシンプルな言葉で告白することに決めた。
「愛してるよ。結婚しよう」
賢太郎がそうささやいた瞬間、彼女がゆっくりと起き上がった。
四月十三日、まさにそれは彼女が生まれた日だった。
*P.S.* 一紗が生み出したモノトンには、こうした別の物語もあったんだよ。
悲しいストーリーだけでなく、幸せいっぱいのストーリーがね。
血に染まった手紙を持つ彼女の手は、小刻みに震えていた。
まなじりを指で押さえたまま、しばらく顔を上げられずにいた。
「一紗の言葉どおりなんだよ。あの日、ライブの続行は絶対だった。ライブの一か月前、雨天でも地震があっても、四月十三日のライブは絶対に決行するつもりだから、昇太郎も、仕事で急用ができても、伝染病にかかっても、必ず来てくれよ、と言われた」
一紗が、テーブル伝いに白い手を伸ばしてきた。俺は一紗の顔を見てから、ふたたびその手元に視線を移した。
そっと握ると、強く握り返された。
「冷たい手のひとは心が温かいって、あれ、本当なのね……」
一紗は、もう片方の手で流れ落ちる涙を拭きながらささやく。
最期の日のことを、こうして一紗と向かい合って話すことができたおかげで、うやむやにしていた気持ちを、ようやく整理することができた。
どんなことをして生きて行けば、より後悔の少ない人生になるだろうか?
そんなことまで、賢太郎の死を通して真剣に考えてきたつもりだった。
「最後の伝説ライブ、We Tubeに誰かがアップしてたの、やっと見たわよ」
会社近くのレストランで久々に一紗と会ったとき、開口一番に彼女は言った。
「また、〈ハーメルン〉として、歌う気はないの?」
「彼のファンを、そんな、いつまでも欺けると思うか? それに、人の褌で相撲を取るようなことを長くは続けられないよ。それに、いまは良いかもしれないけど、しょせんは代役に過ぎないんだ……。誰も本当の自分、俺の声は求めていないのだと思う日が絶対に来る。そしたら、マイクを握れなくなるかもしれないから……」
辛気臭い俺の言葉を、一瞬にして弾き飛ばすように、一紗は声を立てて笑った。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、昇太郎ってばマジメだなぁって。良いじゃない。辞めたくなったら辞めて。きっと、そこまで賢太郎は望んじゃいないわよ。ただただ、事故が遭った日にライブを続行してくれたことに感謝していると思うわ」
その言葉を聞いたとき、もっと早く彼女に伝えるべきことがあったのを思い出した。
鞄の中から一通の封筒を取りだす。賢太郎のおばあちゃんから預かった日から、ずっと大切に持ち歩いていた封筒を。
「ライブの後、賢太郎は一紗に花束と一緒にこれを渡すつもりだった。中の便箋まで、ところどころ血で滲んでるから、気分が悪くなりそうなら言って」
ちいさく折りたたまれた手紙を、一紗はこわごわと受け取る。
そして、俺の顔を一瞥したあと、やや緊張した面持ちでそれを広げた。
一紗へ
賢太郎は、すでに絶滅したとされる一匹狼だ。
活き活きと働いているところを誰も見たことがないから、びしっと決まったフォーマルスーツを着てしまうと、あらゆる人々が怖れた。
でも、賢太郎は諦めなかった。
自分の存在を知って欲しさにあらゆる人々との出会いを求めた。
その努力の甲斐あって、ようやくひとりの素敵な女性に巡り会うことができた。
でも、賢太郎は女性をエスコートしたことがなかったから、パクっと噛みついてしまった。
すると、彼女は意識を失って倒れてしまった。
その瞬間、賢太郎はしめしめと思い、ふたりだけの世界へと彼女を連れ去った。
目覚めるまで時間がかかりそうだったので、そのあいだ、賢太郎は愛の告白の練習をし続けた。たくさんの言葉を真剣に考えてみたが、どれもいまいちだ。
結局は、いちばんシンプルな言葉で告白することに決めた。
「愛してるよ。結婚しよう」
賢太郎がそうささやいた瞬間、彼女がゆっくりと起き上がった。
四月十三日、まさにそれは彼女が生まれた日だった。
*P.S.* 一紗が生み出したモノトンには、こうした別の物語もあったんだよ。
悲しいストーリーだけでなく、幸せいっぱいのストーリーがね。
血に染まった手紙を持つ彼女の手は、小刻みに震えていた。
まなじりを指で押さえたまま、しばらく顔を上げられずにいた。
「一紗の言葉どおりなんだよ。あの日、ライブの続行は絶対だった。ライブの一か月前、雨天でも地震があっても、四月十三日のライブは絶対に決行するつもりだから、昇太郎も、仕事で急用ができても、伝染病にかかっても、必ず来てくれよ、と言われた」
一紗が、テーブル伝いに白い手を伸ばしてきた。俺は一紗の顔を見てから、ふたたびその手元に視線を移した。
そっと握ると、強く握り返された。
「冷たい手のひとは心が温かいって、あれ、本当なのね……」
一紗は、もう片方の手で流れ落ちる涙を拭きながらささやく。
最期の日のことを、こうして一紗と向かい合って話すことができたおかげで、うやむやにしていた気持ちを、ようやく整理することができた。