南方に配されし荼枳尼の法【第四話】
文字数 1,562文字
☆
次の日は晴れだった。
小栗判官の手がかりがなくなって、僕も夜、本町銀行にある指定文化財〈胎蔵界曼荼羅〉の掛け軸を守るのを手伝うことになった。
僕の部屋で昨日、たらふくズブロッカを飲んだ破魔矢式猫魔だったが、飲み終えると自室に戻り身支度をととのえ、さっそくその夜のうちに常陸松岡の本町銀行へと向かった。
あの〈怪盗・野中もやい〉だったら予告状通りの時間に来ると思われるが、それでも現地入りはしておくに越したことはない、というのが、猫魔の意見だった。
そういうことで警察に紛れて、探偵・破魔矢式猫魔は、今も見張りをしているはずだ。
百瀬探偵結社のメンバーは、捜査班に加わるときには『特別司法警察職員』に準じて扱われる。だから、本当は色々な権限がある。
『特別司法警察職員』とは、特定の法律違反について刑事訴訟法に基づく犯罪捜査を行う権限が特別に与えられた、国からお金をもらっているタイプのひとたちを指す職業を指す。
特別司法警察職員は犯罪捜査ができるため、捜査に係る刑事手続きや逮捕や捜索差押、送検等を行う権限があるのである。
とはいえ、〈表の警察〉に犯人を渡すときは警察官の方を呼んで、逮捕してもらうのが、暗黙のルールだ。
僕らが犯人を独自に捕まえるとき、それは〈桜田門〉に引き渡すときである。
僕らの世界では、〈市ヶ谷〉、〈赤坂〉、〈桜田門〉と土地の名で呼ばれる隠語が存在している。〈市ヶ谷〉は防衛省情報本部、〈赤坂〉は在日CIA及びアメリカ大使館、そして〈桜田門〉は公安警察のことだ。
もちろん、僕らに用事があるのは、〈市ヶ谷〉、〈赤坂〉、〈桜田門〉という場所でも、その〈暗部〉の仕事をしているセクションを指している。
それらの存在は〈地下に住む彼女〉と呼ばれている人物のお気に召すままに動いている、というウワサもあるが、百瀬探偵結社の中で〈地下に住む彼女〉の謁見を許されているのは百瀬珠総長ただひとりである。珠総長の飼い猫である破魔矢式猫魔だって、そこまではお供できない。
僕なんかにとっては、その〈地下に住む彼女〉の名前を口に出すことでさえ、ためらいがあるほどだ。
みんなとは夕方に合流することにして、僕は常陸松岡の北方という集落にある、花貫川の流れるそばの公園で、ぽつんと置いてあるベンチに座って最近、出来ていなかった読書をすることにした。
読んでいるのは『ヴァリス』。フィリップ・K・ディックの代表作のひとつにして、最大の問題作だ。
ぽかぽか暖かい日だ。
蝉の声に耳を澄まし。
しばし、目を閉じる。
うとうとしていたので、眠りが訪れた。
ベンチに座ったまま昼寝してしまった僕が肩に人のぬくもりを感じて起きる。
すると、僕の横に座って頭を僕の左肩に預けて眠っている少女の寝顔が間近に。
すーすー寝息を立てて眠る彼女は、グリーン色の、蛇の着ぐるみパジャマを着ている。
無邪気な寝顔。
だが、僕はこの少女に見覚えがあった。
野犬や鳥を食い散らかした、背丈の大きなその〈犯人〉の、首を刎ねて殺して、刎ねた首をぺろりと平らげた女の子であり、〈政府のエージェント〉であり、この少女はカミサマでもあった。
彼女が刎ねた首なしの胴体から大量の血液が噴き出し、僕はそのシャワーを浴びたことがあった。
正義の味方だ、というその、着ぐるみパジャマを着ている政府のエージェントこそが、小鳥遊ふぐりのライバル、〈夜刀神うわばみ姫〉だった。
「どうしよう……」
自分の肩に頭を乗せて眠っている残酷で正義の味方の少女を、僕は起こせない。
僕はしばらくそのままで、『ヴァリス』の続きを読むことにした。
「恥ずかしさと怖さが同居してるよ、今の僕は」
独り言をして、それから読書に戻る。
気にしない、気にしない。この非論理的な事態は気にしないに限る。
次の日は晴れだった。
小栗判官の手がかりがなくなって、僕も夜、本町銀行にある指定文化財〈胎蔵界曼荼羅〉の掛け軸を守るのを手伝うことになった。
僕の部屋で昨日、たらふくズブロッカを飲んだ破魔矢式猫魔だったが、飲み終えると自室に戻り身支度をととのえ、さっそくその夜のうちに常陸松岡の本町銀行へと向かった。
あの〈怪盗・野中もやい〉だったら予告状通りの時間に来ると思われるが、それでも現地入りはしておくに越したことはない、というのが、猫魔の意見だった。
そういうことで警察に紛れて、探偵・破魔矢式猫魔は、今も見張りをしているはずだ。
百瀬探偵結社のメンバーは、捜査班に加わるときには『特別司法警察職員』に準じて扱われる。だから、本当は色々な権限がある。
『特別司法警察職員』とは、特定の法律違反について刑事訴訟法に基づく犯罪捜査を行う権限が特別に与えられた、国からお金をもらっているタイプのひとたちを指す職業を指す。
特別司法警察職員は犯罪捜査ができるため、捜査に係る刑事手続きや逮捕や捜索差押、送検等を行う権限があるのである。
とはいえ、〈表の警察〉に犯人を渡すときは警察官の方を呼んで、逮捕してもらうのが、暗黙のルールだ。
僕らが犯人を独自に捕まえるとき、それは〈桜田門〉に引き渡すときである。
僕らの世界では、〈市ヶ谷〉、〈赤坂〉、〈桜田門〉と土地の名で呼ばれる隠語が存在している。〈市ヶ谷〉は防衛省情報本部、〈赤坂〉は在日CIA及びアメリカ大使館、そして〈桜田門〉は公安警察のことだ。
もちろん、僕らに用事があるのは、〈市ヶ谷〉、〈赤坂〉、〈桜田門〉という場所でも、その〈暗部〉の仕事をしているセクションを指している。
それらの存在は〈地下に住む彼女〉と呼ばれている人物のお気に召すままに動いている、というウワサもあるが、百瀬探偵結社の中で〈地下に住む彼女〉の謁見を許されているのは百瀬珠総長ただひとりである。珠総長の飼い猫である破魔矢式猫魔だって、そこまではお供できない。
僕なんかにとっては、その〈地下に住む彼女〉の名前を口に出すことでさえ、ためらいがあるほどだ。
みんなとは夕方に合流することにして、僕は常陸松岡の北方という集落にある、花貫川の流れるそばの公園で、ぽつんと置いてあるベンチに座って最近、出来ていなかった読書をすることにした。
読んでいるのは『ヴァリス』。フィリップ・K・ディックの代表作のひとつにして、最大の問題作だ。
ぽかぽか暖かい日だ。
蝉の声に耳を澄まし。
しばし、目を閉じる。
うとうとしていたので、眠りが訪れた。
ベンチに座ったまま昼寝してしまった僕が肩に人のぬくもりを感じて起きる。
すると、僕の横に座って頭を僕の左肩に預けて眠っている少女の寝顔が間近に。
すーすー寝息を立てて眠る彼女は、グリーン色の、蛇の着ぐるみパジャマを着ている。
無邪気な寝顔。
だが、僕はこの少女に見覚えがあった。
野犬や鳥を食い散らかした、背丈の大きなその〈犯人〉の、首を刎ねて殺して、刎ねた首をぺろりと平らげた女の子であり、〈政府のエージェント〉であり、この少女はカミサマでもあった。
彼女が刎ねた首なしの胴体から大量の血液が噴き出し、僕はそのシャワーを浴びたことがあった。
正義の味方だ、というその、着ぐるみパジャマを着ている政府のエージェントこそが、小鳥遊ふぐりのライバル、〈夜刀神うわばみ姫〉だった。
「どうしよう……」
自分の肩に頭を乗せて眠っている残酷で正義の味方の少女を、僕は起こせない。
僕はしばらくそのままで、『ヴァリス』の続きを読むことにした。
「恥ずかしさと怖さが同居してるよ、今の僕は」
独り言をして、それから読書に戻る。
気にしない、気にしない。この非論理的な事態は気にしないに限る。