第16話
文字数 1,481文字
僕が戻ってきたとき、みんなの間には微妙な空気が流れていた。
「どうしたの?」
「なんでもないよー。ささ! 早速描き始めましょうぞ!」
「え? あ、うん」
佐藤さんに促されるまま、僕は、大園先輩の用意してくれたカンバスの前に座る。
すると、大園先輩が慌ただしく部屋を出ていく。
「ごめんね! わたし委員会の仕事があって!」
「先輩、準備ありがとうございました」
「いいよー! 今度何かおごってね!」
「学食でいいですか」
「やだ! カフェで!」
「……考えときますね」
「よろしくね!」
そう言って、大園先輩は、バタバタと足音をさせながら、教室から出ていった。
僕はその足音が聞こえなくなってから、木戸口さんの方に向き直った。
「じゃあ始めるね」
「は、はい」
そう言って木戸口さんは、座る姿勢を正した。
けれど、首が微妙に傾いている。
緊張しているのか、木戸口さんは床を見ていた。
少し気がかりだったけど、僕は気にせず描き始めることにした。
最初はゆっくりと、手探りをするように線を描いてゆく。
自分の中を探るように、線を引いてゆく。
描いては消し、消してしまっては描き直す。
描き始めは、川上さんたちに見られているのが、気になっていた。
けれど、そのうちに川上さんたちが、僕の周りにいるのも忘れてしまうほどに、僕は集中し始めた。
そして、あらかた方向性が決まって、筆を入れようとした時。
川上さんが、久しぶりに声を出した。
「私、帰る」
室内全員の視線が、川上さんに集まる。
僕は、そっかとも、じゃあねとも言わないで、何と言えばいいのか迷っていた。
すると、佐藤さんが川上さんに、なにかを言い始めた。
「もういいの?」
「うん」
「どうだった?」
「やっぱり、私、間違えてないと思う」
「見えたんだね」
「うん」
「そっか」
すると、佐藤さんも川上さんと同じように帰ると言い始めた。
「じゃあ、あたしも帰るー」
「いいの?」
「のめり込まないだけで、春奈も瑠美と同じなのさー」
「そっか」
そう言って二人は、二人の間だけで納得したらしい。
そして二人ともカバンを持って、部屋から出ていこうとする。
「それじゃねー」
「頑張ってね、峯村」
最後に川上さんが、木戸口さんにこう言った。
「眼を見るのは、自由だよ。怖くないことだから」
「……わかりました」
僕には何も分からない。
けれど、木戸口さんには何かが伝わったようだった。
ガラガラと扉が閉まり、僕と木戸口さんだけが教室に残された。
「続けるね」
「はい」
それからはお互いに無言だった。
筆が水彩紙の上を走る音だけが心地よく響く。
そして絵が7割ほど完成した頃。
木戸口さんが沈黙を破って、口を開いた。
「……断りました、告白」
「……そうなんだ」
「怖かったですけど、ちゃんとしなきゃと思って」
「……すごいよ」
僕は、口を動かしながら筆を持ち換えて、木戸口さんの方を見た。
今まで僕の足元を彷徨っていた眼線が、一直線に僕を見つめていた。
木戸口さんの真っ赤な眼が、僕を見つめていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでも、ないです」
木戸口さんはそう言ったっきり、また眼線を彷徨わせる。
それからまた無言の時間が続いた。
日が暮れ始めて、もう光無しでは描くことが出来ないほど薄暗い頃。
そんな時間に、やっと絵は完成した。
「出来た……」
僕がそう言うと、木戸口さんはダラリと姿勢を崩した。
「ずっと同じ姿勢ってやっぱり疲れるんですね」
「姿勢なんて、変えてもよかったのに」
「え? でも描くなら……」
そう言って、木戸口さんが立ち上がり、僕の絵を覗き込む。
「……なんですか、これ?」
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