(一)
文字数 2,737文字
秋葉と叶冬で旅行へ行くことになった。旅行は土曜日の朝出発で、一泊して日曜日の夜に帰宅のスケジュールだ。
行先は多々候補が上がったが、二人とも温泉で合致した。具体的な旅館や宿泊プランの要望を聞いてくれたが、お金を出してもらう側なので「店長の好みで選んで下さい」としておいた。では当日まで秘密だと言われ、どんな宿になるかは謎だ。
そして当日、名目はともあれ旅行に胸を躍らせ待ち合わせ場所の駅へ行った。
乗り遅れてはいけないと待ち合わせた時間よりもニ十分も早く到着したが、待ち合わせ場所である改札には妙な人だかりができていた。名物の出店でもあるのだろうかと遠巻きに見ると、そこには確かに名物がいた。だがそれは決して駅の名物ではない。
「やあやあアキちゃん! 早いじゃないか!」
「ど、どうも……」
人だかりの中央で両手をぶんぶんと振ってきたのは叶冬だ。今日は金魚屋としての外出と認識しているのか、いつもの着物を羽織っている。
だがそのせいなのか、叶冬は浴衣を着た謎のキャラクター着ぐるみとセットにされて女性に写真を撮られていた。既に順番待ちで列ができている。
「何をしてるんですかあなたは!」
「だあってヒマだったのだよ。だから宣伝の手伝いを少々」
「そういうのはそのキャラクターの仕事ですよ。ほら、行きますよ」
叶冬の手を掴みずるずると引きずると、女性たちから不満の声があがった。
そんなことを言われてもこちらにも予定がある。叶冬はごめんね~とのん気に手を振り、秋葉はずんずんと目的のホームへと移動した。
「まあまあそんな怒りなさんな」
「放っておいたらお祭りの屋台みたいな状態になるじゃないですか」
「も~。そんなぷりぷりしなくても今日と明日はアキちゃんだけの僕だよ★」
「そういうのいいんで。お弁当買わなくていいんですか」
「お! 買う買う! 全部買う!」
またも叶冬は弁当を大量に買い込んだ。到着したら現地の名産品を食べたいと言っていたのに良いのかと聞いたら、それはそれこれはこれらしい。
この細い身体のどこにそんな大量の食べ物が入るのか不思議だ。
秋葉は食べるつもりではなかったのだが、叶冬との旅行だと思うと同じことをしたいと思ってしまった。一つだけ弁当を買って一緒に食べると、美味しいねえ、楽しいねえ、と笑う叶冬が妙に可愛く感じた。
旅館に着き、部屋に案内されて秋葉は感動した。
叶冬に選ばせたら何かしら普通じゃない事態になるであろうことは想像していた。金魚の調査である以上、事故や事件があったとか自殺の名所が近いとか、魂に関連しそうな何かだろうと思っていた。
けれど到着したのは至って普通の旅館で部屋も普通。けれどどうやら四人家族用の部屋らしくとても広く、さらには露天風呂までが付いていた。
庶民にとってのいわゆる「高級な宿」だ。
「凄い! こんな部屋に泊っていいんですか!?」
「もちろんさ。お夕飯は宿で出てくるから、それまではそこら辺を遊び回ろう」
「はいっ」
あまりにも広い部屋と広い露天風呂、そこから見える美しい景色に秋葉はテンションが上がった。
来るまでは叶冬が妙なことをしないように周りに迷惑をかけないようにと保護者気分もあったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまう。
「お風呂入っていいですか!?」
「いいとも。アキちゃんはお風呂好きなのかい?」
「そういうわけじゃないですけど、やっぱり入りたいじゃないですか」
「そうだね。せっかくだしゆっくり入っておいで」
「あれ? 店長は入らないんですか?」
「ん? 一緒に入っていいのかい?」
「……あ、露天風呂ってそういうものかと思ってました。それは大浴場か。ここ広いからつい。すみません」
まるで子供のようなことを言ったことに後から気付き、秋葉は赤くなる顔を隠すように叶冬へ背を向けた。
けれど叶冬は誤魔化してくれたのか、後ろから体当たりするように抱き着いてきた。
「うわっ!」
「アキちゃんが良いなら一緒に入るとも! さあさあいざ行かん!」
「い、いいですよ! 一人では入れますって!」
「僕がアキちゃんと入りたいのだよ! さあさあ!」
そして二人で部屋の露天風呂に入ると、そこはまさに絶景だった。見えるのは夏の緑が鮮やかな山々で、真っ青な夏空は爽快だ。
しかし不思議なことに金魚が一匹もいない。普通はこれだけ開けた視界ならばそれなりの数が泳いでいるのだが、驚くことに一匹もいなかった。
「店長。ここ金魚ゼロです」
「ゼロぉ? 無? この広い景色に無?」
「無です。もしかして金魚ってそんなにいない物なのかな」
「するってえとアキちゃんの身の回りだけってことになっちまうよ」
「でも俺が生まれたときは既に金魚いっぱいいましたよ」
「んじゃあ、アキちゃんが金魚をみれるようになる条件が何かあって、この土地はそれを満たしてないとか」
「でも修学旅行で初めて京都行った時はいっぱいいました。広島も」
「うむう。じゃあ金魚が存在できる条件を満たしてない」
「もしくは富が沼みたいに、どこか一点に吸い込まれてるとか」
「う~~~~~~~~~~~~~~ん」
叶冬は腕を組んで頭をぐりぐりと動かした。分からん分からんと唸っていたが、突如ハッと何かに気付いて立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「……すっかり忘れていたよ。とても重要なことを決めていなかった」
「なんですか?」
叶冬はがしっと秋葉の両肩を掴んだ。叶冬の縛っている髪の隙間からあの傷跡がちらり覗いた。
思わず目をそらし、離れて下さい、とわざと恥ずかしそうにして見せる。
「この旅館はお蕎麦が美味しいそうだ。だが僕はうどん派なのだよ。しかし名物がお蕎麦ならお蕎麦を食べるべきだと思う。けれど僕はいつでもうどんの口になっているんだ。蕎麦が名物なのにうどんを頼むというのは失礼にならないだろうか」
「……は?」
「今回ばかりは蕎麦を食べるべきか。アキちゃんはどう思う?」
「重要なことってそれですか?」
「そうだよ」
「金魚は?」
「考えても分からんことは考えない。情報を得たらそれで完了さァ。さあさあ蕎麦とうどんどっちだい?」
「……蕎麦」
「やはりそうだよねえ。では蕎麦にしよう」
お蕎麦だぁ、と叶冬は声を上げて笑いながら風呂を出て行ってしまった。
「……何なんだあの人は」
首の傷を見られたくないからあんなはぐらかし方をしたのだろうか。ならば一緒に風呂なんて迷惑だっただろう。もしかしたら大浴場が嫌で風呂付の部屋にしたのかもしれない。
しかしあれこれ考えても切りがない。叶冬が何も言わないのなら何もせず普通にするのが一番だろう。
ふと景色に目をやればやはり自然が美しい。金魚のいない世界を見たのはいつぶりだろうか。
帰りたくないな、と思った。
行先は多々候補が上がったが、二人とも温泉で合致した。具体的な旅館や宿泊プランの要望を聞いてくれたが、お金を出してもらう側なので「店長の好みで選んで下さい」としておいた。では当日まで秘密だと言われ、どんな宿になるかは謎だ。
そして当日、名目はともあれ旅行に胸を躍らせ待ち合わせ場所の駅へ行った。
乗り遅れてはいけないと待ち合わせた時間よりもニ十分も早く到着したが、待ち合わせ場所である改札には妙な人だかりができていた。名物の出店でもあるのだろうかと遠巻きに見ると、そこには確かに名物がいた。だがそれは決して駅の名物ではない。
「やあやあアキちゃん! 早いじゃないか!」
「ど、どうも……」
人だかりの中央で両手をぶんぶんと振ってきたのは叶冬だ。今日は金魚屋としての外出と認識しているのか、いつもの着物を羽織っている。
だがそのせいなのか、叶冬は浴衣を着た謎のキャラクター着ぐるみとセットにされて女性に写真を撮られていた。既に順番待ちで列ができている。
「何をしてるんですかあなたは!」
「だあってヒマだったのだよ。だから宣伝の手伝いを少々」
「そういうのはそのキャラクターの仕事ですよ。ほら、行きますよ」
叶冬の手を掴みずるずると引きずると、女性たちから不満の声があがった。
そんなことを言われてもこちらにも予定がある。叶冬はごめんね~とのん気に手を振り、秋葉はずんずんと目的のホームへと移動した。
「まあまあそんな怒りなさんな」
「放っておいたらお祭りの屋台みたいな状態になるじゃないですか」
「も~。そんなぷりぷりしなくても今日と明日はアキちゃんだけの僕だよ★」
「そういうのいいんで。お弁当買わなくていいんですか」
「お! 買う買う! 全部買う!」
またも叶冬は弁当を大量に買い込んだ。到着したら現地の名産品を食べたいと言っていたのに良いのかと聞いたら、それはそれこれはこれらしい。
この細い身体のどこにそんな大量の食べ物が入るのか不思議だ。
秋葉は食べるつもりではなかったのだが、叶冬との旅行だと思うと同じことをしたいと思ってしまった。一つだけ弁当を買って一緒に食べると、美味しいねえ、楽しいねえ、と笑う叶冬が妙に可愛く感じた。
旅館に着き、部屋に案内されて秋葉は感動した。
叶冬に選ばせたら何かしら普通じゃない事態になるであろうことは想像していた。金魚の調査である以上、事故や事件があったとか自殺の名所が近いとか、魂に関連しそうな何かだろうと思っていた。
けれど到着したのは至って普通の旅館で部屋も普通。けれどどうやら四人家族用の部屋らしくとても広く、さらには露天風呂までが付いていた。
庶民にとってのいわゆる「高級な宿」だ。
「凄い! こんな部屋に泊っていいんですか!?」
「もちろんさ。お夕飯は宿で出てくるから、それまではそこら辺を遊び回ろう」
「はいっ」
あまりにも広い部屋と広い露天風呂、そこから見える美しい景色に秋葉はテンションが上がった。
来るまでは叶冬が妙なことをしないように周りに迷惑をかけないようにと保護者気分もあったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまう。
「お風呂入っていいですか!?」
「いいとも。アキちゃんはお風呂好きなのかい?」
「そういうわけじゃないですけど、やっぱり入りたいじゃないですか」
「そうだね。せっかくだしゆっくり入っておいで」
「あれ? 店長は入らないんですか?」
「ん? 一緒に入っていいのかい?」
「……あ、露天風呂ってそういうものかと思ってました。それは大浴場か。ここ広いからつい。すみません」
まるで子供のようなことを言ったことに後から気付き、秋葉は赤くなる顔を隠すように叶冬へ背を向けた。
けれど叶冬は誤魔化してくれたのか、後ろから体当たりするように抱き着いてきた。
「うわっ!」
「アキちゃんが良いなら一緒に入るとも! さあさあいざ行かん!」
「い、いいですよ! 一人では入れますって!」
「僕がアキちゃんと入りたいのだよ! さあさあ!」
そして二人で部屋の露天風呂に入ると、そこはまさに絶景だった。見えるのは夏の緑が鮮やかな山々で、真っ青な夏空は爽快だ。
しかし不思議なことに金魚が一匹もいない。普通はこれだけ開けた視界ならばそれなりの数が泳いでいるのだが、驚くことに一匹もいなかった。
「店長。ここ金魚ゼロです」
「ゼロぉ? 無? この広い景色に無?」
「無です。もしかして金魚ってそんなにいない物なのかな」
「するってえとアキちゃんの身の回りだけってことになっちまうよ」
「でも俺が生まれたときは既に金魚いっぱいいましたよ」
「んじゃあ、アキちゃんが金魚をみれるようになる条件が何かあって、この土地はそれを満たしてないとか」
「でも修学旅行で初めて京都行った時はいっぱいいました。広島も」
「うむう。じゃあ金魚が存在できる条件を満たしてない」
「もしくは富が沼みたいに、どこか一点に吸い込まれてるとか」
「う~~~~~~~~~~~~~~ん」
叶冬は腕を組んで頭をぐりぐりと動かした。分からん分からんと唸っていたが、突如ハッと何かに気付いて立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「……すっかり忘れていたよ。とても重要なことを決めていなかった」
「なんですか?」
叶冬はがしっと秋葉の両肩を掴んだ。叶冬の縛っている髪の隙間からあの傷跡がちらり覗いた。
思わず目をそらし、離れて下さい、とわざと恥ずかしそうにして見せる。
「この旅館はお蕎麦が美味しいそうだ。だが僕はうどん派なのだよ。しかし名物がお蕎麦ならお蕎麦を食べるべきだと思う。けれど僕はいつでもうどんの口になっているんだ。蕎麦が名物なのにうどんを頼むというのは失礼にならないだろうか」
「……は?」
「今回ばかりは蕎麦を食べるべきか。アキちゃんはどう思う?」
「重要なことってそれですか?」
「そうだよ」
「金魚は?」
「考えても分からんことは考えない。情報を得たらそれで完了さァ。さあさあ蕎麦とうどんどっちだい?」
「……蕎麦」
「やはりそうだよねえ。では蕎麦にしよう」
お蕎麦だぁ、と叶冬は声を上げて笑いながら風呂を出て行ってしまった。
「……何なんだあの人は」
首の傷を見られたくないからあんなはぐらかし方をしたのだろうか。ならば一緒に風呂なんて迷惑だっただろう。もしかしたら大浴場が嫌で風呂付の部屋にしたのかもしれない。
しかしあれこれ考えても切りがない。叶冬が何も言わないのなら何もせず普通にするのが一番だろう。
ふと景色に目をやればやはり自然が美しい。金魚のいない世界を見たのはいつぶりだろうか。
帰りたくないな、と思った。