過去の記憶と不思議な庭師
文字数 2,273文字
また、その扉は大きく開かれており、両側にはそれぞれ二人の警備員が立っている。警備員達は、後ろ手を組みながら周囲を警戒していた。彼らの表情は硬く、自らの仕事に相当の気合いを入れていることが窺える。
「いよいよ調査開始だな」
そう言うと、ベネットは右手を胸の高さに上げ、目を閉じて精神を集中し始めた。そして、右手を勢い良く下方へ振るった瞬間、その手中には身の丈よりは小さな十字架が現れた。
「凄い」
その光景を目の当たりにしたダームは、他の人には聞こえない位小さな声で呟く。
「十字架をこの様に出現させる事が出来る者は、決して多く無い。若いお前が驚いたとて可笑しくはない、安心しろ」
少年の声に気付いたベネットは簡単な説明をした。一方、説明を聞いたダームは、慣れない話し方に戸惑いながらも礼を返す。
「この様な機会は滅多に無い。質問ならば、使命が終わってから幾らでも聞いてやる」
ベネットは少年の目を真っ直ぐに見据え、諭す様な口調で言い放った。一方、ダームは落ち着いた表情で肯定の返事をなした。
「良い返事だ。では、学園に入るぞ」
ベネットは、次の行動に移る旨を伝えると、踵を返して歩き始めた。
学園に入ってから十数分後、ベネットは上部に鐘の在る塔の前で立ち止まる。その塔は、灰色の石を積み上げて造られており、その大きさから独特の威圧感を出していた。
「学園の中心部。即ち、ここに聳え立つ建築物が、昨晩説明をした鐘塔だ」
落ち着いた声で言うと、べネットは静かに後方を振り返る。
「正午前になれば、この周囲に沢山の人が集まる。人が少ない今のうちに調べ上げるのが得策だ」
そこまで話すと、彼女は厳格な面持ちで仲間の顔を交互に見た。
「あなたは、もしかして」
ダームが反応するよりも前に、ベネットの背後から男性の声が聞こた。ベネットは、少しの間を開けた後、声がした方を振り返る。
彼女が振り返った先には、小柄な男性が首を傾げながら佇んでいた。男性は、褐色の作業着に身を包んでおり、その顔には深く刻まれた皺が幾つかあった。
「やはり、貴女はベネットさんでしたか。急に学園から居なくなってしまわれたので、心配をしていたのですよ」
そう言うと、男性はベネットに対して微笑み掛ける。
「不躾な質問ですが、貴方は一体? 残念ながら、学園に居た時の記憶は、余り残っていないのです」
「これは、失礼致しました。私は、学園専属の庭師です。貴女を鐘塔の前で良く見かけた事を思い出したら、つい声を掛けたくなってしまいまして。突然の御無礼、申し訳御座いません」
庭師を名乗る男は、ベネットに対して深々と頭を下げた。
「いえ、それを気にしてはいません。ただ、私の事を覚えている者が、学園に居たことに驚いてしまったのです」
ベネットは、目を瞑って俯いた。一方、庭師は小さく頷き、柔らかな笑みを浮かべる。
「あれから随分と月日が経ちました。ですが、貴女が毎日この場所へ来て下さったことが、嬉しかったものですから」
呟く様に話すと、庭師は恥ずかしそうに耳を赤らめた。
「その事も、余り記憶に残ってはいないのです」
それから暫くの間、彼らの周りは静寂に包まれた。その間、ダームとザウバーは静かに様子を眺めており、時おり横目で塔の方を見た。
「仕方の無い事です。当時、貴女は子供だったのですから」
庭師は、静寂を切り裂く様に話すと、目を細めベネットに対して微笑み掛ける。
「ただ、儀式までは随分と時間が有りますから、もしかしたらと思ってしまったのです」
塔を見ると、庭師は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「無意識のうちに、昔を懐かしんでいたのかも知れません」
落ち着いた口調で話すと、べネットは悲しそうな表情を浮かべた。
「そうだとしたら、嬉しい限りです。ところで、儀式が終わった後ならば、鐘塔の中を御案内できます。如何なさいますか?」
そう言うと、庭師は肯定の返事を願う様に、ベネットの目を真っ直ぐに見る。対するベネットは、思いもよらない問い掛けに戸惑い目線を泳がせた。
「鐘塔の中をですか?」
彼女の声は落ち着いていたが、表情には微かに戸惑いの色が浮かんでいる。
「ええ。本来は、学園関係者ですら滅多に入ることの無い場所です。ですから、余り知られてはいませんが、上部からの眺めは素晴らしいものですよ」
庭師は、更なる説明を加えると、ベネットの目を見つめたまま微笑した。
「そういう事ならば、見せて頂きましょう」
ベネットは、何かを悟った様子で庭師の目を見据える。この時、彼女の瞳からは、先程までの戸惑いが消えていた。
「それでしたら、終業の鐘が鳴った後、ここに来て下さい。では、やらなければならない事が有りますのでこれで」
それだけ言い残すと、庭師は鐘塔の前から姿を消した。
「偶然ながら、鐘塔の中へ入ることが可能となった。神が与えし機会を逃す事無く、鐘塔の内部も偵察する」
すると、ベネットの話を聞いたザウバーは、いつになく真剣な表情で肯定の返事をなす。
「良い返事だ。さて、正午には儀式を見る為に此の場へ戻る。それまでに他の場所を調査しよう」
そう伝えると、ベネットは踵を返して歩き始めた。
その後、三人は慎重に学園内を調べていき、太陽が南の空へ移動した頃に鐘塔へ向かう。彼らが目的地に到着した時、既に大勢の人々が塔の前に集っていた。